20.悩み事
次の日になると、エルナは普段通り仕事をしていて、朝は私を起こしに来てくれた。
「ミラ様、昨日はありがとうございました。おかげで息子もよくなりました」
「本当?大事にならなくてよかったわ。今日はそばについていなくて平気なの?」
「ええ。これも、お休みを下さったミラ様のお陰です。感謝いたします」
深々と頭を下げられて頭を上げるようにお願いする。
「私は何もしていないわ。デューク様がお決めになった事だもの。それに、当たり前のことよ。子供は小さいのだから、何かあったときは近くにいてあげなくてはならないわ」
「そんな風にミラ様のように、世の中寛大な心で送り出してくれるご令嬢ばかりではないのですよ。だからミラ様は寛大でとても尊敬します」
そんなことはないと思ったが、ノーラのように我儘な令嬢の付き人をしていたらそうも言っていられないかと思う。
「それでは私は少し席を外しますが何かあれば直ぐに呼んでください」
「いつもありがとう」
「とんでもないことです。それが私のお仕事ですし、ミラ様にお仕えできることは幸せです」
「そんな、大袈裟ですわ。何かあれば言うから」
その日あいにくの雨だった。この酷い雨では庭に咲いた花たちの花弁はみな散ってしまうかもしれない。
窓から庭の様子をみていると、デューク様がやってきた。
「ミラ、どうかしたのか」
「いえ、今日は雨なのだなと思って」
雨の日は、悲しい気分になる。殿下の病気が治り、ノーラが聖女として目覚めたあの奇跡の日のことを思い出すから。自分が無力な存在であることを何度でも思い知らされる。
重い空気になってしまっては、デューク様にも申し訳ない。花が散ってしまったら悲しいということを伝えれば、デューク様はそんな私の気持ちを讃えてくれた。
「ミラは花のことも心配しているのか。優しいのだな。庭師に防御の結界をはるように伝えよう」
「そんな、大切な魔法をそんなことに使わせてしまうのは……」
「ミラの国では魔法は貴重なものだっただろうが、そのくらいの魔法なら、この国のものはほとんどの皆使える簡単なものだ。だから心配はいらない」
「ありがとうございます」
「いや。私がミラが気に入ったあの花をいつでも見ていてほしいと思ったんだ」
私が花を気に入ったことをメイドはデューク様に伝えてくれたのだろう。すぐに部屋に飾られるようになった。ただの客人だというのに、細やかなところまで気配りされていて、なんだかそわそわしてしまう。けれど、その花を見ていると心が落ち着くので、皆の心使いに感謝していた。
「本当は街を案内しようと思ったのだが、今日は雨だから家でゆっくりしよう。また天気のいい日に君と出かけたい」
「勿論です」
絶対忙しい身だというのに、私と会う時間をこうして設けてくれるのは、この地に連れてきたことで寂しい思いをしていないか心配してくださっているのだろう。そのお心遣いに胸が温かくなる。
ただの人間の何も持っていない私が、ずっとここにいていいものなのか。そんな悩みが頭の中に広がったけれど、もう少しこの夢のような時間を過ごしていたいと願ってしまった。
「この屋敷にはそれなりに本がある。今日は一緒に書庫で過ごさないか」
「ええ、是非ご一緒させてください」
案内された書庫は広い屋敷なだけあって、とても沢山の本が置かれていた。
「こんなに沢山の本が」
「ここに置かれているものはどれでも好きなものを読んで構わない。一応さまざまな種類の本があると思うが、年頃の令嬢が好むような恋愛小説はそこまで多くはないかもしれない。読みたいものがあればすぐ手配する、すぐに教えてくれ」
「お気遣いありがとうございます。こんなに沢山の本があるのですから、それを読み終わるまでは他の本の出番はなさそうですね」
思えば恋愛小説なんて、忙しい日々の中で眼にする機会はなかったので、読みたいかと言われるといまいちぴんとこない。
席に案内されると、当たり前の様に椅子をひいてくれた。
「ありがとうございます」
慣れてきたものの、こんな風に気を使われたことはあまりないので、どんな反応をしたらいいのかと戸惑う。デューク様は向かい側の席に座り、用意した本を読み始めていた。デューク様の顔をちらりと盗み見る。本を真剣な表情で読んでいるその姿も絵になると思ってしまう。
すると視線が合いどきりと心臓が音を立てる。
「うん?」
「いえ、何でもありません」
盗み見ていたことや見惚れていたことをなんとなく知られたくなくて、慌てて視線を逸らした。
「ミラの視線を感じたんだ。特に何もないのならいいが」
感が鋭いことにどきりとしてしまうが、うまく誤魔化せたようだ。それから再び本を読み始めた。それを横目で眺めながら私も選んだ本を読み始めた。
どれくらい時間が経ったのか、かなり集中して本を読んでいたように思う。せっかくデューク様が一緒にいるのに、一言も会話をしていないことに気づく。
ふと顔を上げると、柔らかい笑みを浮かべているデューク様と視線が合う。さっきと同じ様な展開に、思わずどきりとしてしまう。見られていたと思うと、今までどんな顔で本を読んでいたのかと気になってしまった。
「あの、すみません。真剣に本を読んでしまっていました」
「気にしなくていい。読書に誘ったのは私のほうだからな」
そうして続きを読む様に促されるが、一度デューク様からの視線を感じてしまえば、再び集中して本を読むことは難しかった。これまでもそれに気がつかないでじっと見られていたなんて気恥ずかしく思う。
「デューク様は本を読まれないのですか?」
「ああ。今はこうして君を見ていたいからな」
「私を、ですか?」
「君も最初私の顔を見ていただろう?だから私もしばらく君を見ていたのだが、新しい発見があった。集中している顔も可愛らしいなと思って」
「え?」
やはり私がじっと見つめていたこと気づいていたのだ。その事実も恥ずかしいが、可愛らしいと、そんなことを真剣な顔で言われてしまうと、どう返していいか分からない。手で顔を覆ってしまう。
「やっと私の方を見てくれた」
そんな私の行動に気をよくしたのか、デューク様は嬉しそうに笑った。その笑顔にまた胸が高鳴る。
「折角一緒にいるのだから、ミラのことをもっと知りたいと思った。読書に誘ったのは私の方なのにな。見ているだけでも十分だが、色々話をしているほうがもっと楽しい」
「もう……デューク様ったら……」
私は照れ隠しをするように再び本に視線を落とした。しかしそれは逆効果だったらしく、今度は集中できないまま時間は過ぎていき、お昼の用意ができたと、エルナが呼びにきたことでこの空気から解放されたのだった。
◇
午後からも本を読んで過ごしていたが、デューク様はファリンに呼ばれ丁度席を外していた。
ずっと本を読んでおり目も疲れたことで、少し歩きたい気分になる。
「少し庭を散歩してきます、と」
書き置きを残し、私は庭に出る。日傘を差して歩き出す。
エルナも別の業務にあたっており、今は一人だった。いつも誰かが側にいる生活に慣れてきたが、たまに一人になりたいと思ってしまう。
庭には警備の騎士が配備されているし、それでなくても、私の命を狙う人なんていやしないと思うのだが、デューク様はかなりの心配症だ。とても優しい方で、ここでの暮らしは居心地がいいけれど、番の話を聞いてからより一層このままここに居座っていてはいけないと思うようになった。
もし、デューク様に番が見つかったら。きっとその番に夢中になるだろう。
エルナとファリンの昨日の様子を思い出す。は仕事中だからと律しているようだが、言われてみると二人の距離は近く親密であることがわかった。帰っていくときの二人の後ろ姿は寄り添っていてとてもお互いを想いあっているのだろうと感じた。もし、デューク様の番が見つかったとして、そんな中、知らない女が屋敷に保護されているともなれば、いい気分にはならないだろう。かといって、私にできる仕事があるのか。
考え事をしながらひたすら歩き回っていたせいか、普段踏み込むことのない、大分奥まで来てしまったようだ。
「ここは……」
どうやらこの生垣を挟んだ向こう側には、使用人たちの家があるようだ。広い庭に挟まれていると聞かされいたが、その奥のほうまで来てしまったのか、知らないうちに歩いていたようだ。元に戻ろうと思ったとき、草むらが揺れて子供の声が聞こえた。
「お姉ちゃん、だあれ」
「私はーーここでお世話になっている、ミラグロスという者です」
私の名前を聞いて、子供はぱっと顔を輝かせた。
「わあ、それってママの仕えている人?」
ママ。それつまりエルナのことだと思って子供の顔をよく見る。髪の色はファリンと同じだが、目元がエルナに似ている。
「あなたがマルクですか?」
「そうだよ!昨日は、ママとパパに早く帰っていいって言ってくれたんでしょ?ありがとう」
「どういたしまして。でも早く帰っていいと決めてくれたのはデューク様ですから、私は何もしていませんよ」
「それでも、お姉ちゃんが言ってくれなかったら、ママとパパは早く帰ってこなかったと思うから。あ、ちょっと待ってて!」
どこかに走り去ると、すぐに戻って来てもじもじとしている。
「どうかしたの?」
「あのね、これーー」
少し恥ずかしそうに、花を手渡してくれた。
「これはお礼!お姉ちゃんは、デューク様の大切な人だけど、これくらいなら怒られないかなって」
「ありがとう、嬉しい。デューク様はそんなことで怒ったりしないわ」
花を貰えるなんて思っていなかったので驚いたが、純粋に嬉しいと思った。せっかくもらったのだ。部屋に飾ろうと考える。
「ここには、マルク以外にも子供がいるの?」
「うん、みんな今はお昼寝したりしているよ。僕は起きちゃったからそっと庭に出てきたんだ。そしたらお姉ちゃんがいた!」
きらきらとした目でこちらを見ている。沢山の愛を受けて育ててられているのだろうと感じた。
「そうだったのね」
「お姉ちゃん、引き留めちゃってごめんなさい。こんなところにずっといてもいいの?きっとみんな探しているんじゃないかな」
「確かに、少し庭を見てくるとは言ったけれど、あれから随分と経ってる気がするわね……」
まさか屋敷の人総出で探されることはないだろうが、居なくなったと大事になるのは避けたい。
「早く戻ったほうがいいよ!そんな話してたら、お迎えがきたみたいだよ」
「お迎え?」
マルクの見ている方を見ると、デューク様が慌てたようにやって来た。
「ここに居たのだな」
「デューク様、お手を煩わせてしまい申し訳ありません。歩いていたらかなり遠くまできてしまったようです」
「ミラも意外と抜けているところがあるのだな」
微笑んだ顔が優しくて、マルクにニコニコとした目で見られてなんだか気まずい。
「マルク、随分良くなったのだな」
「うん。デューク様、ありがとう」
デューク様は少し屈んでマルクの頭を撫でる。二人は気心の知れた関係なのだろう。使用人の子供という関係だけでなく、確かな信頼関係が感じ取れた。デューク様の視線が一瞬私の手元に向けられ、またマルクを見た。
「その花は、マルクが?」
「そうだよ、お礼のつもりで渡したんだ!だから、怒ったりしないでね」
「……ああ、もちろんだ」
怒るとは何に対してだろう。そんな風に考えている私は置いてきぼりで、二人はその後何かやりとりをして帰ることを伝えたのかデューク様は立ち上がった。
「デューク様、お姉ちゃん、ばいばい」
「ええ、またね」
デューク様に手を引かれて屋敷の方へ戻る。
「懐かれたな」
「そうなのでしょうか」
「ああ。ミラが嫌じゃなければ、たまに相手になってほしい。子供たちもきっと喜ぶ」
「私でよければ」
そう伝えると、デューク様は嬉しそうに笑ってくれた。マルク以外ともきっと良い関係を築いているのだと思った。
信頼し合える相手がいること、愛情を受けて育っているマルクが少し羨ましかった。




