表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
波と炎は恋に落ちる-継承者ネライアの異世界予言録-  作者: NOVENG MUSiQ
第2章 潮は誓いを、炎は代償を――交響の序曲
19/22

第19話 砂上の契約書

 潮騒の聞こえない海岸は、海でありながら砂漠の顔をしていた。風は吹くのに、波は鳴らない。音がどこかに隠れている。隠れんぼの相手が玄叉だと思うと、私は胸の奥の砂時計をひっくり返したくなる。

 リコイが白砂へ指で線を引いた。砂の粒は月光を拾って、紙より冷たい紙になった。彼が書いたのは“もし~ならば”の連なり――交換条件の文法だ。

 リコイ「渇きは交換が好きだ。君の波が世界の端で蒸発する代わりに、城の中心は救われる。あるいは、火の紋が燃え尽きる代わりに、君の名は残る」

 文の主語はすべて“渇き”。渇きが条件を提示し、人がうなずく。うなずきは礼儀かもしれないが、首を差し出す角度でもある。

 アガニオが靴裏で線を踏み、文字を崩した。砂がざり、と音を立てて元の砂に戻る。

 アガニオ「取引相手に礼儀は不要だ。条件は奴の言葉だろ。俺の火は俺が決める」

 彼の物言いは乱暴に聞こえるのに、倫理の芯がやわらかく光っている。私はその光を頼りに、砂へ膝をついた。砂は冷たく、手のひらの熱を盗む。その盗難を許すかどうかは、私の選択だ。


 穴の位置は、燈司がもう地図に落としている。潮燈祭で“消えた”灯――世界から切り取られた夜の断片。彼は小さな記号で穴を挟み撃ちにするように記していた。

 燈司「穴は縁が重要だ。縁はすぐ磨耗する。今日見た縁は、明日には少し崩れている。記録し続ければ、穴の“成長方向”が読める」

 読む。読むことは、戦う前段だ。読むのを怠ける戦いは、たいてい体力だけを消費して終わる。私は紙の匂いがしないこの海岸で、紙より厚い決心を探す。

 ネライア「――条件じゃない。私たちの側に、約束が要る」

 口に出すと、喉が濡れた。渇きに向けて、湿度で殴り返すみたいな感覚。

 リコイ「約束は弱い。だから、渇きはそれを笑う。けれど、弱さに触れると渇きは揺らぐ」

 弱さ。私は弱さを嫌っていた。けれど、名を呼ばれる瞬間の私が強いかと問われれば、違う。名を呼ばれる私は、居場所に縫い付けられた“弱い存在”だ。だから、守る。


 私は砂へ三つの印を刻んだ。

 ひとつ、名を売らない。勝利のために誰かの名前を、“消す”側の計算に載せない。

 ふたつ、火は灯り。刃にしない。人を照らす用途を最優先にする。

 みっつ、風を借りる。二つの和音では足りない。三つで“門”をつくる。

 猫嵐がその三つの印の上に、いたずら描きのような円を付け足した。

 猫嵐「“門”の予告編だね。予告編はネタバレじゃない。来るものの形に身構えさせる礼儀」

 狩真は黙って、砂の端を刀身で撫でた。線は消えない。消えない線は、約束に似ている。

 獅王「穴は嫌いだ。獲物が逃げるから。だから埋める。俺は作業が好きだ」

 作業。そう、戦いは作業の積み重ねでいい。英雄譚に酔って足を滑らせるより、泥の上で手順を守るほうが、誰かの名を守れる。

 アガニオ「約束、いいじゃないか。俺にも一本、貸してくれ」

 ネライア「貸すんじゃない。結ぶんだよ」

 私は三本目の線に自分の名を小さく書き、すぐに掌でぼかした。約束は読める必要はない。残る必要がある。


 潮風が、風であることを思い出したかのように吹き、砂上の文字の角を丸めた。約束は消えかける。消えかけるから、繰り返す。

 リコイ「次に向かうべき場所は、砂の下にある。蒸気の地図が示す最奥――渇海廟。王権の印が“意味を反転”させられた場所」

 王権の印。エルフィラの優しさが刃に変わりうることを、私は理解している。理解しても、彼女の手は温かい。矛盾は、理解の手すり。私はその手すりに体重を預け、立ち上がった。

 ネライア「行こう。穴の根を見に」

 夜の海は黙り、砂は私たちの足音を記録した。音は、まだここにある。記録も、まだ。約束も――まだ、ここに。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ