ゲーム前最終準備
「じゃあ最後。俺、行きます。山田和樹。妹の入院費を稼ぐためにここに来ました。よろしくお願いします」
和樹の自己紹介が終わった。これで全員、名前と参加理由の共有が済んだことになる。
やるべきことが終わり、その場に残ったのは気まずい沈黙だった。
まったくしゃべらないよりも中途半端にしゃべったほうが気まずさは増すものだ。
その空気をまたも打ち砕いたのは、やはり鈴丸権蔵だった。
「梨乃ちゃんのトラブルって、どういうのなの?」
和樹が少し気になりつつも聞けなかったことを、まさかのタイミングで聞いてくれた――というか、聞いてしまったのは権蔵だ。
どう考えてもあえて伏せていた話題。デリカシーの欠如した、気の利かない質問。
それでも和樹は「俺じゃないですからね」という顔をしつつ、聞き耳だけはしっかり立てていた。
「すい……ません。それはちょっと、言えないです」
――まあ、そうなるよな。
案の定の返答。
権蔵もそれ以上は踏み込まず、再び沈黙が場を支配する。
「それよりも、私が気になったのは山田さんのことです。妹さんのためって……なんか、すごく素敵です」
「いや、まあ……大変ですよ。別にカッコつけたつもりはなかったし」
空気に耐えかねたのか。それとも、権蔵がまた何か言い出す前に話題を変えたかったのか。
梨乃が、話を和樹に振ってきた。
悪い気はしない。が、妹の状況を思えば、あまり笑える話でもない。
苦笑いを浮かべながら梨乃の方を見た、そのときだった。
斜め前から刺すような視線。権蔵が、あからさまに和樹を睨んでいた。
「権蔵さんの“社長”っていうのも、すごいですよね。……年商とかって、言えたりします?」
「年商? うーん、三億くらい?」
妹の話題を深掘りされるのは避けたい。ついでに、露骨に敵意を向けてくる権蔵の機嫌も取りたい。
そう思って、和樹は彼を褒めつつ話を振る。
嫉妬だろう。梨乃に褒められたのが気に食わなかったに違いない。
仲良くなる必要はない。だが、対立関係になるのも不利だ。
だから、穏便に、持ち上げておく。
……とはいえ、「年商三億」はどうにも怪しい。
大企業を名乗る割に、自信のなさげな語調。話の中身もふわふわしている。
だがここはネット掲示板じゃない。
嘘つきを吊るし上げる場所でもない。
適当に相槌を打っておくのが、大人の対応だろう。
「三億……すごいですね」
わざとらしく目を見開いてみせる。
誰かがその嘘っぽさにツッコミを入れそうでヒヤヒヤしたが――幸いというか何というか、鉄平はひたすら一点を見つめて無言。幸子は暇そうに髪をいじっているだけ。
唯一、突っ込みそうな梨乃も、どこか別の問題を抱えているように見えた。
「寒かったら、冷房上げましょうか?」
その「問題」とは、体の震え。
最初は緊張や恐怖のせいかと思っていたが、明らかに寒さだ。
実際、和樹自身も肌寒さを感じていた。
そう思って冷房のリモコンを探しに動こうとした、そのとき――
「この温度はさっき梨乃ちゃんが暑いって言ったから下げたんだぞ!! なあ、梨乃ちゃん!」
籠もった声が、和樹の背を引き止めた。
「本当なんですか? 別に俺は、どっちでもいいんですけど」
――またお前かよ。
そんなツッコミを心の中で飲み込みつつ、和樹は梨乃に尋ねる。
「はい。でも……ちょっと寒くなったので、上げて欲しいです。私が下げて欲しいって言ったので、言い出せなくて……ありがとうございます」
まあ、予想通りの展開だ。
梨乃が「暑い」と言ったのを間に受けて、権蔵が張り切って冷房を下げすぎた、という流れだろう。
ただ、彼女からの好意的な返答が自分に向けられると、もれなくついてくる副産物がある。
――権蔵の敵意だ。
じりじりと焼けるような視線を背中に感じながら、和樹はリモコンに手を伸ばす。
その瞬間。
「やめてよ!! 下げたら暑いでしょ!!」
金切り声が、鼓膜を引き裂いた。
怒鳴ったのは幸子だった。
その剣幕に気圧され、温度を上げることは結局できずじまい。
そんなときだった。
『赤チームの皆さん。時間です。会場にお越しください』
外から声がかかる。
――なんだかなあ。
チームメイトたちに対する、軽く呆れたような、でも諦め混じりの感想が浮かぶ。
和樹は椅子を引き、ゆっくりと立ち上がった。
これが、今日一緒にゲームをするメンバーらしい。
***
「にいに。勝ってきてね」
やせ細った妹――紗良が、別れ際にそう言った。
優しい子だ。
本当は、最後まで反対していた。
――そんな怪しいゲーム、参加しなくても……私は……ゲホッ、ゲホッ!!
その言葉が、結局のところ、和樹をこのゲームに参加させる最後の一押しになった。
このゲームを提案してきたのは、紗良の主治医だった。
手術費は一千二百万円。彼以外に、紗良を救える医師はいないという。
ただ、その多額の手術費用は、このゲームに参加すれば“免除”される。
さらに、勝者となれば五千万円の賞金までもらえる――そう説明された。
チームメイトといったん別れ、案内された更衣室。
ユニフォームとゼッケンに着替えながら、和樹はぼんやりと妹のことを考えていた。
本当は、負けてもいい。紗良さえ助かってくれれば、それで。
そんな弱気な気持ちを、あの子は見透かしていたのだろう。
だからこそ、あの一言をかけてくれたのだ。
“勝ってきて”――と。
着替えを終え、会場前に到着する。
チームメイトと再合流すると、ゼッケンの番号順に並ばされる。
前から順に、権蔵、梨乃、和樹、鉄平、幸子。
「似合ってますね。ユニフォーム」
前の梨乃が、ふいに小声で話しかけてきた。
「そうですかね……高校の体育で似たようなの着てたけど、成人して着るのはちょっと恥ずかしいです。佐山さんこそ、似合ってますよ」
「梨乃でいいよ。それと、タメ口でも」
軽いやりとりだったが、少し気がほぐれる。
この緊張感のなかで、ほんのわずかな気休めが、どれほどありがたいことか。
ただ――できることなら、もう少し権蔵と距離を取りたかった。
めちゃくちゃ睨まれてる。怖い。
そんなことを思っていた、そのときだった。
「支給品です」
運営スタッフが現れ、無言で何かを差し出してくる。
重く、細長く、黒い鞘に納められたそれは――
「これは真剣です。扱いには細心の注意を。ユニフォームの腰に装着できるようになっていますので、ご活用ください」
そう告げると、スタッフはまた何事もなかったかのように去っていった。
沈黙。
重い沈黙。
手渡された“剣”を、誰もが言葉なく見つめていた。
権蔵は鞘を握りしめたまま、ゴクリと唾を飲み込んでいる。
梨乃は、顔を青ざめさせながら震えていた。
鉄平は力のない目で、それでも覚悟を決めたように剣を見つめていた。
和樹も同じだった。
真剣というものを、実際に手にしたのは生まれて初めてだ。
ずっしりとした重みが、現実味を持って心にのしかかってくる。
「それでは、時間になりましたので――選手の入場です」
アナウンスの声とともに、扉が開かれる。
これから、どんなゲームが始まるのか。
そして、自分はこの剣を、どんな“場面”で抜くことになるのか。
和樹の胸の奥で、今さらながらに恐怖が膨らんでいった。
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