表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
波と炎は恋に落ちる-継承者ネライアの異世界予言録-  作者: NOVENG MUSiQ
第2章 潮は誓いを、炎は代償を――交響の序曲

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/48

第21話 豹牙、影番の覚悟

 夜の回廊は長い脈拍だった。灯りは等間隔に置かれ、床石は湿りを帯び、壁には香の残り香が薄く漂う。音は慎重に歩けば居場所を隠してくれるが、慎重すぎると無潮に似る。そんな場所で、私たちは内通符の手がかりを追っていた。

 角を曲がったとき、笛の音が一瞬だけ擦れ、すぐに乾いた。仮面の刺客が二。片方は短剣、片方は細い管。管から漏れる息が花床の蕾を萎ませる。玄叉の呼気だ。

 燈司が前に出た。彼の背は本棚の背表紙みたいにまっすぐで、文字が並ぶ余地がある。

 燈司「俺が囮だ。お前らは“音”を残せ」

 ネライア「音?」

 燈司「渇きは音を嫌う。お前の波に、俺の“手順”を混ぜろ」

 彼は紙片を宙へ散らし、私は水でそれを受けて面にした。薄い紙は音符の形に切られている。

 ネライア「【潮譜】」

 水面に旋律が走る。名を保護する譜面。足音と心音を意図的に誇張し、廊下じゅうに“ここにいる”を響かせる。渇きは、このしつこい反響を嫌う。刺客の足が躓き、合図の笛が空気に呑まれて音程を失った。

 狩真が一閃。刃は刺客の影だけを裂き、実体から注意を奪う。猫嵐の風が灯を揺らす。揺れは影をずらす。影がずれれば、暗殺者の精度は落ちる。

 アガニオの火は“刃”にならない。回廊の壁へ灯りとして宿り、影の輪郭を太らせる。太った輪郭は、切りやすい。

 獅王は背中に回り、短い笑いをひとつ落として、刺客の手から管を盗む。盗ったものは投げ捨てない。証拠は後で役に立つからだ。

 刺客は退き際に笛を吹いた。空気が一瞬で乾き、回廊の花が紙みたいにしわを寄せる。私は潮膜を重ね、花に薄い水を与えた。花が音を吸って、“ありがとう”と言ったように見えた。花に礼を言われるほど、人は救われる。

 斬り結びの間、燈司の肩が浅く裂かれ、制服の布が赤を吸う。彼は前を向いたまま笑った。

 燈司「生きてる、という証拠。俺はまだ記録できる」

 笑いは作り物だ。だが作り物の笑いは、背中の味方を安心させるための正しい偽物だ。私は喉の奥で自分の名を呼び、湿りを確かめる。

 ネライア「ここにいる。ここにいる」

 潮譜の反響に、私の声が重なる。渇きは退いた。退いた跡に、冷たい空気だけが残る。空気の冷たさは、恐怖の名残ではなく、余白だ。余白があれば、記録は読める。


 刺客を捕縛しようとして、狩真が首を振った。

 狩真「逃げるべきルートを、最短で用意してある。内側の手引きだ」

 燈司が拾った短い布切れに、王都正規兵の徽章が縫い付けられていた。乾いた銀。海の塩より、裏切りのほうがよく錆びる。

 猫嵐「“誰”の顔をしてても、“どこ”に立ってるかで判断しよう。顔は偽れるけど、立ち位置は長く偽れない」

 獅王「位置は剥がす。剥がして、裏も表も同じにする」

 言葉は乱暴だが、乱暴の裏に手順がある。私は潮譜を静かに解き、回廊の花へ最後の一滴を落とした。花びらがしっとりと光る。音は戻っている。戻った音に、私は次の段取りを重ねる。


 燈司が帳面を開き、素早く走り書きする。

 燈司「“無潮霧”の再発は谷がいい。風が溜まり、霧が座を得る。黒い柱の分身が現れたら、二和音では足りない。三和音を使う」

 アガニオ「言われなくても、風を呼ぶ。火と水だけだと、蒸気は輪にならない」

 私はうなずいた。

 ネライア「門を作る。閉じるための門。開けるための門じゃない」

 猫嵐が杖をくるくる回し、軽口で緊張を薄める。

 猫嵐「じゃ、僕は大黒柱。責任重大って言われるの好き」

 狩真が短く笑い、すぐ無表情に戻る。笑いは稀少。だから価値がある。

 私たちは回廊を抜け、夜気の濃い外気に胸を開いた。音は、まだここにある。名も、まだ。

 私は声に出さずに言う。疑うのは毒。でも、毒を見ないふりはもっと毒。

 毒の扱い方は、手順に似る。三和音の門――その手順を完成させる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ