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ただいま、おかえり。私が欲しかった団らんごはん

昼下がりのラヴェンダー家。柔らかな陽光が窓から差し込み、古びたキッチンにもどこか温かな気配が満ちていた。


棚の隅には、昨日干したばかりのカモミールの花束が逆さに吊るされ、ほのかな甘い香りを漂わせていた。窓辺には陶器の水差しと色とりどりの小花が生けられ、風に揺れるたび、小さな影が木の床に踊る。遠くからは家畜小屋の鶏の声と、裏庭で薪を割る音が微かに響き、この家の一日が穏やかに進んでいることを告げていた。


「ねえルーファス、おやつ作り、今日は一緒にやろっか」


リリスがエプロンを結びながらそう声をかけると、弟のルーファスはぱっと顔を輝かせた。


「ほんと!? やるやる! この前のカリカリのやつ、もう一回食べたい!」


「ラスクね。今日は少し形を変えてクッキーみたいにしてみるわ。パンの耳を小さくちぎって、蜂蜜とミルクで和えて、ちょっと焼くだけ」


「うわぁ、おいしそう……!」


手を洗ったルーファスと一緒に、リリスはくたびれたパンの耳を小さくちぎってボウルに入れていく。手を動かしながらも、リリスの表情は柔らかい。


ルーファスは小さな指先でパンの端をちぎるたび、粉がふわりと舞い、くしゃみをこらえて笑った。リリスは手元のボウルを傾け、蜂蜜の瓶をそっと傾ける。とろりとした金色の液体が細い糸のように垂れ、パンくずの上に甘い模様を描いた。木べらでゆっくりと混ぜると、蜂蜜がしっとりと染み込み、やがて全体が淡い黄金色に変わっていく。


(おやつを一緒に作る時間なんて、前の世界では考えられなかったな)


パンの香ばしい匂いと、ほのかな甘みが漂ってきたころ、ふたりは焼きたてをつまんで口に運んだ。


「ふわあ……カリッとしてる! あまい!」


「焦げなくてよかった~。次はもっとバリエーションを増やしたいわね。リンゴの皮を干して使うとか……」


そんな姉の呟きに、ルーファスは口の周りを粉だらけにしながら無邪気にうなずいた。


焼きたてのおやつをたいらげると、ルーファスはそのまま庭へ駆け出し、リリスも笑いながら後を追った。芝の上を転がり、追いかけっこをし、ひとしきり遊んだ後には、二人とも息を切らしながら地面に座り込んだ。


芝生を駆け回り、木陰を抜け、花壇の間をすり抜けるたび、ルーファスの靴から土がはねた。リリスも負けじと後を追い、笑いながら右へ左へと身を翻す。途中でルーファスが急に方向を変え、リリスは思わずバランスを崩して膝をついたが、それすら二人の笑いの種になった。


「ふふ……こういうのも、いいよね」


「おねーちゃん、また一緒に遊ぼうね!」


「もちろん。何度でも」


リリスは、優しく微笑みながら弟の頭を撫でた。


***


夕方。屋敷の居間には、クラウスとエリーが顔を揃えていた。テーブルの上には今日の夕食の支度が整い、炉の香りが部屋を包んでいる。


スープの中には大ぶりに切った人参とジャガイモ、柔らかく煮えた鶏肉がたっぷり入っている。香草の香りが湯気に混ざり、鼻をくすぐった。焼きたてのパンは表面が香ばしく、ちぎれば中からふわりと湯気が立ちのぼり、バターのような豊かな香りが漂った。


「塩とハーブのラスク、思ったより評判がよかったの。ああいう“食べやすくて便利な保存食”は商品化できそう」


そう話すリリスに、父クラウスがうなずく。


「商人街に出す商品としては面白いな。お前の店で売るだけでなく、農家と提携すれば規模も広げられる。ローズマリーは東側の農園にも自生しているしな」


「そうね、品質も悪くなかったわ。塩もまとめて仕入れればコストを抑えられるはず。おかげで最近は蜂蜜を少し使う余裕も出てきたの」


「それに、例の“石けん”の件も考えているんだろう?」


「はい。素材はほとんど揃っているし、庭のハーブをもっと活用できると思います。いっそ“清潔と癒し”をテーマにしてもいいかも……」


母リシアが目を細める。


「すっかり“商人さん”ね。でも、子爵令嬢であることは忘れないで?」


「もちろん、お母様」


リリスは笑みを返しつつも、胸の奥では複雑な思いが渦巻いていた。

今の自分にとって大切なのは肩書きではなく、家族を支え、商いを続けること。その思いが静かに根を下ろしている。


クラウスが静かに言葉を継ぐ。


「本当なら、そろそろ家庭教師をつけたいところだが……今は難しい。すまない」


「ううん、いいの。そんなことより、みんなが笑っててくれる方が嬉しいから」


家族の誰もがその言葉に目を細めた。ルーファスもラスクをもぐもぐしながら「おねーちゃんすごーい!」と声を上げる。


その光景は、質素ながらも温かな“家族の輪”を映していた。


***


夜。屋敷は静まり返り、虫の音と夜風が窓辺を通り抜ける。


リリスの机には、小さな蝋燭と帳面、布切れのメモが広げられていた。


(ラスクの売れ行きは上々。ハーブ石けんもそろそろ商品化できそう……)


ラベンダーの香りの試作品を頬に当てる。


(“ラヴェンダー家の香り”として広められるかもしれない。日用品と食品を両方扱えれば、もっと生活を豊かにできる)


小さな前進が、確かな自信につながっていく。


(次は母親向けの癒し系や、子供向けの甘い香りも……ギフトセットもいいかも)


瞼が重くなり、ろうそくの炎が揺れる。


「……ふぁ……」


扉がそっと開き、アイシャが毛布とランプを抱えて入ってきた。


「やっぱり、まだ起きていらしたんですね……」


すでに眠りかけているリリスをそっと支え、ベッドへと導く。


「お疲れさまでした。……今日は、いい日でしたね」


毛布をかけ、ランプの灯りを伏せ、ろうそくの火を消す。前髪をやさしく払って囁いた。


「おやすみなさい、リリスお嬢様」


窓の外の月が、静かに二人を照らしていた。


廊下の先からは時折、夜番の足音が微かに響くほかは、屋敷全体が深い静寂に包まれていた。窓の外では虫の声が遠くに聞こえ、ランプの火が小さく揺れる。アイシャはその灯りを見つめながら、そっと部屋を後にした。

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