悪魔の書
「だが調子のいいときほど落とし穴があるものだ」
「どういうことでしょうか?」
「クローヴェン第一王子派がヴァルモントを狙っているとの情報を得た。だから急いできたのだよ」
シナリオ上、第一王子と第二王子は次期王位争いのために敵対していたはずだ。
何らかの策を講じて、敵対派閥であるデシアン子爵の弱体を狙っているのであれば話はわかる。
「具体的にどのような動きがあるのでしょうか?」
「ダンジョンのコアを入手するらしい」
「崩壊させて産業をつぶすつもりなのですね」
ダンジョンの最奥にあるコアを破壊すれば崩壊する。これは誰もが知っていることだが、実際にやろうとすると実現は非常に困難だ。
まずは入り口からコアまでの距離にある。知られている中で最大規模のダンジョンは地下50階まであり、行こうとするのであれば一ヶ月以上の時間がかかる。その間、飲食の工面も大変だが、閉鎖空間に長く居続けてストレスが溜まることも問題だ。
今が朝なのか夜なのかすらわからないのだ。途中で精神が病んでしまうって話もよく聞く。
またそれらを金と人数でクリアしたとしても、階層が深くなるにつれて魔物が強くなる問題をどうにかしなければならない。地下50階には小型だがドラゴンまで出てくるらしく、百人ぐらいの規模じゃ討伐には至れない。
そのためコアを手に入れる計画を立てるのであれば、数で攻めるなら千は欲しいところだ。もしくは一騎当千の英雄だな。
「発生したてのダンジョンであれば地下10階もないだろう。騎士団を派遣すれば攻略は可能だ」
俺が困難だと挙げた理由は、すべて発生してから長時間経過したダンジョンに限る。
できたばかりという言葉が正しいなら、コアを手に入れるのも現実的だ。
「他領に騎士団を派遣するなんて、普通はできないのではなくて?」
クラリッサの指摘は当然だ。
貴族は自分の懐を減らすような存在は、仮に王家だったとしても強く反発する。他の王族や貴族が領地の侵犯なんてできない。相応の見返りが必要だぞ。
「王命であれば別だ。クローヴェン王子殿下の武勲を立てるために、発見したばかりのダンジョンを潰したいと交渉されている」
「受けるのですか?」
「見返りが王家直轄領の一部を下賜してもらえるのだ。悩んだが受け入れることにした。飛び地にもならんしな」
ヴァルモントはデシアン子爵が治めている領地にあるたった一つの街でしかない。しかも役目を終えて寂れてしまっている。仮に潰されても大した痛手にはならない。
そんな街を生贄に捧げて、新しい領地がもらえるのであれば損得勘定ができるヤツなら断らない。
貴族の理屈がわかっているからこそ、クラリッサは絶望したような顔になって何も言えないのだ。
「では、ヴァルモントは……」
「元に戻るしかない」
幸運に恵まれてダンジョン産業が上手く行きそうだったのに、また寂れた街に戻ってしまう。
デシアン子爵の口から冷たい決定事項が言い渡された。
「どうしてグローヴェン王子殿下は……わたくしの邪魔を……」
ドアの前に立ったまま二人の会話を眺めていると、クラリッサから怨嗟の声が聞こえた。
裏切り、婚約破棄され、プライドはズタズタなはずなのに、健気にも代官として真っ当に働いていた。平民の俺にすら気さくに声をかけるほど、街にも溶け込んでいて評判はかなりいい。
そういった努力を「グローヴェン王子の手柄が必要だから」という身勝手な理由で、すべて無に帰すのだ。
希望があったからこそ落差が大きい。クラリッサが受けるショックは俺が想像を超えるはず。ぽっきり心が折れて闇落ちをしたって、ん? なるほど、それが狙いか。
「マティルダ王妃が邪魔したことで、クラリッサ嬢を勘当できなかったのが悔しかったのだろう。派閥など関係なく、君を潰したいようだ」
一呼吸置いてから、デシアン子爵は口を開く。
「悔しいだろ?」
優しく心に寄り添うような声だ。
見た目だけはいい男なので、様になっている。
本音を言い当てられたのか、クラリッサは黙ったままだ。表情からは悔しさが出ている。
普段の振る舞いからわからなかったが、強い恨みは未だに残っているのだな。
「言わんでもいい。その表情がすべてを物語っている」
デシアン子爵は立ち上がり持っていた一冊の本をテーブルに置いた。
離れていて文字は読めないけど、角の生えた山羊のイラストは見間違いようがない。悪魔の書だ。
「これはとある上位存在と契約できる書物だ。手に入れた力でグローヴェン王子殿下を痛い目に合わせたらどうだね? なあに殺すわけじゃない。コアの奪取に失敗するよう、ダンジョンの奥で襲撃するだけさ」
上位存在? 上手い言い方をしたな。確かに悪魔は人間よりも強く上位の存在と言っても過言ではない。だからこそコントロールなんて不可能なんだ。
契約したら、その命が尽きるまで暴虐の限りを尽くすだろう。
デシアン子爵が悪魔の書を渡すためだけに来たのであれば、第一王子の話だって本当か疑わしい。
王命は本当にあったのか? もしかして俺たちに確認する手段がないからといって、嘘をついているんじゃないだろうか。
そもそものきっかけとなる話に疑問をもちはじめていると、クラリッサは悪魔の書に向けて手が伸びていた。
普段は聡明な女性なんだけど、こんな話に引っかかってしまうのか。
恨みがある相手で目がくらんだと思えば、ポンコツと呼ぶにはちょっと酷かな。
わざと大きな音を立ててドアを叩いた。
クラリッサの手が止まって、会談している二人が俺を見る。
「毒虫がいたので叩き潰しました。申し訳ありません」
話ながらクラリッサに視線を送る。
冷静になれ。
そんな気持ちを込めて、最後は頭を下げた。
「デシアン子爵のお心遣いは感謝いたしますが、重要な情報ばかりで整理できていませんの。少しお時間をいただけませんかしら?」
「それもそうだな。本日は泊まる予定だ。夜にまた話そう。その時は、あの男は入れるなよ」
「かしこまりましたわ」
邪魔をしたのが相当気に入らなかったようだ。次の機会はなさそうである。
軽食を口に入れて紅茶で流し込んだデシアン子爵が立ち上がると、悪魔の書を持った。
見知らぬメイドが案内をして部屋を出て行く。
残ったのは俺、アリシア、クラリッサの三人だけ。すぐにでも悪魔の書について教えるつもりだった。




