第26話 索隠官の梯子と落とし穴
記録院の地下庫は涼しく、紙と皮の匂いが層になって沈んでいる。燈司は書見台の上で紙片を数枚、わざと乱暴に散らした。
燈司「登り方だけを見せると、人は勝手に登る。降り方を隠せば、落ちる」
扉が軋み、黒衣の潜入者が音もなく現れた。視線は稽古で仕込まれた猫のように低い。散らされた紙片が“安全な踏み場”に見えるのは、彼の性格が几帳面だからだ。性格は罠の素材になる。
私は潮膜で“音の折り返し”を床に薄く張る。踏めば足音がこちらだけに戻り、向こうには無が届く。アガニオは熾火律動を低く打ち、紙片と紙片の間に温度の段差を作る。見えない梯子。
潜入者が乗る。梯子は一段目だけ優しく、二段目から急に世界が乾く。
狩真「今」
一閃。刃は人を切らず、影だけを落とす。獅王が背に回って細い管を奪う。口笛のような器具。吹けば“名の輪郭”が削れるやつだ。
猫嵐が顎で合図して、私の膜の一部を外へ開く。潜入者の逃げ足はそこで空振りし、紙の上で踵を滑らせた。━━"擦"。
獅王「捕った」
仮面を外すと、出てきたのは王都正規兵の青。徽章の縁に塩がこびりついている。丁寧すぎる仕事の匂い。
燈司「帳簿と同じだ。白い余白が“美しすぎる”とき、人はそこへ罪を隠す」
私たちは短い尋問で三つの語を得た。『黒の槍座・副座・潮燈線』。副座――渇海廟とは別の座標。潮燈祭の灯を結ぶ線上。
リコイ「座を増やすのは“渇きの分散”。一か所を閉じても、別の口から息をするために」
アガニオ「つまり、閉じ方を三つに増やすだけだ」
猫嵐「三拍子が似合うね。風の出番が増える」
狩真はうなずき、刀を収める。
狩真「俺たちの側にも“順番”が要る。穴は同時に塞がない。塞ぐ順を間違えれば、被害は味方へ回る」
私は書庫の埃を指で払い、息をひとつ吐く。封印を解いた反動が都市の名を剥がし、無潮霧はそこへ指を掛けた。私たちは反動の上で足場を作らないといけない。怖さは毎回増える。けれど、手順も増える。
ネライア「副座、潮燈線、梯子。全部、地図にする。地図は怖さの薄め方」
燈司がうなずき、罠の階段を逆方向に記録した。降りる足場は、今度はこちらが握っている。




