第十三話〜呪いを解く者と、癒す者〜
旅は、思っていたよりも静かに始まった。
村を出てから三日目、私たちは小さな街道沿いの集落に辿り着いた。
市場と呼ぶには小さすぎる広場と、宿が一軒、それから人の気配があるだけの場所だったけれど、そこには確かに生活があって、私たちの知らない日常が息づいていた。
誰も、私を忌み手とは呼ばない。
誰も、ルカを値踏みするような目で見ない。
それだけで、胸が少し軽くなる。
最初の依頼は、噂が先だった。
「呪いを解ける旅人が来ているらしい」
そんな曖昧な言葉が、ゆっくりと人づてに広がっていく。
直接的な金額の話も、強引な態度もなかった。
それが、少し不思議で、少し怖かった。
夕方、宿の裏手で、ルカは一人の中年の女性と向き合っていた。
長年、原因不明の悪夢に悩まされてきたらしい。
夜になると同じ夢を見て、目覚めるたびに心臓が張り裂けそうになる、と。
私は少し離れた場所で、その様子を見ていた。
ルカは、静かだった。
力を誇示することもなく、言葉も少ない。
ただ、相手の話を聞き、頷き、手を伸ばす。
解呪の瞬間、空気がわずかに震えた。
見えない何かが、確かにほどけていく感覚が、私にも伝わる。
同時に、私は一歩、ルカのそばへ近づいた。
触れない。
でも、離れない。
ルカの肩越しに、私はそっと息を合わせる。
――大丈夫。
言葉にしなくても、伝わる距離。
女性が、はっと息を吸い、目を見開く。
「……あれ?」
その表情が、すべてだった。
解呪が終わってルカを抱きしめる。
ルカは崩れなかった。
冷えも、息苦しさも、ない。
彼は一瞬、驚いたように瞬きをしてから、私を見る。
私は、小さく頷いた。
癒されている。
確かに。
女性は何度も礼を言い、控えめに金を差し出した。
ルカは受け取り、深く頭を下げる。
私は、その光景を胸に刻んだ。
その夜、宿の二階で、私たちは並んで座っていた。
窓の外には、静かな星空が広がっている。
「……やっぱり、違う」
ルカが、ぽつりと言った。
「今までの解呪と」
私は、何も言わずに聞く。
「削れる感覚が、途中で止まる。完全に引き受ける前に、軽くなる」
彼は、自分の胸に手を当てる。
「君が触れていると、呪いが“居座れない”」
その言葉に、胸が熱くなる。
翌日から、依頼は少しずつ増えた。
重い呪いも、軽い呪いもあった。
すべてがうまくいくわけじゃない。
癒しきれない夜もあった。
それでも、ルカは倒れなかった。
夜、私が抱きしめると、苦しさは確実に薄れていく。
眠れる。
朝を迎えられる。
それだけで、生きていけると思えた。
旅先の人たちは、少しずつ私たちを受け入れてくれた。
解呪師と、その傍にいる少女。
でも、名前で呼んでくれる。
食事を分けてくれる。
笑って話しかけてくれる。
私は初めて、「触れても壊れない世界」に立っている気がした。
ある夜、焚き火のそばで、ルカが急に口を開いた。
「……セフィ」
その呼び方は、いつもより少しだけ緊張していた。
「俺さ」
一度、言葉を切る。
「今まで、自分が誰かを好きになるなんて、考えたことなかった」
私は、息を呑む。
「想われない解呪ばかりしてきたから、自分が誰かを想うこと自体、怖かった」
炎が、揺れる。
「でも、君と旅をして、君が俺を見て、抱きしめて、名前を呼んでくれるたびに」
声が、少しだけ震えた。
「俺は、生きてるって思えた」
私は、目を伏せた。
胸が、苦しいほど温かい。
「……好きだ」
ルカは、はっきりと言った。
「セフィ。君が好きだ」
逃げ場のない言葉だった。
でも、怖くなかった。
私は、気づいたら泣いていた。
声も出さず、ただ、涙が溢れて止まらない。
嬉しくて、救われて、やっと、選ばれた気がして。
「……ありがとう」
震える声で、そう言う。
「私も……好き」
その言葉を言えたことが、奇跡みたいだった。
ルカは、何も言わず、そっと私を抱きしめた。
焚き火が小さくなり、夜が深くなる。
私たちは並んで眠った。
行き先は、まだ決まっていない。
住む場所も、分からない。
それでも。
呪いを解く者と、癒す者。
想いを告げる者と、涙で受け取る者。
二人で生きていく手段は、もう見つけてしまった。
この旅は、終わらない。
呪いは、この世界に確かに存在する。
それでも。
あなたの前でだけ、呪いは眠る。




