第38話 沈黙の徴税
正午過ぎ、記録院の署名台から“名前だけ”が蒸発した。墨は残り、手の温度も残り、名の結び目だけが乾く。
リコイ「渇きはまず“名を呼ぶ声”を徴税する。潮騒より先に」
私は市場の屋台に【海潮同律】の薄膜を張り、売り手が客を、恋人が恋人を、迷子が自分を呼ぶ声を拾い直す。呼ばれた名は帯に乗って往復し、屋台の木肌に微かな湿りを残した。揚げ油の甘さ、柑橘の皮、麻ロープの香――匂いは生きている。だから音も戻れる。
燈司は消えた灯の座標を地図へ落としていく。昨夜の【交響蒸潮・第三式〈潮門封鍵〉】で掴んだ“半拍遅れ”の癖は、紙の上でも皺になった。
燈司「半拍遅れは今日も有効。霧は“規則”に弱い」
猫嵐は笑いの密度を風で増幅し、台所と舟室に“呼び合い”の儀を配る。
猫嵐「配膳前の『ここにいる』二唱、広めといた」
獅王は桟橋の杭で焼印の向きを読み、穴の成長方向を指す。
獅王「港から城内へ“寄生先”を探してる。穴はかわいくない」
狩真は影の逃げ道を斬らずに“留め”、逆風だけを作る。
狩真「人の速さじゃない。紙の速さで追う。帳簿の白は足跡だ」
私は白叉を抜かない。返す相手が特定できないうちは、刃を掲げず“質問の気配”だけを縁に触れさせるのが最善だ。
ネライア「白叉の返答は三者一致。発起・拍持ち・拡声――承認が揃わなければ返さない」
アガニオは掌で小さく拍を刻む。火炎紋はまだ灯りを欠いた“貸し”の状態だが、テンポは戻っている。
アガニオ「俺は拍だけ刻む。刃にはしない」
港湾長の動線は“正しすぎる”。正しさは偽装の素材だ。私は喉の奥で自分を呼ぶ。
ネライア「ここにいる」
言葉に湿りが乗るたび、市場のどこかで小さな灯が点る。灯は刃ではない。長持ちさせるため、誰に返すのか/なぜ今ではないのかを場ごとに言語化して渡す。誤配は名を傷つける。返答は生活の拍に合わせて行う――それが今日の“税”への支払いだ。




