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第二部・第五話〜森を覆う孤独〜

翌朝、ヴァルディアの空は高く澄んでいた。

力務局の裏門には、小型の馬車が用意されている。

荷台は簡素で、車輪も細い。森道を進むための軽量仕様のようだ。

「途中まではこれで行きます。奥は道が狭いので歩いていただきますが」

副局長のテオドールは自ら手綱を確認しながら言った。

「ご配慮ありがとうございます」

私は小さく頭を下げる。

ルカは無言で馬車に乗り込んだ。

城門をくぐりしばらくすると馬車が石畳を離れ、土の道へ入る。

街の喧騒が遠ざかり、代わりに木々のざわめきが近づいてくる。

テオドールが口を開いた。

「森の管理人、ダリウスは森の霧が自分のせいだと自覚しています」

「自覚しているのに、放置していたのか?」

ルカの問いは淡々としている。

「放置ではありません。彼なりに抑えようとしていた。ですが――」

テオドールは視線を前に向けたまま続ける。

「数年前、ダリウスは奥方を流行病で亡くしたんです」

馬車の揺れが一瞬だけ強くなる。

「その後から、霧が濃くなった。晴れていても、短時間で森全体を覆ってしまう」

私は宿場町の女将の言葉を思い出す。

“目の前の道も見えないくらい濃い霧”。

「死者は出ていませんが、迷う者が頻発している。街としても見過ごせない」

ルカは静かにテオドールに問う。

「どんな呪いなんだ?」

テオドールは一瞬だけ視線を送る。

「……ダリウスの呪いは孤独感に苛まれると周囲に霧を出してしまうのです」

森を深く覆う霧はダリウスの孤独の叫び。

それを知った私たちは胸が苦しくなった。




森の入口に到着すると、ダリウスはすでに待っていた。

大柄な体。広い肩。

無精髭の奥に、疲れを隠しきれない目。

「来てくれたのか」

低い声。

テオドールが一歩前に出る。

「ダリウス。紹介します。解呪師のルカです。調整も可能だと本人は言っています」

ダリウスの視線がルカに向く。

「……若いな」

「年齢は関係ない」

ルカは短く返した。

「状況を聞いてから判断する」

余計な誇張も自慢もない。

ダリウスはしばらく黙り、それから森の奥へ歩き出した。

「ついてこい」

管理小屋の前は、不自然に静かだった。

風はあるのに、葉擦れの音が薄い。それがなぜだか不気味に感じた。

ダリウスは小屋の扉に手を触れた。

「俺の呪いは、孤独が霧になり周囲を覆う」

はっきりとした言葉。

「家だけじゃない。この森も、俺の場所だ。守る場所だ。……だから、ここも俺の内側なんだろう」

私は胸の奥が締め付けられる。

「孤独を強く感じると、濃く白い霧が出る。最初は小屋の周りだけだった。だが……」

彼は空を見上げた。

「今は森全体を覆う」

ルカが森の空気に手を伸ばす。

指先に、薄い湿り気。

「呪いは消せる」

ルカは言う。

「完全に解呪すれば、霧は出ない」

ダリウスの眉がわずかに動く。

「だが」

ルカは続ける。

「孤独の核も消える可能性がある。亡き奥さんへの想いが消えるかもしれない」

沈黙が落ちる。

ダリウスの拳が、わずかに震えた。

「妻への想いを消したくはない」

絞り出すような声。

「だが、森を管理する者として迷う者を出すのも耐えられない」

テオドールは息を潜めている。

ルカが言う。

「調整もできる。霧を薄くするか、範囲を狭める。ただし――今の俺の力では、やってみないと結果は分からない」

ダリウスは目を閉じた。

「妻への想いは消えないのか?」

「調整であれば完全に消えることはないはずだ」

「……調整で頼む」

決断は静かだった。

「想いは残したい」

ルカは静かに頷いた。

私はルカの背に手を添え寄り添った。

空気が揺れる感じが伝わる。

重く湿った空気が小屋の中から溢れ出す。

やがてそれは霧に変わり押し潰すような感情に襲われる。

ルカの呼吸が深くなる。

「呪いの流れを変えるだけだ……」

断たない。削らない。

絡まり合った糸を、ほどくように。




テオドールは目を見開いた。

(呪いを消していない……)

(流れを整えている…?)

霧は小屋の周囲に留まり、森の奥へは伸びない。

濃さも薄い。

道が見える。

空が見える。

やがて、霧は静かに落ち着いた。

ダリウスは息を吐く。

「……あるな」

霧はある。

だが軽い。

「孤独に…押し潰されていない」

胸に手を当てる。

「息ができる」

ルカは大きく息を吐いた。

「範囲は絞った。発生時間も短いはずだ。だが保証はない」

ダリウスは静かに頷く。

「十分だ」

テオドールは確信した。

(本物だ)

だが同時に思う。

(局長を納得させるには、もう一段必要だ)

森を出る頃、ルカの足取りは少し重い。

馬車に乗り込むと、彼は目を閉じた。

「少し体が重いだけだ」

だが顔色は青白く、指先が冷えている。

私はルカの腰に手を回し可能な限り寄り添った。

力務局に戻ったのは午後も遅い時間だった。

応接室に通され、テオドールが口を開く。

「本日の件、感謝します」

そして続ける。

「もう一件、解呪をお願いしたい」

私はルカを見る。

顔色は青白いままで呼吸も浅い。

私は静かに言う。

「申し訳ありません。本日はこれ以上お話しするのは難しいかと。ルカの体調が戻りましたら、改めて伺います」

ルカが何か言いかける。

私はそっと手を握る。

テオドールはそれを見て、わずかに目を細めた。

「承知しました」

「明日以降、いつでもお越しください。準備を整えておきます」

宿へ戻るとルカはベッドに腰を下ろした。

「……削られてはいない」

「でも、重いでしょう」

「少しな」

私は隣に座る。

「無理しないでね」

ルカは目を閉じた。

「セフィがいてくれるから、これくらいで済んだ」

その言葉は、温かい。

私たちはそのまま寄り添って眠りについた。




翌朝、ルカは自力で起き上がった。

顔色も戻っている。

「行こう」

ルカの調子は悪くなさそうだ。

私は頷いて支度を急いだ。

ヴァルディアの朝は眩しい。

人も多くて活気付いている。

気持ちの良い朝の風を感じながら力務局に着き、私は少し緊張しながらルカが力務局の扉を押すのを見ていた。

奥で待っていたテオドールが、静かに微笑む。

「お待ちしていました、ご体調の方はもう大丈夫ですか」

その声には、昨日よりもわずかに距離の縮まった柔らかさがあった。




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