第4話 封じられた記憶
王宮の暁鐘が四度鳴る。私は今日も〈訓練棟〉と呼ばれる白亜の回廊を駆け上がった。
木剣を握る掌に汗がにじむたび、塩の匂い――海の残像――が鼻腔をくすぐる。剣戟の衝撃が骨を震わせても、不思議と怖くない。むしろ懐かしかった。初めて握るはずの剣なのに、筋肉が“忘れかけた舞踏”を思い出すように動く。
師範の騎士嵩虎が私の構えを直しながら眉をひそめる。
「身体が先に理を覚えている。戦士の血筋か?」
「いいえ。ただの……波にさらわれた娘です」
自嘲気味に笑うと、嵩虎は「波か……」と呟き、深く頷いた。その言葉に、胸の奥が小さく鳴る。
夜。宵闇に浮かぶ図書塔は、灯籠を重ねたように淡い光を滲ませていた。私は導かれるように古い魔導書を抱え上げる。深藍の表紙に銀のトライデント。指先が触れた途端、頁が勝手に開き――視界が蒼に染まった。
砕ける潮騒、崩れ落ちる珊瑚の柱。
白い宮殿が波頭の暴威に割れる。群青の空ではなく、逆さになった海面が空を覆い、その中心で少女が叫んでいた。
トライデントを掲げる少女。ターコイズの髪が荒波のように荒ぶり、瞳は夜の海溝より深い怒りを燃やす。
――私だ。
震える指で頁を閉じた瞬間、膝が砕けた。
背後で蝋燭が揺れ、誰かが囁く。
波の継承者よ、眠りから覚めよ
振り向いたが誰もいない。辺りには紙の匂いと海塩の記憶だけが残った。
塔室へ戻る廊下で、月光が床に小さな潮紋を描く。その揺らぎを踏みながら私は思う。
「私の中にあるのは前世の記憶? それとも、この世界の未来?」
問いは波のように生まれては砕け、答えはまだ遠い沖に沈んでいた。