32.記憶
デューク様は届いた手紙を仕訳しながら顔を顰めていた。
「またミラ宛の手紙だ。一体何通目だ?」
差出人の名前を見て目を細めたり、ため息をついている。
先日の陛下との謁見は、関係者のみによって行われたもので内々に処理されたようだったが、デューク様が女連れで王城に訪れたのを見た人も多く、私と取り入ろうとする者は後を立たないという。デューク様の屋敷だというのに、私宛の手紙が何通も届くようになった。
神殿の関係者もその場にいたのか、どこかで話が漏れているのかは分からないが、私の魔法の効果を知り、その素晴らしい力は正に聖女だと、是非とも力を我が神殿でふるって欲しいと言う要望がびっしりと詰まった手紙が毎日送られてくるようになった。更には、必要に応じて後ろ盾にもなるという。確かに私はなんの後ろ盾もない人間の平民と変わらない。いくらデューク様の番であろうとも、後ろ盾はあるに越したことはないだろう。
「この神殿からのお誘いは、とても魅力的なものではないでしょうか?」
「必要ない。ミラが何者であろうと、私が選ぶのはミラだけなのだから」
当たり前だとばかりにそう言うデューク様によって、手紙の返事は出された。これ以上私との時間を奪われるようなことがあってはならないと、いう強い意志を感じる。
「何か依頼があるのなら、国王に直接依頼をしろと書いた。これで当分は大人しくなるだろう」
国王の名を出されては、迂闊にデューク様に手紙も出せなくなるだろう。この間のことを根に持っているのは確かで、意趣返しのつもりなのか、面倒事はそっちで処理しろとばかりに丸投げしたようだ。
「だからどこにも行かないでくれ」
後ろから抱きしめられ、すっぽりと覆われるように身動きが取れない。
「私はここにおりますよ。デューク様、少し苦しいです」
「すまない」
抱きしめられる腕は少しだけ緩められたが、離れる気はないようだ。言葉でも態度でも示すというのは本当のようで、共にいる時は片時も離れず、こうして距離が近くなった。
これには私も驚いた。少し近いと言うことを伝えたが、「嫌なのか」と言ったデューク様の顔が寂し気で、嫌とは言えず、今に至る。嫌なわけではない。けれどこれでは心臓がいくつあっても足りない。時間とともに慣れるだろうと思っていたが、まだそれは難しかった。
寝る時以外は側にデューク様がいて、私の気持ちの準備ができたら寝室も共にしようと言われた。それは私が一緒に今夜から寝ましょうと誘わなくてはならないのかと思うと一気にハードルが上がってしまう。どうしたらいいのか、悩みはつきない。
自分一人ではどうすることもできず、その日の夜は自室で一人眠りについた。
◇
「まってー」
いつもより視線が低い。走っているのだろうか。
その時俯瞰するように視点が切り替わった。これは、子供の頃の私——?
どこかに向かって走っていると、写真でしか見たことのない、お父様とお母様、それからお兄様が目の前にいる。
笑っている。動いている。
——そうか、これは夢なのか。受け入れてしまえば、悲しいもので、ふっと現実に意識が近づいた。
「ミラ、こっちよ」
「おかあさま!」
抱き上げられる私は、随分と今よりも小さい。
夢ならまだ醒めないで欲しいと思った。その願いが届いたのか、夢はそのまま意識がある状態で進んでいく。
いつの間にか馬車の中に場面が切り替わる。
「今日は大切な会がある。そこに皆で呼ばれているのだ」
「そうなのですね。ここに来るのは俺も初めてです」
お兄様とお父様の話し声。馬車に揺られて窓から見える景色は一面緑で深い森の中のようだった。そうして、どこか分からない森の奥にある、屋敷に辿り着く。
抱きあげられていた身体は地面に下ろされて、辺りをきょろきょろ見回している幼い私がいた。
「よく来てくれた」
幼い頃のデューク様がいた。側にいたのは、護衛の騎士たちと見慣れない大人の竜人だ。
「はじめまして!」
にっこりと笑いかけた自分にデューク様が視線を合わせるように屈んで何かを話してくれた。その話を聞いて、喜ぶ私の笑い声、ふわりと吹いた風の音。
頬を伝う冷たさで目が覚めた。
「夢……」
幸せな夢だった。あのまま、ずっと一緒にいられたら、どれほどよかっただろう。そう考えると自然と涙が溢れてきた。
忘れていた過去を思い出して、どうして忘れてしまったのか、その時の私になんとかできなかったのかという後悔が溢れてくる。どうして今更思い出してしまったのかという気持ちと、真実を知りたいという気持ちがせめぎ合っていた。
それでも失った記憶の一部を取り戻すことができただけでよかったと思うことにして、ベッドから起きあがった。
デューク様は早朝から出かけており、夜に帰るとのことだった。私は彼の帰りを待って、今日思い出したことを確かめたいと思った。
「最近寒い日も出てきましたが、今日は暖かいですね」
エルナと共に庭を散歩するのも当たり前になっている。冬が近く、秋の花も見頃は終わってしまった。この地域はそれなりに雪が積もるという。雪遊びなんて久しくしていない気がする。
「雪はあまり経験がないの。だから楽しみだわ」
「雪が降ったら、雪だるまでも作りましょうか?」
「それはいいわね」
久しくしていないだなんて、一体誰といつしたのだろう。それもきっと失われてしまった日々の中にあったのだろうか。
考え込んでいるとふと頭の奥で、私を呼ぶ声が聞こえた。その時風が強く吹いた。日傘が風に煽られ、日差しが目に降り注ぐ。その光を受け、目の前がちかちかと光った気がした。
——あぶない!
突如現れたローブを纏った怪しげな者が、
命を狙われた時、幼い私が魔法で、デューク様の命を救った。かすり傷程度の怪我をした彼を見て涙を流し、祈るように魔法を使った。
「——様、ミラ様」
「エルナ?」
「大丈夫ですか?少し、顔色が悪い様です。ここではないどこかを見ているようでした」
エルナの瞳は心配気に揺れている。
「なんともないわ。少し、昔の記憶が蘇ってきただけなの」
エルナには、私の記憶がないと言うことも伝えてある。だからその記憶が蘇ったともなれば、大層心配されて、散歩は取りやめすぐに部屋に戻るように言われた。
自室で安静にする様に言われ、ソファーに腰掛けてお茶をいただく。
「みんな心配性なのね」
「当たり前です!デューク様の大切な人なのです。何かあっては顔向けできません。それに、人間は龍人とは異なり、脆いですから。私たちには問題ないことでもミラ様からしたら大事になる可能性もあるのですよ」
エルナは珍しくお説教というような顔つきでこんこんと私に命の大切さを説いた。
「ごめんなさい。心配かけてしまったわね」
「ミラ様、そういうときは、ありがとうでいらいのですよ」
「ありがとう、エルナ」
「いえいえ。この話は、デューク様には?」
「まだできていないの。今朝話したかったのだけれど、既に家を出た後だと聞いたから」
「今日は急ぎの用事で城に行っておりますからね」
後から話を必ずするように念押しされた。番のことはなんでも知りたいと思うものだそうで、隠し事はもちろん自分が知らないことを他の人が先に知ってしまうというのも嫉妬の対象になるのだとか。
「今回の件は仕方ありませんが、私もデューク様から恨みはかいたくないので」
「エルナに嫌がらせをするようなことがあれば、ちゃんと私が怒りますよ。こら!って」
「ふふ。ミラ様は強いですね。ありがとうございます」
私の話がつぼに入ったのか、エルナはひとしきり笑っていた。
何が引き金となったのかは分からないが、その後もぽつぽつと、ふとした瞬間に私の知らない出来事が頭の中に浮かぶようになった。私が忘れてしまった、昔の記憶。思い出すその度に私は一人であることを実感する。それが苦しくて切なくて。
でもどうして家族が死んでしまったのか、それだけはいくら考えてもどうしても思い出せなかった。




