第二部・幕間〜戻る場所〜
今日からここが、私たちの部屋になる。
依頼局三階の間借り部屋から、力務局が用意してくれたアパートメントへと荷物を移したのは昼過ぎだった。
荷物は少ない。
衣服が入った鞄が二つ。
それから、旅の道具が入っている古びた布袋。
広いとは言えないけれど、窓があって、陽が入って、台所もある。
私は部屋の真ん中に立って、ぐるりと見渡した。
「……ここが、私たちの部屋」
口に出してみる。
まだ少しだけ、現実味がない。
村を出たのは十六歳になって少しした頃だった。
それまでは、世界はあの小さな村だけだった。
それが今は、王都に次ぐ都市ヴァルディアに部屋を借りている。
私は窓を開ける。
街の音が入ってくる。
人の声、馬車の音、遠くの鐘。
「荷物、少ないな」
後ろからルカの声がした。
「うん」
私は笑う。
「これから少しずつ足していこう」
食器とか、布とか、小さな鉢植えとか。
そんなものを思い浮かべる。
でも、胸の奥には小さなざわめきもある。
ルカが“半専属”になったこと。
力務局に拠点を持つこと。
私は不安がなかったわけじゃない。
囲われるのではないか。利用されるのではないか。
ルカは強い。
でも、まだ十八歳だ。
私は振り返る。
「ね、ルカ」
「ん?」
「怖くない?」
ルカは少しだけ目を細めた。
「何が」
「半専属の話」
しばらく沈黙が落ちる。
「……怖くないと言えば嘘だな」
正直な答えだった。
私はそれだけでなぜだか少し安心した。
この部屋は、通りに面しているのに思ったより静かだった。
セフィが窓を開けて、街の音を取り込んでいる。
彼女は、村から出たことがなかった。
十六になるまで、同じ空しか知らなかった。
もっと見せてやりたい。
海も、山も、王都の塔も、遠くの港町も。
縛り付けたくはない。
だが同時に、俺は現実も知っている。
セフィと二人で生きていく。
それは、理想だけでは足りない。
力がいる。
知識がいる。
人脈がいる。
調整はまだ未熟だ。
知識を得れば、体系的に理解できる。
テオドールの提案は、セフィと二人で生きていくために正直に言えば“美味しい”と思った。
住居保証。
報酬保証。
そして、拠点。
旅をしながら、戻れる場所。
「怖くなかった?」
セフィが聞く。
俺は答える。
「怖い」
利用される可能性はある。
力を求められる未来もある。
だが。
「でも、選んだのは俺たちだ」
選ばれただけではない。
俺は選んだ。
セフィの方を見る。
「セフィに、もっと景色を見せたい」
セフィが瞬きをする。
「ここは終点じゃない。途中だ」
半専属は、鎖じゃない、足場だ。
「俺は強くなる。そのためにここを使う」
セフィは静かに頷く。
「うん。一緒に」
それでいい。
副局長室の窓から、街が見える。
ルカ・フェルノール。
若い。
だが本物だ。
正直に言えば、囲いたい。
ヴァルディアのものにしたい。
国に八名しかいない解呪師。
その一人になり得る少年。
手放したくはない。
だが、あの二人を見ていると、計算だけでは割り切れなくなる。
セフィの純粋でまっすぐな目。
ルカの、利用されることも理解した上で踏み出す覚悟。
専属契約で縛ることはできた。
だが、それは違うと思った。
俺は家名を捨てた。
好きな女のために。
自由を奪われることの苦しさは知っている。
だから局長を説得した。
“半専属”という形で。
「自由を残してください」
「縛れば、彼は逃げます」
そう言った。
局長は渋ったが、最終的に頷いた。
あの少年は、いずれもっと大きな存在になる。
その時、ヴァルディアを“帰る場所”だと思ってもらえれば、それでいい。
それが、縛るのではなく囲うということだ。
戻ってきたくなる場所にする。
俺は小さく息を吐く。
「……応援くらいはさせてくれ」
副局長としてではなく、少し年上の人間として。
夕方の光が部屋を橙に染める。
まだ何もない部屋。
床に並んだ荷物。
でも、不思議と寒くはない。
私はルカの隣に座る。
「ここが戻る場所だね」
「そうだな」
「でも旅は終わらないでしょう?」
ルカが小さく笑う。
「終わらないよ」
窓の外ではヴァルディアの街が動いている。
ここを拠点に、また旅に出て、また戻る。
今日から、この部屋は私たちの部屋。
荷物は少ない。
でも、これから少しずつ増やしていく。
思い出も、知識も、景色も。
私はルカの手を握る。
選ばれた力ではなく、選び取った未来。
ここからまた、始まる。




