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目に見える成果をだしたノーラを持ち上げる声が大きくなるのに時間はかからなかった。とはいえ、後天的に魔法が使えるようになることなど前例がないとされ、訝しむ声もあったが、奇跡や、まるで愛の力だと物語のように市井では持て囃されるようになった。そういう話が大好きで、その声も後押しとなりノーラの名声は高まっていく。
魔法使いが殆どいないこの国では、突然使えるようになったことに違和感を覚える人々はおらず、祝福する声は大きくなった。それも治癒魔法が使えるようになったことで、人々の期待は高まった。またこのような病で苦しむ人が出たとしても、助けてくれるのではないか――と。
それ以降ノーラがいくら魔法を唱えても成功することはなかったが、初めてのことでまだ身体が追いついていないのだろうと、ゆっくりと時間をかけて教育していければいいと話はまとまった。
治癒魔法は、清らかな心を持つ人が使えるようになる魔法だとされている。残された文献にそう記されていた。治癒魔法の使い手はどこの国でも喉から手が出るほど欲しい貴重な存在だった。
そんな彼女を王家の一族に迎え入れたいと考えるのは当然の事だ。他国や他の高位貴族との婚姻で、彼女をみすみす逃し、力をつけられててしまっては困るというのが王家の考えだろう。
私とこれまで過ごしてきた時間も、その努力すら霞む程のものなのだ。魔法使いの一族の末裔だとしても、一向に芽が出ない私に見切りをつけ。治癒魔法が使えるノーラを妃に据えただけのこと。
魔法が使えない分、他で補える様に研鑽を積んだつもりだったが、それでも最後に選ばれるのは、才能のある人間だけなのだろう。
「レニエ侯爵には、既に話をしている。急な事とこちらの身勝手な話で申し訳ないと思う」
育てた血のつながらない子供よりも、実の娘が求められたのだ、レニエ侯爵としても二つ返事で了承したに決まっている。この絶好の機会をみすみす逃すようなことをするはずがない。
彼の言う急な話とは、既に結婚式のドレスの手配は済んでいて、式場の日取りも決めていた事に対してだろう。招待状も滞りなく送り終えたと聞く。結婚式は半年後に行われる予定だった。
彼がこんなにぎりぎりまでこの話を言い出せずに居たのは、きっと情が湧いての事だろう。けれど考えた結果がこれなのだと悟る。だからこそ悲しかったのだ。昔の様にミラと名前を呼び笑いかけてくれる彼はもう居なくなってしまったのだ。
どうして世界は不平等なのだろう。ノーラは親からの愛情も、その愛らしい顔も何でも持っているのに。妃教育も受けていない彼女の方が未来の王妃として相応しいと見なされたのだから、これまでの人生を否定されたようだった。
「君は俺には勿体ない程に何でもできる。だから君にはもっとふさわしい人が居るはずだと思うんだ」
「そうですか。もう話は済んでいるのですね。……それでしたらその様にして下さいませ」
ここで泣き叫びでもすれば、ケイリー様は私を選んでくれるのだろうか。けれど私はそうする事はしなかった。縋りつき二番目の妃として迎え入れられたとしても、ただ私が惨めになるだけだ。
どこか安堵したような彼を見ていると、きっと物分かりのいい私ならそう言ってくれるだろうと分かっていたようだ。最後まで私は彼の思い通りのつまらない女で、そんな選択しかできなかったのだと思い知った。
「せめて、君が幸せになれる様にこちらから相手を紹介したいと思う」
「いえ、そこまでして頂く訳には参りません」
「これがせめてもの償いだ。俺はミラの幸せを願っている」
「そうなのですね、ありがとうございます」
いつもの様に微笑めば、ぱっと満面の笑みを返してくれる。私がケイリー様と妹の幸せを心から祝福していて、それでいて私が彼を慕っていると微塵も疑わない、その思考回路をも少し見習うべきなのかと考えてしまう。けれど今はそんな彼の純粋な気遣いが煩わしかった。どれだけ私を惨めにしたら気が済むのか。
元婚約者に相手を紹介されるなど、そんな惨めな事があるだろうか。たとえ婚約を破棄された事で悪い噂が流れ、相手が見つからなかったとしても、そんな気遣いは望んでいない。その中途半端な彼の優しさが、更に私を苦しめるのだ。
「その件についてはまた改めさせて下さい。それまでにどうするべきなのか、私も今後の身の振り方を考えておきますので、この話はここまででお願いします」
これ以上の会話は必要ないと私は立ち上がり終止符を打った。
私は二人の関係に薄々気づいていたけれど、何もできなかった。ノーラが想いを寄せる事も、彼が徐々に惹かれている事も。気づいていたのにそのままにしていた。私が婚約者だから大丈夫だとどこかで安心していた部分もあった。
けれど、現実は御伽噺の様に私を幸せにはさせてくれないのだ。最後に選ばれるのは、力があって、愛されるべき人が全てを手にする。私にはそのどちらもなかった。それだけのことだ。
今、全く涙が溢れないのは、私が彼を愛していなかったからだ。だからこれは、仕方のない事なのだ。
まだ何か言いたげな様子の彼の視線を感じる。この話をこれ以上続けていても、惨めな思いをするのは私だけだというのに。立ち上がった私を、そんな目で見ないでほしい。これではどちらが別れ話を切り出したのか分からないではないか。このまま終わりのないこの会話を続けていても不毛なだけだ。私はそんな殿下を促す事にした。
「それでは殿下、早くノーラの所へ行って下さい」
「ミラ?」
「お話はそれだけでしょう?殿下には私よりも、一緒に居るべき相手がいるはずです」
「――本当にすまない」
颯爽と立ち上がり、振り返る事なく去っていく元婚約者の姿を見送る。彼の背が見えなくなると、私は再び席についた。そしてすっかり冷めてしまった紅茶に口をつけた。この冷たさが今は丁度良かった。
私はティーポットから新しい紅茶を注いで口につける。ポットの中は温もりが残っていたのか、先程よりも温かい紅茶を楽しむ事ができた。じんわりと冷え切った心が温まる。
「あたたかい」
遠くから彼とノーラが楽しそうに談笑する声が風に乗って届いた。私と一緒にいる時よりも、楽しそうに笑っているその声にどこかほっとしてしまう。それに気づいたのはいつの事だったか。そんな彼をもう名前で呼ぶこともないのだ。
彼が病気になるよりももっと前から、私よりも親密そうにしている二人を目にする機会が増えた。それを伝えれば、妹なのにそんな冷たいことを言うのかと、私の言葉を聞き入れる事はなかった。婚約者にまで愛想を尽かされてしまっては、私はまた一人になってしまう気がした。
それならば、多少の嫌な事も目を瞑るしかなかった。初めてお会いした時の、優しいあの笑顔と差し伸べてくれた手を失いたくはなかった。それを失うのが怖かった。あの時彼が向けてくれた笑顔に嘘偽りはないと信じていた。
しかし、永遠はなかった。“ミラ“と愛称で呼んで微笑みかけてくれる事も、私の頭を撫でてくれる事ももう無くなるのだ。そう思うと酷く悲しかった。
あの時もっとはっきり伝えていたら、何かが変わったのだろうか。もっとこちらから歩み寄って、お互いを理解すれば、私の気持ちももっと違うものになっていたかもしれない。
魔法が使えたのが私でなかったとしても、殿下と私の間に確固たる信頼関係や愛があれば、今この時も、殿下と楽しくお茶を飲んで笑っていられた未来があったのかもしれない。歩み寄る努力もしないで、側にいることだけを望むなんて。これはただの執着だと、自分でも分かっていた。
何もできないのに、好きになってもらえる努力もしていないのに、手に入るわけがない。全てもう過ぎてしまった事なのだ。今更悔いた所でどうにもならない事だ。
私はずっと、彼の妃になるためだけにあの家で生きてきて、育てられてきた。魔法の勉強は身を結ばず、殿下の妃になる未来もなくなった。何も叶えられなかった今、私は今後どうなるのだろう。義両親からは役に立たないことを疎まれ必要とされず、そして殿下からも必要とされなくなった。何のために、私はいるのだろう。
「――っ」
思わず頬を伝って涙が溢れる。こんな時も私に寄り添ってくれる人はこの世界には誰もいない。私は人知れず息を殺して泣いた。
この涙は悲しみか。それとも――。
私には分からなかった。
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