『白と黒の贈り物』35
しばらくして――
バスケットシュートゲームの方から、チハルの元気な声が弾んで響いてきた。
「よ〜〜〜しっ、今度こそ入れるぞ〜〜〜〜っ!!」
ぎこちなくボールを構えながら、何度目かのシュートに挑戦するチハル。
夢中になって放つその姿は、額に汗がにじんで前髪がぴたりと張りつきながらも、
ぴょんぴょんと跳ねるように楽しそうで――まるで、はしゃぐ子犬そのものだった。
「よ〜〜しっ!入ってぇ〜〜〜〜っっ!!」
……ボフン。
見事にゴール手前で跳ね返ったボールが、トコトコと床を転がっていく。
「うわ〜〜んっ、また外れた〜〜〜〜〜っ!!」
そんなチハルの肩に、ふわりと届いたのは――
優しく、あたたかい声。
「ちょっと貸してみ。……コツ、教えてやるよ」
振り返った先には、長谷川先輩の姿。
どこかお兄ちゃんみたいな微笑みを浮かべながら、すっとチハルに近づいてきた。
「力、入れすぎ。リズムが大事なんだ」
そう言いながら、長谷川はチハルの手をそっと包み――
ボールの持ち方、肘の角度を丁寧に直してくれる。
「……いくぞ?せーのっ」
ポーンッ!
見事、ボールがリングをくぐる。
「やったぁ〜〜〜〜っっ!!今の入りました〜〜〜〜っ!!!」
チハルがぴょんっと跳ねて、満面の笑み。
その笑顔の先――
少し離れた場所で、ふたりのやりとりをじっと見つめていたのは、隆之だった。
彼は手元の緑茶をぐいっとひと口あおってから、ぽつりとつぶやいた。
「……教えるタイミング、完全に逃したな。
予測していた介入パターン、すべて崩された……」
その言葉には、わずかに悔しさがにじんでいた。
耳まで赤いのに、本人は気づいていない。
「……まぁいい。次は、“最適解”を叩き出すだけだ」
その目は、どこか――燃えていた。
――そんな隆之の表情を、後ろからこっそり見ていたふたりがいた。
「……ふふっ、分かりやす〜〜〜っ♪」
亜沙美が、口元を手で隠して小声で笑う。
「……ほんと。こういうの、意外と可愛いですわね」
玲奈も紅茶をそっと口に運びながら、くすりと微笑む。
ふたりの“ニヤリ”が、ひそかに輝いていた――。
その余韻が残る中、視線を戻すと――
バスケシュートゲームのスコアが、チハルの手元で点滅する。
「うわ〜〜〜っ!!やったやったっ!自己ベスト更新〜〜〜〜っ!!」
「……おぉ、ちゃんとコツ掴んできたな」
長谷川がうれしそうに笑って、
チハルの頭をぽんぽんっと軽く撫でる。
「えへへっ……やっぱり長谷川先輩、教え方上手〜〜〜っ!!」
と、そのとき――
長谷川はふとチハルに顔を向けた。
「なぁ、犬神」
「ん? なになに〜?」
「明日、テニス部の練習が終わったらさ。時間あったら、バスケの練習、見に来ないか?」
「えっ、バスケ!?」
目をぱちくりさせるチハルに、
長谷川は穏やかにうなずく。
「ああ。今日みたいなゲームじゃなくてさ。ちゃんとしたコートでやる、本気の練習」
「犬神なら、楽しめるんじゃないかなって思って」
チハルは数秒、ぽかんとして――
やがて、ぱぁぁっと笑顔になった。
「うんっ!!行く行く〜〜〜っ!!絶対見たい〜〜っ!!」
その元気な返事に、長谷川もふっと笑って。
「じゃあ、朝の練習、しっかり頑張れよ。終わったら――アクティビティ棟で待ってるから」
「はいっ、よろしくお願いしま〜〜〜っす!!」
チハルが嬉しそうに笑って、その隣で長谷川が柔らかく微笑んだその時――
少し離れた場所から、
その光景をじっと見つめていた人物がいた。
隆之だ。
沈んだ視線の奥で、何かを決めるようにまばたきを一つ落とすと、静かに歩み出す。
足音もなく近づいてきた彼は、チハルのそばで立ち止まり、低い声で口を開いた。
「……長谷川先輩。少し、お時間いただけませんか。
あの時の勝負――きちんと決着をつけておきたいんです」
「えっ?」
チハルがきょとんと振り向く。
その横で、長谷川はふっと目を細めた。
「なんだよ、さっきのバスケのことか? お前、意外と根に持つタイプ?」
ニヤッと笑って返すその顔には、どこか楽しげな色がにじんでいる。
隆之は、揶揄するような笑みにも動じず、長谷川を真っすぐに見つめ返した
瞳は静かなまま――けれど、奥底には、確かな火花が揺れていた。
「……いえ、それとは“別種目”です」
そう言いながら、隆之はエアホッケー台を、静かに指差した。
「次は――こちらで、勝負させてください」
ふたりの間に、ふっと立ちのぼる火花のような空気――
それを感じ取ったチハルは、一歩も動けずその場に残り、思わずごくりと息をのむ。
(えっ……な、なんか……めちゃくちゃ“男の勝負”始まっちゃう雰囲気なんですけど〜〜〜っ!?)
チハルが目をぱちぱちさせているうちに、ふたりは無言のままエアホッケー台へと向かう。
すると――その動きに気づいた周囲の仲間たちが、ざわざわと集まってきた。
「えっ!?なになに!?どうしたの〜〜っ!?」
「なんか始まるの?めっちゃ本気モードやん〜〜っ!」
美咲がぴょんっと駆け寄り、手をぱたぱたさせながらワクワク顔。
柚葉も、いちごミルクの瓶を抱きしめたまま、目をまんまるにして小走りで近づいてきた。
「ふわぁ……えっ、公式戦とかじゃないですよね……?」
「うち、解説いけるで〜〜っ」
天音が腕を組みながら、にやりと笑う。
その目は、すでに“勝負の行方”を見透かしているかのようだった。
「じゃ、じゃあ……わたし実況いきますっっ!!」
美咲が勢いよく手を挙げて、もうすでに実況席に立ったようなテンション。
「うっわ〜〜〜、なにこの空気っ!? わたし、ただのバスケゲームやってただけなのに〜〜〜〜っ!?」
チハルが頭を抱えるように叫ぶと、すぐ隣からくすくすっと笑い声がこぼれた。
「ふふっ……では、こうしましょう」
静かに歩み出たのは、玲奈だった。
紅茶の瓶を手にしたまま、背筋をすっと伸ばしてふたりの間に立つ。
「この勝負――勝った方には、“UFOキャッチャー10回分プレイ権”を進呈いたしますわ」
「えええええええっっっっ!?!?!?!?」
「ま、マジっすか先輩!!?」「賞品出たぁぁぁぁ〜〜っ!!」
「もはや公式戦より熱いやつやんっ!!」
ざわっと空気が揺れる中――玲奈はさらりと微笑みながら続ける。
「もちろん、賞品はちゃんと設定済みの機体にてご用意しております。
……父の“趣味”ですから」
「さすがっ〜〜〜〜っ!!!」
拍手と歓声が、ゲームルームにこだまする。
その空気の中――隆之は静かに手を前に出す。
「5点先取。シンプルにいこう」
「受けて立つぜ」
長谷川が、軽やかに右手を合わせる。
ふたりが、エアホッケー台の両端に立つ。
……そして、“試合”がはじまった――。
ピッ、と試合開始の電子音が鳴る。
パックが台に投入され、
ふたりの間を滑るその瞬間――!
「っしゃ!」
長谷川が鋭く打ち返す。パックが台の端をすべり、隆之のゴールをかすめて――
「惜しいな」
隆之は微動だにせず、ひょいと返す。
バシンッ!
反射のような動きで撃ち返されたパックが、逆サイドのゴールにスパーンッ!と吸い込まれる。
「一点っ!!日向高校の科学部・越智隆之先輩、先制ですぅ〜〜〜〜っ!!」
美咲のテンションMAXな実況が飛ぶ。
「くっそ、今のは読めなかった……」
長谷川が唇をかすかに噛むが、次の瞬間にはもう笑っていた。
「そうこなくっちゃな」
そこから始まる――
白熱の応酬っ!!
ズバンッ!バシィィンッ!!
パックが上下左右に暴れ回り、周囲の歓声がさらに高まる。
「いけっ!長谷川先輩っ!!」
「押し返せ〜〜〜!隆之〜〜〜っ!!」
「もうっ、どっちも頑張ってぇ〜〜〜っ!!」
気がつけば、ゲームルームの全員が固唾を飲んでふたりの試合を見守っていた。
点数は拮抗――
4対4。
いつの間にか、誰も声を出さなくなっていた。
エアホッケー台の上を滑るパックの音だけが、
やけに大きく、硬く、響いている。
ラストの一点。
それが分かっているからこそ――
誰も、軽々しく息ができなかった。
静寂の中、
隆之は、ほんの一瞬だけ視線を落とす。
(……外したら、全部終わる)
パックが台に落ちた瞬間――
ふたりの腕が、同時に動いた。
キンッ! バシンッ!
鋭い音が重なり、パックが中央を弾き合う。
長谷川が一歩踏み込み、角度をつけて打ち込む――
「っ!」
隆之はそれを、ぎりぎりで受け止めた。
ガンッ!!
強く弾かれたパックが、壁を叩いて跳ね返る。
今度は隆之が狙う。
低く、速く――ゴールの隅を突く一撃。
「甘いっ」
長谷川が、体を沈めてすくい上げる。
返されたパックは、さらに速度を増して――
バシィッ!! ズバンッ!!
台の上で、白い軌跡が何度も交錯する。
「速っ……!」
「どっちも譲らへんっ!」
観ていた誰かの声すら、耳に届かない。
ただ、パックの音だけが、激しく鳴り続ける。
――そして。
長谷川の強打が、隆之のゴールをかすめた。
「っ……!」
紙一重。
だが、入らない。
次の瞬間――
隆之は、ほんの一歩だけ前に出た。
(……今だ)
弾かれたパックを、あえて受け止める。
速度を殺し、角度を整え――
「……これで、決める」
隆之の目が鋭く光る。
バシュッ!!
今までとは違う、低く澄んだ音。
パックは一直線に滑り、
一瞬だけ、ゴール前で減速して――
「いけえええぇぇぇぇぇぇっっっ!!」
チハルの叫びと同時に、パックが――
カツンッ!
……ゴールインっ!!
「チョレイィィィィィィィィィィィィィィィィッッ!!!!」
隆之、全力で両腕を突き上げて絶叫っ!!
「き、きまったああああああああああああああっっ!!」
チハルが思わず目をまんまるにして拍手喝采!
「すごーーーいっっ!!隆之も長谷川先輩も、かっこよすぎ〜〜〜っ!!」
「きゃはっ!なにあの“チョレイ”!?完っ全に隆之の理論ぶっ飛んでたやつっ☆」
亜沙美が笑い転げ、愛衣がほわほわと拍手を送るなか――
思わず口を押さえて目を丸くしていた天音も、次の瞬間には、ぷるぷる震える肩を抑えきれずに叫んだ。
「うわぁ〜〜っ! びっくりしたわ!! 隆之の口から“チョレイ”とか出てくる思わへんやん!!」
予想外すぎるテンションにツッコミが追いつかず、けれどどこか楽しげに、天音の声が場の空気をさらに弾ませる。
長谷川は、ふぅと息を吐いて、負けたことに悔しそうな顔を浮かべながらも、すっと右手を差し出した。
「……見事。一本取られたな」
「ありがとうございます」
隆之が静かにその手を握り返す。
そんなふたりを見ながら――
玲奈が、すっと前に歩み出た。
「というわけで……勝者、越智隆之くんには“UFOキャッチャー10回プレイ権”、贈呈ですわ」
「よぉっしゃぁぁぁぁっ!!」
隆之がガッツポーズ。
その場の空気が、ぴしっと張り詰める。
ぽかんとしていた天音が、思わず笑い声をもらす。
「うわぁ〜っ、びっくりしたぁ……! 隆之って、もっと静かなタイプやと思ってたのに……」
でも――その表情は、どこかうれしそうで。
「……ふふ、なんやろ。ちょっと見直したかも。ええなぁ、ああいうの」
その声には、意外な一面を見せた隆之への素直な感嘆がにじんでいた。
ヒカリは、天音の言葉に頷きながら、静かに隆之を見つめて、ぽつりと呟いた。
「……真剣な気持ちって、隠せないのよね」
その言葉に、一瞬だけ誰もが言葉を失う。
そして――
隆之が、ぐっと前を向きなおした。
「一発目で、いくぞ」
真剣な目でUFOキャッチャーの台に向かい、スタートボタンを静かに押す。
アームがゆっくりと動き始めるのにあわせ、慎重に操作を始めた。
「……狙うのは、これだ」
少し前――UFOキャッチャーの前で、チハルが「かわいい〜〜っ!!」と目を輝かせていた、ちいさな柴犬のぬいぐるみ。
隆之は、それを寸分の迷いもなくターゲットに定めた。
アームの動きに合わせ、淡々と呟く。
「……景品の重心は、中央よりやや左寄り。
アームの開閉幅と下降速度を踏まえると――ここは“押し”ではなく、“引き”だな」
ごく自然に、正確に。
まるで計算された動作のように、アームがぬいぐるみに触れる。
「……なに言ってるかわからないけど、なんかすごい!!」
チハルの声が届くより早く、
ぬいぐるみは――ふわりと、景品口へと落ちた。
「わあああああ〜〜〜っっ!!し、柴犬っ!!
わたしの!わたしの好きなやつぅ〜〜っ!!」
チハルが目をきらっきらにさせて、小走りで駆け寄ってくる。
隆之はそれを見て、そっとぬいぐるみを渡す。
「……お前の好きそうなのだったから」
「……っっっ!貰っていいの!?
隆之ありがと〜〜〜っ!!!!!」
ぬいぐるみを、ぎゅぅぅっと嬉しそうに抱きしめて、
チハルはその場でくるくると回る。
「あとの9回分は、みんなで回してくれ。
……これが最適解だ」
そう言って、隆之はメガネを指先でくいっと持ち上げる。
その言葉に、場の空気が一気に華やいだ。
「え、まじ!?やったぁぁぁ!!」
「じゃあ次、あたしやる〜〜っ☆」
「いやうちやってないって!先うち先うちっ!!」
「落ち着いてください皆さん〜〜〜〜〜っっ!!」
わいわいと賑やかな笑い声に包まれて、
ゲームルームの時間は、まだまだ続いていく――
***
勝負がついたあと――
隆之の“最適解”は見事に決まり、UFOキャッチャーの前は笑顔と拍手で満ちていた。
その様子を、少し離れた場所から静かに見つめていたのは、長谷川と玲奈だった。
ふたりの間には、賑やかさとは違う、静かで心地よい空気が流れていた。
先に口を開いたのは、玲奈だった。
「……あなた、“負けた”のに……ずいぶん嬉しそうな顔をしていらっしゃいますわね?」
それは小さな呆れにも似た声。でも、どこかくすぐったそうな響きがあった。
長谷川は、ふっと目を細める。
「……そりゃ、嬉しいさ。
あいつ、ほんとに良い顔してただろ?
中学んとき――いろいろあったからさ。膝を壊して、バスケ辞めることになって……あの頃の隆之は、もっと塞ぎ込んでた」
玲奈は、その言葉に目を伏せる。
「……ええ。あの子、どこかずっと、自分を“遠ざけていた”ような気がしますもの」
長谷川は、軽く肩をすくめて、ぽつりと笑った。
「でも今のあいつは……ちゃんと前を向いて、勝負して、悔しがって、笑ってる。
それが、ただ……嬉しいだけだよ」
玲奈は、その言葉にふっと目を伏せた。
まつげがわずかに揺れて、何か懐かしいものを思い返すような気配があった。
そして――そっと視線を外す。
その横顔には、ほんの少しだけ、笑みが浮かびかけていて。
けれど次の瞬間、すっと表情を整えて言葉を紡いだ。
「……それにしても――あなたの“負けず嫌い”、昔から変わりませんわね」
長谷川はふっと口元をゆるめる。
「そういう玲奈だって、昔から俺にだけやたら厳しかったよな?」
「ふふっ……それは、あなたが特別に“手のかかる男の子”だったからですわ」
玲奈はそっと視線を外す。
その横顔には、どこか懐かしさがにじんでいた。
長谷川は、軽く肩をすくめながら、ひとつ息を吐いた。
「……昔はさ、“信ちゃん、信ちゃん”って――
いつも俺のあと、くっついて来てただろ?」
その言葉に、玲奈の肩がぴくっと揺れた。
「っ……ちょ、ちょっとっ!? なぜ今、その話を……っ!」
「……子どもの頃のことを蒸し返すなんて、紳士の風上にも置けませんわっ」
「じゃあさ、今も“信ちゃん”って呼んでくれたら――
ちょっと優しくしてやるよ?」
「……調子に乗らないでくださいまし、長谷川さんっ」
顔をそむける玲奈の頬が、ほんのりと紅く染まっているのに、
長谷川は何も言わず、少しだけ目を細めるだけだった。
ふたりの距離は――
懐かしさの中に、ほんのすこしだけ、近づいているようだった。




