表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/93

新しい発見と、漬け物日誌の第一頁

 朝の光が差し込む頃、リリスは台所に立っていた。

 昨夜仕込んだ二つの保存食──一方は酢の調味液、もう一方は塩だけで漬けた発酵狙いの試作。陶器鉢の中で、それぞれの野菜が静かにその時を待っていた。


 調味液に沈めた方は、見た目も香りもすっかり漬物らしくなっている。

 キャベツはほんのりしんなりとし、にんじんは色を濃くして、きゅうりや白瓜も艶やかだ。木の箸で持ち上げると、ふわりと酢と香草のさわやかな香りが立ち上った。


「……上出来。香りも悪くないわね」


 一方で、塩漬けのほうは、まだ変化らしい変化はなかった。

 薄く浮いた塩水と、ほんの少しだけ野菜の表面に滲む水分。


「リナ、これ……地下室に移した方がいいと思う?」


 傍で片付けをしていたリナが振り返る。


「ええ、涼しいほうが持ちがいいですし……」


 と、そこでリリスが首を傾げた。


「でも……たしか、発酵って常温のほうが進みやすいのよね。

 地下室に入れるのは、もう少し“変化”が始まってからにしましょう。まずはここで様子を見るわ」


「承知しました」


 リナが微笑みながら頷く。

 リリスは調味液の鉢の前で立ち止まり、ひとつ息をつく。


「さて……子どもたちに頼みに行かなくちゃ」


 そのまま廊下を抜けて居間へ向かうと、ちょうど双子が座っていた。

 ルーファスは木の積み木を高く積み上げようとして、途中で崩してしまい、不機嫌そうにしていた。

 一方のルシェルは、それを横で見ながら、ちいさくくすくす笑っている。


「ふたりとも、おはよう。今日の朝ごはん、ちょっと“お願い”があるの」


 リリスの声に、二人はぱっと顔を上げる。

 ルシェルが真っ先に反応した。


「お願い……? なあに、お姉ちゃん?」


「昨日、台所で“保存できる野菜の漬け物”を試してみたの。今日はその味見をしてほしいのよ」


 ルシェルは嬉しそうに頷き、リリスの袖をちょんと掴む。


「お姉ちゃんの作ったの、食べたい!」


 その隣で、ルーファスがちょっとだけ顔をしかめる。


「……えー、また野菜? 甘いパンの方がいい……」


「ふふ、にんじんもあるわよ。ちょっとだけ甘いかも?」


「ほんと?」


 ルーファスの眉がぴくりと動く。興味はあるけど“野菜”という単語に少し抵抗があるらしい。


「ほんとよ。無理にとは言わないけど、お姉ちゃん、ルーファスの意見が聞きたいの」


「……んー……じゃあ、にんじんだけなら……」


 もぞもぞとしながら了承するルーファスの様子に、リリスは微笑をこぼした。

 素直な拒否ではなく、「ちょっとだけなら」という気持ちを口に出せるあたりが、少し成長したように感じられる。


「ありがとう、ふたりとも。すぐ準備するわね」



 食事を終えたあと、食卓の皿を下げながら、リリスはもう一度、今朝の漬け物に目を向けた。


「……この味、今だけのものよね。たぶん明日になったら、また変わってる」


 酢と塩、香草の香り。漬け汁の中で、それぞれの野菜は時間と共に味を染み込ませていく。

 今日の“さっぱり”が、明日には“まろやか”に、数日後には“落ち着いた旨味”になるかもしれない。


 その隣で、リナがふと口を開いた。


「塩漬けの方なんですが、だいたい……そうですね、早くて三日目ぐらいから“変わってきた”って感じることが多いです」


「三日目……じゃあ、今はまだ、ほんの準備段階なのね」


「はい。今動かすと発酵の加減が狂いやすいので、そのまま置いておく方がいいかと」


「ええ、それが良さそう」


 リリスはこくりと頷き、今は**“即席で味が出る方”**に集中することにした。


「じゃあ、この調味液のほう……まずはこっちを、毎日ちゃんと見ていきましょう。色とか香りとか、味とか。変化を記録するの」


「記録、ですね?」


「うん。“売り物になるかもしれない何か”だから、感覚だけじゃなくて、ちゃんと“数字と記録”を残しておきたいの」


 その言葉に、リナの表情がぱっと明るくなる。


「記録帳、準備しておきますね! 日付、材料、味の印象、それと漬け時間も……書いておくと比較できます!」


「頼りにしてるわ」


 リナが嬉しそうに小さく胸を張る。

 こうして、二人の“漬け物実験”は、本格的に動き出した。



 昼前、台所の棚の端に、小さな帳面が一冊置かれた。

 表紙は無地。リナが余り紙をまとめて製本した、手作りの記録帳だ。


「日誌とか、記録とか、名前はあとで決めるとして……」


 リリスは椅子に座り、試食で使った材料と分量、見た目、香り、味の印象を一つずつ丁寧に書き込んでいく。

 リナが隣で補助をしながら、「次は色の変化も記録した方がいいですね」と提案する。


「うん。日数ごとの変化をちゃんと見れば、“食べ頃”の見極めもできるようになるはず」


 その会話を耳にしたルシェルが、机の角からそっと顔を出した。


「じゃあ、わたし毎日お味見してもいい?」


「え? じゃあぼくも! 今日にんじん当たりだったし!」とルーファスも即座に乗ってくる。


「ふふ、ありがとう。じゃあ二人は“公式試食係”ね」


 リリスは微笑みながら、記録帳の空白ページの端に小さく「ルーファス/ルシェル・味見係」と書き込んだ。


 新しい試みは、まだ始まったばかり。

 だけど、こうして少しずつ誰かと共有していけることで、それは単なる“料理”を超えていく。


(味を記録する。変化を見つける。それを“価値”として、誰かに届ける)


 まだ小さな一歩だけれど、確かな“商人の種”がそこにはあった。


 ふと、リリスは思い出したように言葉を添える。


「そういえば……あとでお父様とお母様にも、ちゃんとお味見していただかないとね」


 それにはルシェルが応えてくれる


「きっとパパとママも…美味しいって言ってくれると思う…」


 そう、家庭のことも、仕事のことも、全部まとめて進めていく。

 それがラヴェンダー家の長女であり、商人令嬢である自分の役割──

 リリスは、そう思いながら静かに記録帳を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ