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第二部・第七話〜笑えない子ども〜


翌日、私たちは局長とテオドールと共に依頼局のすぐ裏手にある局長公邸へ向かった。

広い庭。整えられた花壇。とても静かすぎる空間だった。

部屋へ通されると、小さな男の子が母親のそばに立っていた。

金色に近い柔らかな髪。くりくりの大きな瞳。

けれど、その瞳はどこか慎重だ。

「リオネル、ご挨拶は?」

母親に優しく促されて「……こんにちは」と小さな声で挨拶をしてくれた。

私は膝を折り、目線を合わせる。

「こんにちは、リオネルくん。私はセフィっていうの」

彼の視線が少し揺れた。

興味はある。でも、抑えているような表情に見えた。

ルカが静かに近づく。

「俺はルカだ。リオネル、走るのは好きか?」

リオネルの目が見開き一瞬輝く。

だが、すぐに母親を見る。

母親の手が、そっと彼の肩に触れる。おそらく抑制の合図なのだろう。

リオネルは小さく頷いた。

「好き」

「笑うのは?」

「……わからない。笑ったことない」

小さな声がかすれる。

私は思わず視線を逸らしそうになる。

ルカが言った。

「今は抑えなくていい」

母親が様子を見守りながら息をのむ。

「俺がいるから大丈夫だ」

ルカが頭に手を添えるとリオネルはわずかに微笑んだように見えた。




「で、どうする?局長から話は聞いているだろう?」

「私たちはこの子が笑えるようになるなら、感情を抑えなくて良くなるなら解いてあげたいと思っています。でも…、あなたを信用していいのでしょうか。正直不安の方が大きいのです」

母親の不安は当然だった。

解呪は失敗すればおさまるどころか酷くなる場合もあると聞いた。

初対面の年若いルカを不安に思うのは当然の気持ちなのだと思う。

母親の不安を聞いたテオドールが口を挟んだ。

「先日彼は森の白い霧をおさめました。ダリウスの呪いを調整したのを私が直接確認しました。大丈夫。リオくんの呪いも彼ならきっと解呪してくれるでしょう」

局長も黙って頷く。

しばらくの沈黙のあと、母親も決意をしたように、お願いします、と頭を下げた。





ルカは静かに頷き、床に手を置き、集中する。

空気がわずかに張り詰める。

私はルカの背に手を添えた。

リオネルの小さな身体の奥に、熱の核がある。

細い糸のように全身へ走る異常回路。

ルカはそれを探る。

慎重に。

優しく。

力を込めすぎないように。

ルカの呼吸が浅くなる。

汗がこめかみに浮かぶ。

「……壊さない」

小さく呟く。

その言葉が、私の胸を打つ。

かつて壊してきたのは、私だった。

今は違う。

ルカの光が、ゆっくりと核へ触れる。

一本ずつ、ゆっくり、時間をかけて断つ。

傷つけない。

断つだけ。

じっくりと、静かに。

やがて…、空気がほどけた。

ルカが息を吐く。

「……終わった」

母親が震える声で言う。

「リオ……」

ルカが乱れた呼吸で静かに告げる。

「走ってみろ」

リオネルは一歩、二歩、部屋を走る。

やがて楽しそうに息が上がる。

頬が赤くなる。

それを見た母親が青ざめる。

だが——体に異常は見られなさそうだ。

リオネルが振り返り、そして笑った。

大きく、無邪気に。

何も起きない。

母親が膝から崩れ落ち、駆け寄ってきたリオネルを抱きしめた。

局長が溢れ出した涙を隠すように顔を覆う。

テオドールは目を伏せた。

ルカはその場に座り込む。浅く、深く、呼吸が整わず肩で息をしている。

額から汗がつたい、床に滴り落ちている。

私はすぐに抱きしめ支える。

「……しんどい、慎重すぎたかもな」

弱く笑う。

「リオネルを壊したくなかった」

私はそっと言う。

「壊さなかったよ」

ルカの指先が震えている。深く疲れているように見えた。




翌日、テオドールが局長からの正式な書面を宿に届けてくれた。

一晩、熱は出なかった。

朝から走り回っている。

笑っている。

その文面を読んだとき、私は胸が熱くなった。

テオドールが静かに言う。

「局長に正式に提案します」

改めて伺います、と言い残して帰って行った。

数日後、私たちは力務局へ向かっていた。




「ルカさん。ヴァルディア力務局専属の解呪師になっていただきたい」

ルカは黙って聞く。

「報酬は保証します。住居も用意します。依頼局所有のアパートメントです」

「囲うつもりか?」

ルカは淡々と問う。

テオドールは苦笑した。

「否定はしません。ですが、縛るつもりはない」

真っ直ぐな目。

「旅を続けてください。近隣なら出てもいい。ですが、戻る場所をヴァルディアにしてほしい」

私はルカを見る。

ルカは少しだけ空を見上げた。

「セフィ」

「うん」

「旅は続けたい」

「私も」

「でも、力も伸ばしたい」

私は頷く。

テオドールが続ける。

「学院への道もあります。すぐではありませんが、力を体系的に学ぶ場へ繋げることもできる」

ルカは静かに言う。

「……条件がある」

「何でしょう」

「俺は選ぶ側でいたい」

テオドールは小さく笑った。

「そのつもりでお願いしています」

沈黙のあと、ルカは頷いた。

「半専属でいいか」

テオドールの目が柔らかくなる。

「今はそれで十分です。ありがとうございます」

テオドールは依頼局三階の部屋を案内してくれた。

部屋が決まるまで今日からここに寝泊まりしていいという厚意に私たちは甘えることにした。

窓からヴァルディアの街が見える。

広い空。

行き交う人々。

「ここが、俺たちの戻る場所か」

ルカが呟く。

私は隣に立つ。

「でも旅は続けよう」

私がそう言うとルカは小さく笑った。

遠くで、リオの笑い声が響く気がした。

笑えなかった子どもが笑ったその日。

私たちにも、帰る場所ができた。




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