第40話 白い刃は質問を深める
城の背骨を降りきると、無響庫は“返事を諦めた空気”で満ちていた。ここでは声は吸われるのではなく、ただ戻ってこない。祈りも命令も、壁の内側で終わる。昨夜に決めたとおり、私は白叉の“再取得”ではなく“再調律”に来た――奪うためではなく、返すための刃に、街の拍をもう一度合わせる。
台座の周りに三つの印を敷く。火・風・水、そして私。先日取り決めた【運用鍵】――発起(私)・拍持ち(アガニオ)・拡声(猫嵐)の三者一致が、返答の唯一の条件だと、あらためて場に刻む。
燈司「手順は公開。二者合意では動かさない」
アガニオは掌の火炎紋を灯りの温度へ落とし、壁の影を太らせる。
アガニオ「火は灯り。刃にしない」
と一度だけ言う。倫理は合図で足りる。繰り返せば鈍る。
猫嵐は埃へ風を与え、渦で室内の凹凸を描く。
猫嵐「三拍子、三拍目は半拍遅れ。霧は“咳”を嫌う」
私は布から白叉を抜き、刺さずに柄を額へ当てる。冷たさが焦りの輪郭だけを削る。刃は黙らない。きょうの問いは一段深い――『誰に返す?』だけでなく、『どの順で、どの場で、どの声で返す?』
私は胸の底で答えを整える。呼び合う関係から始め、失われた関係へ橋を渡し、最後に拒んだ者へ。場は台所、舟室、広場。声は生活の拍――泣き声や笑いが混ざっても崩れない速さで。
白叉の縁に薄い潮紋が浮かぶ。無響庫で“返る”のは正解ではなく、方針の輪郭だけ。リコイは月齢と潮位を壁へ記し、『乾いた場で返すと、名はまた乾く』と短く添える。
私は【海潮同律】の膜で室内を包み、白叉の質問を都市テンポへ引き寄せる。
三者(+記録)「【交響蒸潮・調律篇】」
蒸気の螺旋は上がらず、床下へ沈む。沈む渦が“返答の深さ”を計り、半拍遅れで拍を揃えるほど、刃先はさらに薄く――奪わず返すための薄さへと研がれていく。
燈司「校了。これで『誰に返す?』は『今ここで返してよいか?』に分岐する」
私は喉の奥で自分を呼ぶ。
ネライア「……ここにいる」
庫の白は応えない。けれど額の下で拍は確かに戻った。出るまで言葉はいらない。出さない沈黙は、私の資産。




