7.魔法
ずっと、使える様になりたいと思っていた、その力を目の前で見て、驚きに固まってしまう。
「魔法……」
あの一瞬、ふわりと周りの空気が暖かいものに包まれたように感じた。濡れていたしみも瞬時に消え、元通りとなっている。
確かに魔法が使えればこんな慌てる事もなかったのかもしれない。慌てていた自分が恥ずかしくなる。魔法が使えない私にすれば、その考えに至らないのも仕方がない。
この国には、私以外には魔法使いの血を引くものはいないと言われていたけれど、この夜会は特別なものだ。お披露目の場であるのだから、多少なりとも他国からも来客はある。そしたら魔法が使える人がいても当たり前だろうと思った。
「こんなのは大したことない」
「慌ててしまいお恥ずかしい限りです。私も魔法が使えたらよかったのに」
「この国の人々にとって魔法は遠いもののようだからな。しかし、魔法に興味があるとはね……」
「残念ながら素養がないと言われました」
真剣な表情でこちらを見るものだからどきりと心臓が高鳴る。
「そこまで落ち込む事はない。君でもこのくらいすぐ使える様になる」
「本当ですか?」
「この地の者は皆、魔法を使う事を忘れてしまったからな」
この地はドラゴンに守られている。嘗てここに国を建てた魔法使いの一族はこの土地を譲り受け約束を結びこの地で暮らす様になった。人間と竜人の取り決めで供物を捧げる代わりに、彼らがが人々を守る。そういう約束が遥か昔に結ばれたのだという。
他国からの援助もあり、魔法がなくても生きていける様になり、人々は次第に魔法を使わなくなった。魔法を使わなくてもドラゴンが守ってくれるから、その力を使う必要は無くなったのだ。王族には優れた魔法使いが幾人もいたが、今となっては過去の事だ。今更になってその力を惜しく思ったのか魔法使いの待遇改善に努めているようだが、他所からわざわざこの国に移住する魔術師はいない。何十年と遅れた魔法しかないこの国に、力を貸そうという変わった人はいない。
「君は魔法が使いたいのか?」
「それは勿論。使えたら素敵だと思います」
「こうして出会ったのも何かの縁だ。教えてやろう。私が見る限りでは、君には魔法の素質があると思うが」
そう言うと目の前の美しい男性は微笑んだ。
魔法が使えることと、この国の舞踏会などでも見かけた事はないことから、きっと他国から招かれた貴族であることは間違いない。けれど私に魔法を教えようなどと言ってくれる人がいるとは思わなかった。私の存在は他国の魔法使いからしたら、ある意味有名だろう。魔法使いの血を引く唯一の生き残りなのに、全く魔法を使うことができないのだから。
「そんな、でもよろしいのですか?」
「ミラには、あの時の借りがあるからな」
ミラと呼ばれ、私は彼に名乗っただろうかと疑問に思うが、未来の国王の妃としてそれなりに夜会にも参加をしている。名を知られていてもおかしくはない。私を知っていても、教えようとしてくれるこの人の優しさが身に染みた。それに、今言われた借りという言葉のほうが気になった。
「借り、ですか?」
「ああ。昔の事だから、覚えていないだろうが――」
こんな素敵な人に貸しを作った覚えはなく、彼が何かを言いかけた時、その言葉を遮る様に名を呼ばれた。
「ミラグロス!」
そこには血相を変えたお義父様とお義母様の姿があった。
「また何かしでかしたのではないだろうな!?その、そのお方は……」
わなわなと肩を震わせるお義父様。まるでこの男の人の側にいること自体がありえないことだというような反応だ。
この方はいったい何者なのだろうか。高貴な方である事は雰囲気から何となく察してはいたが、彼はそれを噯にも出さず、飲み物を溢してしまい焦る私を落ちつかせようとしてくれたのだ。
「彼女とは少し会話をしていただけです。お気になさらずに」
私を庇う様に一歩前に出た男の人の言葉を聞き、彼の言葉を聞き何もない事が分かると安堵したようだ。そしていつもの小言を言い始めた。
「くれぐれも、ノーラに恥をかかせる様な真似だけはしないでくれ。今ノーラは大切な時期なんだ。分かっているな」
「本当ですよ。殿下にも迷惑がかかりますからね」
「それと、そちらの方にも粗相がない様に!」
お義父様とお義母様は離れていった。もう要はないと、あの二人の側へと戻ったのだろう。
「お騒がせしてしまい、申し訳ありません」
「気にしなくていい。これは元々私の不注意だから」
「義父とは、知り合いなのですか?貴方の事を知っている様子でしたから」
「そうだな。王宮に出入りしている大人なら、誰でも知っているだろうな」
「そうだったのですか?私はお会いした事が無かったため、存じ上げておらず、申し訳ありません」
あのお義父様とお義母様の慌て様は、彼が只者でない事が伝わってくる。あの目はまるで恐怖でも抱いているかのようなものだった。そんな方と私がこれまで王宮にいて一度も顔を合わせていない事にも驚きを隠せないが、きっと私と彼が会う事に何か不都合でもあったのだと考えるのが妥当だ。王族に名を連ねることもなくなった今、そのことを知る必要もない。
「君とは会う場が設けられていなかったからな。だが、いずれ分かる事だ。そういえば。ミラ、君が王子の婚約者ではなかったのか?以前届いた式の招待状にはそう記載されていたのだが」
また彼にミラと呼ばれてどきりとするも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。最初からそう呼ばれていた様な、名を呼ばれることに安心する。
「色々あって妹が殿下に嫁ぐ事になったのです」
「そうか、すまない。嫌な事を聞いたな」
「いえ、気にしていませんので」
笑みを浮かべれば彼はほっとした様に微笑んだ。
「それなら気兼ねなく話ができるな。ミラは魔法を教えるという話をしていたな」
「はい、その、ご迷惑でなければお願いしたいです」
既に飲み物をかけるという失態をしでかしておいて、図々しいと思ったが、魔法への興味の方が強く、私は男の人の誘いに乗ってしまった。
「そうか。迷惑だとは思っていない。君が望むのなら力を貸そう」
「ありがとうございます」
「それならまずは体内に魔力を流すのだ」
「流す、ですか?」
「ああ、そうだな。ちょっと失礼」
彼は私の背後に回ると、背に手を触れて魔力を流すイメージを教えてくれる。
「ここに力を集めるようにイメージするんだ」
「難しいですね」
距離が近く感じる。密着するような体制になり、緊張感が増す。
「魔力を流してもよければ、君もイメージを掴みやすいだろうが」
「それは、やってもらうことはできるのでしょうか?こんな魔法を教えてもらうことも図々しいお願いだとは思うのですが、ここまできたら、魔法を使える様になりたいのです」
「いいのか?私が君に魔力を流しても」
「頼める人もおりませんし、迷惑でなければお願いします」
「君が構わないなら、そうしよう」
そっと支えるように背中に手を添えられる。聞いたことのない言葉を彼が呟き終わると、何故だか手の触れた部分から力が湧いてくるようなそんな気持ちになった。
「どうだ?」
「なんだか、暖かいような感じです」
「それが魔力だ。君の身体にも魔力がしっかりと巡り出した証拠だ」
これが魔力。まだ実感の湧かないまま私も魔法が使えるかもしれないと思うと胸が高鳴る。
「慣れない者は、杖などを使うこともあると聞いたことがあるが、生憎今は持ち合わせがなくてな。慣れればそんなものなくても使える様になるだろう」
「杖ですか」
「そうだ。そういった基礎的なことも本来は魔法書に書かれているはずだが、この国はどうなっているんだ?」
呆れた声が頭上から聞こえる。
「そういった書物は殆ど失われてしまったと言われました。それでも魔法使いの一族の末裔として、王家に保管されていた一冊の魔法書を参考に魔法を使う勉強をしてはいたのですが、教師もおらず難しく」
「当たりまえだ。師もおらず、一人で使える様になるのは生まれながらの天才くらいだろう。そんな者がいるなら、お目にかかってみたいものだ」
それでも、ノーラは殿下を救ってみせたのだ。私にはできなかった。この人ように、頼れる魔法の先生がいたら、私が殿下を救えたのだろうか。ノーラは皆から愛されて、必要な時に魔法を使うことができるような選ばれた人間だったのだ。それを羨ましく思った。