はじまりの調理場と、試されるアイディア
「さあ、持ってきたわよ!」
マリーの威勢のいい声とともに、ルビーが手配した屋敷の裏手にある調理小屋に野菜が運び込まれる。そこは彼女の家が管理している空き倉庫の一角で、普段は従業員用のまかないや試作用の調理場として使われていた場所だった。
「まさか、ルビーさんの家がこんな場所を持ってるなんて……」
リリスが感心したように言うと、ルビーは少し鼻を鳴らした。
「ふふん、商売の幅を広げるためには、いろんな場所を押さえておくのがコツよ。使える場所は、使わなきゃ損でしょう?」
「頼りになるね、さすがだよルビーさん!」
リリスが笑顔で応じると、マリーが荷車の上から大根と人参、そしてカブの入った籠を持ち上げた。
「この辺りが、今日の“余り”分。ちょっと傷があって、見た目はよくないけど味は問題なし。漬物にすれば売れるかもって、お父さんが言ってた!」
「それならちょうどいい。パン床と、蜂蜜ピクルス、両方仕込んでみよう」
リリスは手際よく麻布を広げ、持参した容器やハーブ類を並べ始めた。アイシャがすぐ傍らで手伝い、塩の量やパンの状態を確認する。
「まずは、昨日焼いたパンの耳をちぎって、乳清でふやかしておいたものをベースにするね」
「パンの耳を再利用するなんて……リリスちゃんって、意外と倹約家?」
マリーが目を丸くすると、リリスはウインクしながら言った。
「美味しくて、無駄がない。それって最高じゃない?」
「なんか……カッコいいかも」
「……ふふ、リリスってたまに妙に決め台詞っぽいこと言うのよね」
ルビーが苦笑しながらも、同じように手を動かす。容器に入れたパン床の中に、刻んだ人参とカブを一緒に埋め込むと、ほんのりハーブの香りが漂ってくる。
「今回は、セージとローズマリーをメインにブレンドしてみたよ。香りが強めのハーブは発酵の匂いを抑えてくれるから、売り物にも向いてるの」
「さすがだわ……ハーブの調合にまで気を配るなんて、やっぱりプロね」
ルビーが素直に感心したように言うと、リリスはほんのりと頬を染めた。
「いや、まだまだ試行錯誤だよ。でも、このパン床が成功すれば、農家の人たちにとっても大きな武器になると思う」
「うん、そうだね!」
マリーが力強く頷くと、すぐに次の瓶を手に取った。
「じゃあ、次はピクルスだね。こっちは蜂蜜入りの甘酢で――」
「待って、酢の調整は任せて。うちの商品で甘酸っぱい果実ソースを扱ってるから、相性は分かるわ」
ルビーが前に出て、手際よく蜂蜜酢にハーブを加える。ほんの少しレモンの果皮を削って香り付けし、瓶の中にスライスしたカブを詰めていく。
「これ……売れるかも」
「わたしもそう思う!」
「ええ、味見が楽しみね」
三人の視線が瓶に集まり、ふっと笑顔がこぼれた。
リリスはそんなふたりを見ながら、小さく心の中で呟いた。
(この瞬間が、たまらなく楽しい。私だけじゃない、誰かと一緒に何かを生み出すこと……前の人生じゃ味わえなかった、この感覚)
彼女の中で、またひとつ「商売の喜び」が芽吹こうとしていた。
夕方。ひと通りの仕込みが終わると、調理場の空気に少しだけ安堵が漂っていた。
「ふぅ……ひとまず、全部仕込めたかな?」
アイシャが大きく伸びをしながら確認する。
「うん、あとは明日から少しずつ味見して、試食して、反応を見るだけ」
リリスが答えると、ルビーとマリーも肩を並べて頷いた。
「売り場については、私が店の一角を貸すわ。ピクルスの試食販売、うまくやれば注目を集められるかも」
「ありがとう、ルビーさん!」
「これ、わたしのお父さんにも見せたい。売れたら農家の人たち、少しでも助かるから!」
マリーの声に、三人の熱量がもう一度高まった。
「さすが百合草の誓いね。初めての商品開発なのに、息ぴったりじゃない?」
ルビーがそう言って笑うと、マリーも頷いた。
「ほんと。名前に恥じないように、ちゃんと形にしなきゃね」
リリスは小さく微笑んで、重ねた三人の手元に視線を落とした。
(あのときの誓いが、少しずつ実っていく――この瞬間がたまらなく嬉しい)
そしてまた、ひとつの未来が、確かに芽吹いた。
三人の手のひらが重なった瞬間、小さな調理場に夕陽が射し込み、蜂蜜の瓶に反射して黄金色の光が踊った。
それはまるで、この誓いを祝福するかのようだった。
――仲間がいれば、どんな困難もきっと越えられる。
そんな希望に満ちた空気の中で、リリスはふと、ひとつの不安を胸に抱いた。
(でも――明日からが、本当の試練かもしれない)
新商品の完成と同時に、彼女たちの挑戦は市場の現実と向き合うことになる。
そして、まだ知らぬ“試練の種”が、静かに芽吹きはじめていたのだった。