18.恩人
目が覚めると、見慣れぬベッドの上で、ここはどこなのかと一瞬固まってしまった。けれどすぐに昨日デューク様によって連れてこられた屋敷の一室だと思い出す。
「そっか、私……」
もうあの家に帰らなくていいんだ。そう考えれば肩の力が抜けた。あの人たちのことだから、森へ置き去りにした私のことなんて、きっと思い出すこともないだろう。
一安心したことで二度寝したい気分になったが、客人とはいえ、デューク様とはほとんど顔見知り程度の関係。図々しくいつまでもベッドで寝転んでいる場合ではない。
今後の話をするためにも、デューク様に会わなくてはならない。けれど、今の格好はこの屋敷のメイドに用意していただいた寝巻きである。さすがにこのままお会いするわけにはいかない。身一つでやってきたので、着替えすら持ち合わせていない。私の着ていた服は回収されてしまい、ここにはない。どうしたものかと考えていると、タイミングよくドアがノックされる。
「お目覚めですか?おはようございます」
「おはようございます」
「お着替えをお持ちしました」
手際よく着替えさせられて、服装の問題は解決した。こんな素敵なドレスをぽんと用意するなんて。サイズもぴったりで驚いた。この服だって予め用意しておいたとは思えない。大切な人にあげる予定だったプレゼントだったりするなだろうかーーと、邪推してしまった。
「デューク様が一緒に朝食をと。来ていただけますか?」
「分かりました」
メイドの後に続き、廊下へ出る。長い廊下を歩いていると、窓から庭の花が見える。その花がなんだか懐かしく思えて、思わず足が止まる。
「今見頃の花なのです。よろしければ、後で案内しますよ」
「本当ですか?ありがとうございます」
メイドに微笑まれて少し喜びすぎてしまったかもしれないと俯く。
「笑った顔が見られて安心しました。ずっと緊張されていらっしゃるようでしたから」
メイドにも気を遣わせてしまっていたようだ。あまり人と関わることがなかったから笑い方も忘れてしまっている。いつまでここに滞在するかわからないけれど、迷惑にならないように自分のことは自分でやれるようにしようと気持ちを固めた。
メイドの後に続き部屋に入ると、デューク様はコーヒーを飲みながら本を読んでいた。
「おはよう。昨夜はよく眠れただろうか」
「おはようございます、はい、とてもゆっくり眠ることができました」
「それはよかった」
「デューク様、お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「いや、私も今きたところだ」
私が席に座ると朝食が運ばれてきた。
焼きたてのパンの香りがし、スープからも湯気が出ている。出来たての様だ。あの家ではわざと冷めたものを用意されることもあったし、意にそぐわないことをしたら食事を抜かれることもあった。だからこうして同じものを用意されるというのはなんだか心が温かくなる。
「良い香りですね」
「あぁ、好きな香りだ。ミラも冷めないうちに食べるといい」
デューク様が口をつけたのを見て、私も朝食を食べ始めた。一口食べてみるとパンはふんわりしており、スープも野菜と肉の旨みが染み出している。とても美味しい。スープを啜った後、私はパンをちぎり口に運ぶ。
「このお肉は何の肉ですか?」
「それは、魔物の肉だ」
魔物?思わず皿の料理を二度見して書物で見た魔物や昨日私を襲おうとしていた魔物姿を想像してしまう。 私の国では、魔物を食べることは禁忌とされていた。他国では当たり前に食べられていると知識として知ってはいたのだが、私は驚きのあまりパンを喉に詰まらせた。慌てて紅茶を流し込んだ。
「ゲホゲホッ」
「大丈夫か?」
向かい側にいたはずのライナス様が側へ駆け寄り、背中をさすってくれる。
私は涙目になりながらも、何とか落ち着いた。
「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません……もう落ち着きました。大丈夫です」
殿下の婚約者として、国を訪れた他国の方との親交はあったが、こうして他国へ出ることはなかったので咄嗟のことで対処できなかった。その文化を否定するようなことはあってはならない。既にデューク様の顔を潰すような振る舞いをしてしまったのではないかと血の気が引いていく。デューク様は私の背中をさすってくださったばかりか、心配そうな表情で私を見ていた。
「そうか、ならいい。もしや苦手だっただろうか?」
「いえ、私の国では魔物食いは禁忌とされておりまして。それで驚いてしまっただけなのです」
「そうだったか。確かに、あの国王になってからそんな風に変わったと聞いていたが、配慮が足りなかったな」
「そんな、違う国で生まれたのですから、そういう文化の違いまあって当然です」
デューク様はその言葉に優しい笑顔を見せてくれた。
「君はそういう気遣いのできる素敵な女性なのだだな」
「まあ、そんな褒められるほどのことでもありませんわ。それに、とても美味しいと思ったのは本当ですから」
これでも一応は王子の婚約者を務めていたのだ。他国のことや文化言葉など学ぶ機会も多かった。そこで知り得た知識が今こうして役に立っているのだ。
「もし、苦手なものがあれば後で教えてくれ。それ以外で食事の用意をさせる」
「お気遣いありがとうございます」
それからは大きな問題はなく穏やかに食事の時間が過ぎていった。
食事を終えた後もコーヒーを飲みながら話をしていた。私は今後の身の振り方についても相談をしたかったからだ。
「デューク様、私の今後のことなのですが。ずっとここに置いていただくのも申し訳ありませんし、何か仕事でもいいのです、できることはありませんか?」
「ミラに仕事など任せるつもりはないのだが。もしや、働きたいのか?」
「今の私はデューク様にとってお荷物のような存在です。せめて何が恩返しができればと、そう思ったのです」
「そうか。なら私の願いはただ一つ。この屋敷でゆっくり君が過ごすことだけだ」
「それは私に都合が良すぎではありませんか?」
デューク様が得することなんて何一つないように思える。
「それで構わないんだ。何かしたいことがあればその都度教えてほしい。ミラの願いは叶えたいと思う。魔法を教えると言っていた話も中途半端になっていたから、そういう時間を設けてもいいだろう。仕事以外でならなんでも叶えるつもりだ」
「わかりました」
これは決定事項なのか、私も何か仕事がしたいと頼むのは難しそうだと判断した。今は無理でもいずれまた頼んでみようと思った。
「しかし、生贄なんてくだらない事を考えるものだ。その様な事をしても何も変わらないというのに。いつだって人はおかしな規則を作り自らを苦しめる」
「そうしなければ人は生きられないのですよ。弱い生き物ですから。デューク様の気まぐれだとしても、今こうして生きている事に感謝しています」
「君は覚えていないかもしれないが、命の恩人だからな。助けないわけがないだろう」
「恩人だなんて、私は昔のことを何も覚えていないのです……。私からすれば、デューク様が命の恩人ですよ。ですから感謝される謂れもないのです」
俯いているとそっと頬を撫でられ、微笑みかけるその顔に嘘偽りはない。少し距離が近いような気がして、思わずその視線から目を逸らせば、愉快そうに笑う声が聞こえてきた。
「可愛いな」
「なっ……!」
そんなこと、言われ慣れてないので、こういう時にどのような反応をしたらいいのか分からない。心臓の音がうるさい。きっと顔は赤くなっているだろう。
無言で見つめ合っていると、この場の空気を一変するように勢いよく扉が開かれた。
「デューク、今ちょっといいかって……ああ、悪い、取り込み中だった」
私の顔とデューク様の顔を交互に見て一人でに頷く。
「失礼しましたー」
そのまま扉が再び閉められた。
「邪魔が入ったな」
「は、はい」
デューク様は邪魔と言った。邪魔とは何の邪魔なのだろうか。知らない人の登場には驚いたが、あのままだったら私はどうなっていたのだろうか。羞恥心で再び頬が熱をもつ。そんなこと、デューク様はお見通しなのだろう。そのまま立ち上がり、扉の方へ向かっていく。
そのまま扉を開けると、この部屋の様子をこっそりと伺ってていたのか、出て行ったはずの男の人は数人のメイドたちに足蹴にされていた。
「二人の仲が深まりそうな状況だったというのに」
「ノックもせずに部屋に入るなんて野蛮です」
「わざとじゃないんだって、許して」
「グレイグは本当に空気を読まないんだから!」
めそめそとしている大きな男性はグレイグという名前なのだと知る。彼にも悪気があったわけではないだろう。それよりも、この様子を見られていたことのほうが私からしたら気まずいと思ってしまう。
「あ、デューク頼むよー助けてくれ!」
「まあ、反省しているのなら。その辺でもういいだろう」
「かしこまりました」
デューク様の一声で、メイドたちはグレイグ様への攻撃を辞めた。
「ミラ、一応紹介しよう。これはグレイグ。私の側近の男だ」
「初めまして、ご紹介にあがりましたグレイグ・フローリーです。デュークの側近として雑用から護衛まで幅広くやっております。以後お見知り置きを。昨日の飛行は問題なかったでしょうか?安全運転を務めさせていただつもりですが」
「昨日ですか?」
昨日といえば、空を飛んでここに辿り着いたのだ。
「もしかして、あのドラゴンさんですか?とても乗り心地がよかったです。ありがとうございます」
「そうなんですよ!その様子では問題なかった様ですね、安心です。それで、ミラ様って言うんですね、カタブツのデュークが女の子を連れてくるなんて初めてのことで、驚いてしまいました。口下手ですが根はいいやつなのでどうか、見捨てずに今後とも仲良くしてやってください」
「……グレイグ」
「おー怖、まじになるなよ。ではデューク様、私はこれから任務があります故、失礼させていただきます」
その後のグレイグ様の身のこなしは早かった。私にも手を振って下さり、颯爽と走り去っていった。
「忙しないやつだ。だが、悪いやつではない。ミラも今後顔を合わせることが増えるだろう。する前に止めるが、何かあいつにされそうになったら、すぐに言え」
「かしこまりました」
それからデューク様は仕事があるため執務室へいると移動していった。私は朝のメイドと約束した通り、庭の花を見せてもらうことにした。
「秋とはいえ、まだ日差しは強いですから」
日傘の用意をしてくれたメイドにお礼を言って、庭へと踏み入れる。手入れの行き届いた庭は、今の時期が見頃の花で溢れていた。庭を案内してくれるメイドは嫌な顔一つせずに、丁寧に答えてくれる。
そうして歩き進めていると、私が窓から見ていた美しい薔薇の前へついた。
「朝窓から見られていましたね。そちらの薔薇はこの国で品種改良を重ねて生まれたこの国にしかない薔薇なのです。気にいっていただけたのでしたら嬉しく思います」
「ええ、とても綺麗です。何故だか、この花を懐かしいと思ったのです」
この花を私は一体どこで見たのだろう。何が心に引っ掛かる。まさか、思い出せない昔の記憶なのだろうか。けれど、いくら考えても思いだすことはできなかった。




