第43話 黒の槍座、根の反転
城下を離れるほどに湿りは薄れ、塩の皮膜だけが大地を覆った。渇海廟の窪地は、風が吹いても波が立たない“海の遺体”。星座めいて並ぶ黒柱は冷えた刃物のように静まり、中央の低い祭壇だけが重く口を閉ざしている。石肌の刻みは先王女ネライアの手癖――「今日ふさぎ、明日あける」。遅延で王都を生かした優しさは止血であり、同時に利息を肥らせる負債でもあった。
私は祭壇の縁に指を置く。塩が指腹へ張りつき、喉が反射で乾く。胸の奥で名を呼ぶ。『ネライア』。湿りが少し戻る。沈黙は私のものだ。
燈司は柱影の角度を測り、帳面へ星図を写す。
燈司「根は王都側へじわりと寄り。寄生を探している」
リコイは月齢を仰ぎ、砂へ細い曲線を描いた。
リコイ「ここは返事が戻らない土地。交渉ではなく、作業でいこう」
私は白叉を刺さずに額へ当てる。刃は黙らず問いを続ける――『誰に返す? ここで返すのか?』。頷いて仲間を見る。【運用鍵】――発起(私)・拍持ち(アガニオ)・拡声(猫嵐)の三者一致を確認する。
ネライア「【海潮同律】、膜は面。名だけ通し、渇きを撥ねる」
アガニオ「【熾火律動】、低拍で地へ浸す。火は灯り、刃にしない」
猫嵐「【風紋合奏】、共鳴は三拍目を半拍遅らせる」
三術をずらして積む。蒸気は輪となり、輪は門に変わる。ここでの門は“開ける”ためではなく“閉じる”ために立つ。芯は【交響蒸潮・第二式】、鍵は【交響蒸潮・第三式〈潮門封鍵〉】へ差し替え、白叉の質問だけを芯へ細く通す。返答はしない。問いで根の逃げ道を減らすのだ。
狩真が刃の背で石を撫でる。
狩真「震え、来る」。
獅王は基礎へ掌を据え、短く言う。
獅王「掘って、切って、縛って、埋める。作業だ」
門が締まる刹那、窪地の底が息を吐いた。空気が――━━“けほ”。
黒柱の星座が半拍ぶん霞み、根の向きが内から外へ反転する。王都へ吸い寄せていた矢印は、乾いた窪地へ向き直った。遅延の印は残るが、借入先は私たちが選べる。
私は祭壇の縁を湿らせ、細い潮の符を刻む。
ネライア「返す場所は私たちが決める。座はここ。利息は都市の拍で払う」
燈司「記録、根の反転を確認」
と締め、アガニオの灯りがひとつ強まる。貸しは残る、だが拍は合った。
猫嵐が肩で風を弾ませる。
猫嵐「戻ろう。明日は“表”でフタをしよう。沈黙は資産、蓋は門」
帰路、靴裏で塩が鳴り、喉に薄い鉄の味が戻った。私は胸の内で二つの名を交互に呼ぶ。音依亜、ネライア。判決は併存。返す順番の最初に、自分を置くことを忘れない。




