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ただいま、おかえり。私が欲しかった団らんごはん

昼下がりのラヴェンダー家。柔らかな陽光が窓から差し込み、古びたキッチンにもどこか温かな気配が満ちていた。


「ねえルーファス、おやつ作り、今日は一緒にやろっか」


リリスがエプロンを結びながらそう声をかけると、弟のルーファスはぱっと顔を輝かせた。


「ほんと!? やるやる! この前のカリカリのやつ、もう一回食べたい!」


「ラスクね。今日は少し形を変えてクッキーみたいにしてみるわ。パンの耳を小さくちぎって、蜂蜜とミルクで和えて、ちょっと焼くだけ」


「うわぁ、おいしそう……!」


手を洗ったルーファスと一緒に、リリスはくたびれたパンの耳を小さくちぎってボウルに入れていく。手を動かしながらも、リリスの表情は柔らかい。


(おやつを一緒に作る時間なんて、前の世界では考えられなかったな)


パンの香ばしい匂いと、ほのかな甘みが漂ってきたころ、ふたりは焼きたてをつまんで口に運んだ。


「ふわあ……カリッとしてる! あまい!」


「焦げなくてよかった~。次はもっとバリエーションを増やしたいわね。リンゴの皮を干して使うとか……」


そんな姉の呟きに、ルーファスは口の周りを粉だらけにしながら無邪気にうなずいた。


焼きたてのおやつをたいらげると、ルーファスはそのまま庭へ駆け出し、リリスも笑いながら後を追った。芝の上を転がり、追いかけっこをし、ひとしきり遊んだ後には、二人とも息を切らしながら地面に座り込んだ。


「ふふ……こういうのも、いいよね」


「おねーちゃん、また一緒に遊ぼうね!」


「もちろん。何度でも」


リリスは、優しく微笑みながら弟の頭を撫でた。


***


夕方。屋敷の居間には、クラウスとエリーが顔を揃えていた。

テーブルの上には今日の夕食の支度が整い、炉の香りが部屋を包んでいる。


「塩とハーブのラスクが、思ったよりも評判よかったの。今後はああいう“食べやすくて便利な保存食”も商品にしていけたらって思ってるの」


そう話すリリスに、父クラウスが腕を組みながらうなずいた。


「ふむ、商人街に出す商品としては面白いな。お前の店で売るだけじゃなく、領内の農家とも提携できれば規模も広げられよう。ローズマリーは東側の農園に自生していたはずだしな」


「そうね、あそこなら品質も悪くなかったし……塩も貴重だけど、まとめて仕入れればコストも抑えられるかもしれない。おかげさまで売り上げも上々で、最近ははちみつを少し使う余裕も出てきたの」


「それに、例の“石けん”の件も考えているんだろう?」


「はい。素材はほとんど揃ってるし、庭のハーブをもっと活用できると思います。いっそ“清潔と癒し”をテーマにしてもいいかも……」


言いながらリリスは、自然と未来の商売の展望を思い描いていた。


その様子を見て、母リシアが目を細める。


「リリス……あなた、なんだかすっかり“商人さん”ね。でも、あなただって子爵令嬢だってことは忘れないでね?」


「もちろん、お母様」


リリスは微笑みながら答えたが、その胸の奥では複雑な思いが渦巻いていた。


(……子爵令嬢、か。そっちの方は……正直、ちょっと難しいかも)


今の自分にとって、一番大切なのは肩書きではなく、家族を支え、商いを続けること。その実感が、胸の奥に静かに根を下ろしていた。


その空気を察したのか、父クラウスが静かに言葉を継いだ。


「本当なら、そろそろ家庭教師をつけられたらいいんだがな……。今すぐには難しくて、すまない」


「ううん、いいの。そんなことより、みんなが笑っててくれる方が嬉しいから」


その言葉に、家族の誰もが目を細めた。ルーファスもパンの耳をもぐもぐしながら「やっぱりおねーちゃんすごーい!」と声を上げる。


その光景は、質素ながらも温かな“家族の輪”を映していた。


夕暮れの食卓には、素朴ながらも心づくしの料理が並んでいた。

リリスが昼のうちに作っておいた塩とハーブのラスク、採れたて野菜のスープ、そして今日は、少し贅沢に“はちみつ”を使ったパンが添えられている。


「ふふ、今日はごちそうね」

母のリシアがパンをちぎりながら微笑む。

「最近、商売が上向いてきたのね? いい香りがするもの」


「うん。やっと少し余裕が出てきたから、蜂蜜をほんの少しだけ使えたの。味に深みが出るし、栄養もあるから」


「すっかり商人ね、あなた。でも――」

母は少しだけ表情を引き締める。

「忘れないでね、あなたは“子爵令嬢”でもあるの。気高くあろうとすることは、きっと将来の自信にもつながるから」


「……うん。ありがとう、お母様」

(子爵令嬢、かぁ……自信は、まだ難しいかも)

リリスは心の中でそっと呟く。


父のクラウスが口を開いた。

「本当は、そろそろ家庭教師でもつけられればいいんだが……今はまだ、その余裕がなくてな。すまない、リリス」


「気にしてないよ、お父様。今できることを、私なりにがんばってるから」


食卓に温かな空気が広がる。

ルーファスも満面の笑みでラスクを頬張っていた。


「おねーちゃんのラスク、ほんとにおいしい! あまじょっぱいやつも、ぼく好き!」


「ふふ、ありがとう。じゃあまた今度、一緒に作ろうね」


その言葉に、ルーファスは元気よく頷いた。


……ふと、リリスの胸を、締めつけるような感情がよぎる。

あたたかな団らん。家族の笑顔。誰かと囲む食卓。


(……前世では、こんな時間、一度もなかった)

(スーパーで半額の弁当を買って、一人で食べて……味なんて、全然覚えてなかった)


頬に、ひとすじの涙がつう、と伝った。


「……リリス? どうしたの?」


母が心配そうに覗き込む。


「ううん、なんでもないの。ただ……すごく、幸せだなって思っただけ」

リリスは、涙をぬぐいながら、微笑んだ。


(今は貧乏だけど、誰かと一緒に笑って、ごはんを食べられる。そんなあたりまえが、わたしには……ずっと欲しかったものだったから)



夜も更け、ラヴェンダー家の屋敷はすっかり静まり返っていた。

窓の外からは虫の音が微かに聞こえ、時折吹き込む夜風がカーテンを揺らしている。


リリスの部屋の机には、小さな蝋燭と帳面、そしてメモ代わりの布の切れ端が広げられていた。


(ラスクの売れ行きは上々。ハーブ石けんはそろそろ商品化してもいいかも……)


ラベンダーの香りを忍ばせた石けんの試作品を掌にのせながら、リリスはそっと頬に当てる。


(この香りも、“ラヴェンダー家のもの”として、広められるかもしれない。日用品と食品の両方を扱えるようになれば……もっと、屋敷の生活を豊かにできる)


蜂蜜入りのパンが食卓にのぼった今日。

それはほんの小さな変化だけれど、確かな“前進”だった。


(次は……「母親向けの癒し系」や「子供向けの甘い香り」も用意してみようかな。ギフトセットとして組み合わせるのもいいかも)


いつの間にか、瞼が重くなってきていた。

蝋燭の灯りがゆらゆらと揺れ、影を落とす。


「……ふぁ……」

リリスは、帳面を開いたまま、うとうとと頬杖をついた。


「お嬢様?」


扉をそっと開けて入ってきたのは、ナイトキャップ姿のアイシャだった。手には折りたたんだ毛布とランプを抱えている。


「やっぱり、まだ起きていらしたんですね……」


リリスの寝息は、すでに静かで、穏やかなものだった。


アイシャは無言のままそっと近づき、帳面に落ちそうになっていた頭を軽く支えながら、少女をベッドへと導く。


「お疲れさまでした。……今日は、いい日になりましたね」


微笑を浮かべながら、毛布をかける。

そっとランプの灯りを伏せ、ろうそくの火を息で消し最後に頬にかかった前髪を優しく払った。


「おやすみなさい、リリスお嬢様」


そう囁いたアイシャの声は、いつにも増してやさしく、そしてあたたかだった。


窓の外に浮かぶ月が、少女たちの未来を、やわらかに照らしていた。

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