第2話 ネライアという名前
王都アクア=リギアは、運河が巨木の根のように絡む海上都市だった。水面に浮かぶ大理石の回廊、雲を映す尖塔、潮風に揺れる色とりどりの帆布。そこに立つと、かつての“私”はとうに遠い。
「ネライア」
――新しい名は舌の上で波のように転がる。そこには“不確かな自分”を塩で洗い流す感触があった。
女王の私室で差し出されたミルク色の飲み物は、舌に乗せた瞬間ふわりと潮の香りを弾けさせた。
「次代の女王候補として、礼儀と統治学を学んでいただきます」
エルフィラの言葉は柔らかくも逃げ場を与えない。
“普通でいたい”と“何者かになりたい”――相反する欲望が胸で泡立つ。
講義室では老魔導士たちが古代語の詠唱を教え、武芸場では騎士が木剣を振るう。私はそれらを“初めてなのに懐かしい”と感じた。筋肉が動きを思い出す前に、心が動きを知っていた。まるで以前――いや、前世としか呼べぬどこかで、同じ波形を辿っていたかのように。
夜。専用塔室のバルコニーから見下ろす星の海。私は手すりを握り、囁く。
「私は誰になるためにここへ来たの?」
潮騒は答えず、月だけが銀のトライデントを描くように光を屈折させていた。




