6.誰のための幸せ
「ケイリー様の婚約者になったなんて、まだ夢みたいです」
「俺もノーラが隣にいるなんて、夢みたいだよ」
二人が見つめ合い、幸せそうに笑う姿を一歩離れた場所から見守る。
「ノーラ、幸せになるんだよ」
両親や国王陛下達に囲まれ談笑するノーラと殿下は、側から見てもとてもお似合いで、まるで絵に描いたような、家族団欒の様子だと思った。
王城では夜会が開かれていた。
元々小規模な夜会の予定があったのだが、ノーラが人前で大々的に発表を望んだ為に、急遽人を集め開催する事となった。そんなノーラの我儘を叶えようと、殿下が奔走したのだとか。
「本当にお似合いだわ」
「あんな風にお互いを想い会えるような方と幸せになりたいわ」
「二人共幸せそうで羨ましい」
「あんなに殿下に愛されて、ノーラ様は幸せ者ですね」
羨望の眼差しで皆から見守られ、祝福される二人の存在を、遠くに感じる。誰もが二人の幸せを願っている。こんなに喜ばしい事はないと皆が讃え、温かい目で見守っている。私もそんな風に祝える事ができれば良かったのに。
これから先、元々は私と婚姻関係にあったが、様々な障害を乗り越えて二人は結ばれたと美談の様に語り継がれるのだろう。二人に都合のいい様に。
「まさかケイリー様にドレスを贈って貰えるとは思わなくて驚きました!素敵なドレスをありがとうございます」
「俺の見立て通りだ。良く似合っているよ」
「嬉しいです!」
擦り寄るノーラとそれを微笑ま見つめる殿下。
私との婚約破棄が決まってから急拵えで作られたそのドレスは、一流のデザイナーが作ったオーダーメイドだという。殿下がノーラの為に一緒に選んだ物なのだと聞かされ、過去を思い出す。私の結婚式で着る予定だったドレスは、一緒には選んでくれなかったというのに。どれでも君の好きな物を選ぶといいと、立ち会ってくれる事もなかった。
それなのにノーラにはただの夜会の場で着るためのドレスを選んで贈るのだから、私への感情は全くなかったのだと思い知り、ずきんと胸が痛む。結婚式のために折角造られたあのドレスは日の目を見ることもなく、可哀想だと思った。
ノーラを大切にしている事をまざまざと見せつけられている気分になる。もう、家族の挨拶も済んだのだから、この場を離れても文句は言われないだろう。居た堪れなくなり、そっとその場から離れた。
沢山の招待客がいるため、今まで殿下の付き添いで会話した事のある人の姿を幾人も見た。これまでは親しげに話していたとしても、今となっては他人だ。あちら側も私に干渉してくる事はない。彼らは私が殿下の婚約者だったから話をしていただけ。その肩書きのなくなった私と個人的な繋がりをもちたいなどと思う人はいない。私の周りにいた人々は皆殿下の知り合いしかおらず、友と呼べるような親密な間柄の人々は一人もいなかった。
――だから私は、今一人なのだ。
一応婚約者の家族としてこの場に招待されているため、参加しないという選択はなく、ただ誰と会話をするわけでもなくこの会場を彷徨っている。
婚約者としての期間が長かったので、私の顔もそれなりに知られている。急に婚約破棄され、妹に鞍替えされた、訳ありの令嬢に自ら首を突っ込み関わって来る者などそうそういないだろう。中にはそういうのを気にしない人もいるだろうが、そういう人はまともではない。何かしら問題を抱えていたり、性格に難があったりと、普通の人に相手にされない様な人であることに違いはない。面倒ごとになるのは避けたいと、なるべく目立たない所を探していた。
この会場にいるだけで好奇な目に晒されるのだ。式が終わらなければ心が休まる事はない。とってつけた微笑みで会場を彷徨い、早く終わることを願っている。居場所のない私を早く解放してほしかった。勝手に帰ることもできないのは、私はこの後殿下との約束を果たさなければならないからだ。
殿下との先ほどの会話を思い返す。
「ミラ、結婚パーティーが終わったら、君に相応しい相手を紹介しよう。辺境伯の長男だ」
「殿下にそこまでの事をして頂かなくて大丈夫です。その方も私ではなくもっと相応しいお相手がいらっしゃるでしょう」
「彼も君に会いたいといっている。一度だけでいい、会ってはもらえないだろうか」
「……殿下がそこまで仰るのでしたら。殿下の顔に泥は塗れませんから」
「よかった、ありがとう。君には幸せになってもらいたいんだ」
「殿下に幸せを願ってもらえるだなんて、無相応なことです」
「殿下だなんて、他所よそしい呼び方は辞めてくれ。今まで通りに接してほしい。俺たちは幼馴染のように育ったじゃないか」
「いえ。そういう訳には参りません。もう殿下は私の婚約者ではないのですよ。殿下ももう私の事はミラとは呼ばないで下さいませ。ノーラに何か言われてしまいます。ご存知かとは思いますが、あの子は結婚嫉妬深いのですよ。せっかく結ばれてまもないのに、こんなことで不興を買いたくないでしょう」
「……わかったよ、ミラグロス嬢」
殿下は変わらずに私を親しげにミラと呼ぶ。それをノーラが聞いたらどう思うのか、少しも考えもしないのだろう。
行き交う人々をぼんやり見つめる。
お義父様には、この縁を無駄にするなと釘を刺されていたが、それでもやはり断りたい気持ちも強かった。結局会うことになってしまったけれど。
渋々納得した風に頷いてくださった殿下とは、もう元の様な関係には戻れないのだ。せめていっその事、他人の様に突き放してくれたらいい。私の事など忘れて二人だけの愛しい時間を過ごせるというのに、どうしてこうも私に構うのだろうか。誰もが殿下を無条件に信頼し、慕っている訳ではないというのに。その優しさが私の苛立ちを増長させているとも知らずに。
そうまでして私の相手を決めたいのは、後ろめたいからなのだろうか。それとも、何が別の理由があるのだろうか。
殿下は言った。私に幸せになってほしいと。その幸せは誰のため?そもそも幸せとは何なのだろう。私には最初から縁のないもの。幸せも、家族も、愛も。どんなものか分からないから、全て手に入らない。
考え事をしていたせいで、不注意で誰かにぶつかってしまう。
「ああ、すまない」
「申し訳ありません……!」
ぶつかった拍子に、手に持ったグラスの中身がかかってしまった。さっと血の気が引いていく。粗相を犯すたび酷く叱られ打たれた記憶が蘇り、身が竦む。何度も頭を下げる事しかできない。
騒ぎを起こしたのが私だと知れたら、今すぐにでも屋敷に連れ帰られ折檻されるだろう。これが殿下の婚約者としての出来事だったのなら、王家の名に泥を塗るつもりかと、尚のこと私は責め立てられていただろう。なんの後ろ盾も無くなった今の私の方が立場として危うい状況のように思える。私の首ひとつで足りるだろうか。
「いや、こちらの不注意だ。よく見ていなかった私が悪いのだ。……顔をあげてくれ」
優しい声色に恐る恐る顔を上げる。青みがかった艶のある髪に、蒼玉色の瞳が目に入る。そこには長身の男性が立っていた。
「君は……」
一瞬驚いた顔をしていたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて私を見つめていた。思わず見惚れてしまい棒立ちになっていたが、はっと我に返った私は持っていたハンカチで濡らしてしまった彼の服を拭いた。染み込んでしまっては、この素敵な服が台無しになってしまう。
「失礼します。まだ、未使用ですので」
「そこまで気にしなくていい」
「いえ、そういう訳にはいきません。素敵なお召し物が染みになってしまいます」
「そうか。なら」
彼がふわっと手を翳すと青い光に包まれる。染みになりかけていた部分は、あっという間に乾き、どこが濡れたのかも分からなかった。一瞬の出来事に、何が起きたのか分からなかった。