『白と黒の贈り物』32
――その頃、別棟の温泉施設にあるサウナ室では、
まったく別の“熱”と向き合いながら、
また違った“勝負”に挑む女子たちの姿があった。
勢いよくサウナ室の扉を開けて、一番に入っていくのは、もちろんチハルだった。
タオルをしっかり体に巻いて、髪は高めの位置でふわっとまとめられている。
目はまるで冒険に出る時の犬みたいにキラッキラに輝いていて――その表情は、誰よりも嬉しそうだった。
「わふ〜〜っ……この熱気っ!もうっ、最高〜〜〜っ!!」
サウナ室の中には、木の香りと一緒に、ほんのり甘くて清涼感のあるアロマの香りが漂っていた。
ロウリュの熱で蒸された空気は、ただの暑さじゃなくて、全身をじんわり包み込むようなやさしい熱。
壁やベンチは明るい木目で統一されていて、座る位置によって“体感温度”が全然違うのが特徴だった。
チハルはすっとベンチの上段に腰をおろしながら、キラッキラの顔でみんなに向き直る。
「えへへっ、サウナってね、下段は初心者さん向け、上段は上級者向けなのっ!」
「熱は上にいくから、上に座るほど“熱波”がガンガンくるの〜〜っ!!」
「でも、そのぶん、汗もすっごく出て“ととのう”んだよっ!!」
「あ、もちろん無理しないで、苦しかったら下の方に移動するのもアリだからねっ!」
木のベンチに座るなり、チハルは満面の笑顔で深呼吸。
その横で、ひょこっとついてきた美咲は、ちょっと不安げな顔でタオルをぎゅっと握りしめていた。
「えっ……えっと、ちー先輩っ? ここ、すっごく……あっつ……ですけど……っ?」
「そうなのっ!それがいいのっ!」
チハルは汗をぬぐいながら、ぴかぴかした顔で振り向いた。
「サウナってね、体温を一時的に上げることで、白血球の活動が活性化して免疫力アップ! あとね、自律神経が整って、代謝も上がって、しかもね――」
「あっ……はいっ……が、頑張りますっ……!」
横で既に真っ赤になりかけている美咲は、タオルで顔を隠しながら、必死に聞いていた。
「ふふっ、チハルちゃん、楽しそうですねぇ……」
愛衣が穏やかに微笑みながら、ベンチの下段にそっと腰を下ろす。
アロマの香りがふわっと包み込み、汗ばむ肌からはほんのり湯気のような蒸気が立ち上る。
「……この熱、うち、ちょっとだけでええかなぁ……」
天音はすでにとろんとした目で、タオルを頭に乗せてぐで〜っとしている。
そして、ヒカリ。
彼女は、誰よりも静かに、タオルをかぶって上段に座り、
目を閉じたまま、まるで空気と一体化するようにして呼吸を整えていた。
(……まさに“無”だ……)
チハルが内心で呟く。
◆ チハル(上段)
チハルは、いそいそと上段のベンチに腰を下ろすと、嬉しそうに肩まで蒸気を浴びる。
肌にはすぐに細かい汗が浮かびはじめ、額からはひとすじのしずくが流れ落ちる。
「ふわ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!このジワジワくるやつっ!!まさに“最高の熱浴”〜〜〜っ!!」
タオルで額をぬぐいながらも、その目は相変わらずキラキラ輝いていた。
⸻
◆ 美咲(上段)
その隣、美咲はというと、すでに顔が真っ赤になっていて、
「あわわ……あっつ、あっつ、ですぅ……っ」と小声で呟きながら、タオルを口元にぎゅぅぅ。
うっすらと滲んだ汗が、首筋から胸元にかけてツツ〜ッと伝っていく。
でも、頑張って隣に座り続ける姿が、なんともいじらしくて――
「ちー先輩、尊敬します……。わたし、今……命の限界を感じてます……っ!」
⸻
◆ 天音(中段)
天音は中段に腰を下ろし、少しぼーっとしながらタオルを頭にふわりと乗せている。
汗はじんわりと首筋から背中へと流れ落ち、呼吸もゆったり。
「……なんや、夢見そうな気分やわ〜……」
とろんとした目をしながら、ほんのり潤んだ額をぬぐいもせず、微笑んでいた。
⸻
◆ 愛衣(下段)
愛衣は最下段のベンチにそっと座り、ほとんど汗もかかないような落ち着いた表情。
それでも、耳のあたりにうっすらと汗が浮いていて、静かに手ぬぐいでぬぐう仕草すら優雅だった。
「ふふ……このあたたかさ、じんわり染みてきますねぇ。
無理なく、“ととのい”をいただくのがコツ、なんですよ〜」
⸻
◆ ヒカリ(上段・黙々と)
ヒカリは上段の端に座り、目を閉じたまま完全な静寂。
その肌には、ひと粒も無駄のないような汗のしずくが、
頬から喉元へ、まるで線を描くようにゆっくりと伝っていた。
息遣いは穏やかで、まるで自身が“熱気の一部”に溶け込んでいるよう。
誰も近づけないような、神秘的な空気をまとっていた。
⸻
サウナ室の扉が再び開き、テニス部の後輩たちが
わいわいと入ってきた。
「わぁ〜っ、あったかいっていうか……え、これ暑すぎません!?」
「サウナって初めてだけど、ちょっとテンション上がりますねっ!」
「チハル先輩、ほんとにこれ入って平気なんですか〜〜〜!?」
口々に言いながら、タオル片手にあたふたとベンチに座り始める彼女たち。
そのうちの一人が「あつ〜っ!」と声を上げて、思わずバタッとタオルを広げて団扇がわりにあおぎ出す。
チハルはにっこり笑って、
「大丈夫大丈夫〜っ! これからが“本番”だよ〜〜っ♪」
……と、そのとき。
「――あと1分で、来るよっ!」
壁の電子表示板が点滅し始めた。
【⚠ 風神熱波・準備中】
チハルがバッと立ち上がり、両手を広げて宣言する。
「来るよ、みんなっ……! 風神熱波っ!! これが……真のととのいへの道なの〜〜っ!!」
「ふぇええっ……な、なにが来るんですかぁ〜〜〜〜〜っ!?!?」
「ふふ〜……風の気配が近づいてきました〜っ……」
「よしっ……もうすぐ、来るよっ!」
チハルがタオルを肩にかけて、サウナ室の上段に乗り出すように座りながら、キラッキラの目で壁の表示板を指さす。
【⚠風神熱波・残り30秒】
「この風神熱波ってのはね、30分に1回だけ来る、サウナの“神の一撃”なんだよっ!
熱と風の力で一気に汗腺が開いて、デトックス効果が爆上がり〜〜っ!!」
「で、でとっくすぅ……っ?」
隣で真っ赤な顔の美咲が、タオルを握りしめながら震えていた。
「……来る、ってどういう意味や……?風が吹くん……?」
天音がぽや〜っとした声で問いかける。
「ふふっ……これは、“火と風の精霊の祝福”ですね〜……」
愛衣が柔らかく笑みを浮かべながら、タオルでそっと髪をぬぐっている。
そしてヒカリは――
タオルを静かに頭にかぶったまま、動かない。
背筋をまっすぐに伸ばし、ただ目を閉じて、
まるで“熱波の訪れ”をすでに知っていたかのような落ち着きだった。
(ヒカリ、どんな集中力……)
チハルがちらっと横目で見たその瞬間――
⚠【風神熱波・発動】
ぶぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!
天井の送風口から一気に熱風が吹き下ろされ、
室内にぐるぐると渦巻くような風が駆け巡る!
「ぎゃああああああっ!?!?あっつあっつあっつぅぅぅぅ〜〜〜〜っっ!!」
美咲が跳ねるように立ち上がって、目をぐるぐるさせながら小刻みに震える。
その瞬間――
ぴょんっ!と飛び出す勢いで、
サウナ室の扉をすばやく開けて、そのまま外へと駆け出していった。
「ち、ちー先輩っ! わ、わたし、先に“ととのい”に行ってますからぁ〜〜〜〜っ!!」
その声が蒸気の向こうに響くころには、
すでに彼女の姿は見えなくなっていた。
「……は、はや〜〜〜〜〜っ!?!?!?」
チハルが目をぱちくりさせながら、汗だくで驚きの声を上げる。
「熱波で“ととのう”前に、出ちゃったよ〜〜っ!!」
「わっ、ちょ……えええ〜〜〜!?!?ホンマに熱風が来たぁっ!!!」
天音も慌ててタオルで顔を覆いながら、半泣き状態。
テニス部の後輩たちもバタバタと「キャーっ!」と逃げ出そうとするなか、
チハルだけは――その熱風の中で、満面の笑みだった。
「くぅぅ〜〜〜〜〜っっ!!これっ!これなんだよぉ〜〜〜っっ!!
この風神熱波を浴びるためにっ、わたしはこのサウナに来たのっ!!」
目を閉じて熱風を全身で受け止めるその姿は――
まるで、“サウナ界の風神巫女”。
熱風が一気に吹き降ろされるその瞬間――
ベンチ下段で、愛衣がふわっと目を細めた。
「……ふわぁ〜……っ。すごいですねぇ、これが……風神さまの熱……」
額から流れ落ちる汗をそっと指でなぞって、ふふ、と微笑んだその横顔は――
どこか、熱と風を受けてまるで恍惚とした巫女のような雰囲気すら漂わせていた。
それでも、声のトーンはあくまでふんわりと穏やかで――
「……ふぅ。これは、やみつきになっちゃいます〜……」
一方で、ヒカリはやはり――動じない。
微動だにせず、風と熱の只中に在りながら、
まるで“この世の静寂”を纏っているかのように、ぴたりと座っていた。
「……気持ちいい」
ぽつりと、ただそれだけを呟く。
***
風神熱波を受けたあと、
火照った身体を冷ますように、女子たちは水風呂エリアへとゆっくり向かっていた。
「ひゃああ……冷たっ、つめたっ……!」
天音がそろりそろりと足を入れ、
「……あかん、これは、ちょっとずつやわ……」と震えながら、慎重に腰を沈めていく。
「ふぅ〜〜〜〜……♡
やっぱりこれだよね〜っ……っはぁ〜〜〜〜〜〜……」
チハルはすでに肩まで静かに浸かっていて、
タオルでまとめた髪はきちんと結い上げられている。
頬はほんのり赤く染まり、とろけたような笑顔で目を閉じていた。
「サウナ10分、水風呂1分、外気浴10分……これが“ととのい”のゴールデン比率なんだよぉ〜〜〜〜っ!」
「……知らなかったけど、説得力あるわ……」
天音がぽそっと言いながら、隣でぷか〜っと力を抜く。
けれど、そのすぐあとに、ちょっと眉をしかめながら――
「でもなぁ……10分もサウナとか、普通に無理やぁ……
風神熱波なんて来たら、うち、カラッカラに炙られて干物になるとこやったで……」
チハルはぷはぁっと肩まで浸かりながら笑う。
「でもねっ、そこを乗り越えたからこそ、この“水の恵み”がたまらないの〜〜っ!!」
「あぅ〜〜……このひんやり、しあわせ過ぎて……とけちゃいそうです〜っ」
小さくたたんだタオルが頭にちょこん。
愛衣はふんわりと微笑みながら、頬を水に当てて、とろ〜んと目を細めていた。
一方でヒカリは、無言ですぅっと水面に身を沈めた。
肩まできっちり、姿勢も呼吸も一切ブレない。
手は腿の上、まるで止まった時間の中にいるみたいだった。
(……なんか、ほんとに別次元だなぁ)
チハルがちらっと横目で見て、ふっと笑う。
(……でも、サウナも水風呂も気に入ってくれてるっぽい。よかったぁ……)
チハルがそう思った次の瞬間――
サウナの風神熱波から一目散に逃げていった美咲の姿が水風呂エリアに、再び現れる。
奥の通路からぴたぴたと濡れた足音が近づいてきて――
「ちー先輩〜〜〜〜っ!!!」
美咲が半泣きのまま、水風呂エリアに駆け戻ってきた。
「え、なになになに!? なんでみんな、そんなキンキンの水の中に入ってるんですかぁ〜〜〜っ!!?」
美咲はその場でぴたっと足を止め、距離をとりながらじりじりと後ずさる。
「えへへっ、大丈夫だよ〜〜っ、美咲ちゃんも
こっちおいでよ〜〜っ♪」
チハルが水面から手を振って、にこにこ笑ってみせる。
「む、無理です〜っ!!わたし、そういうのほんとダメなんです〜〜〜っ!!!」
「あのっ……それって、ほんとに人が入っていい水温なんですか……!?」
美咲は目を潤ませながら、タオルをぐいっと抱きしめるように胸元に寄せて、まるでこれ以上近づいたら
“魂ごと凍る”みたいな顔をしている。
「……せやろなぁ……うちも最初、足つけた瞬間ヒヤッてして動かれへんかったわ〜……」
天音が肩まで浸かりながら、タオルを頭に乗せて、ぐで〜っと目を細めている。
「でもねぇ、美咲ちゃん……このひんやりは、がんばったごほうびなんですよ〜っ」
愛衣がふわっと微笑みながら、頬をちょこんと水面にくっつけて、とろ〜んとした声で囁いた。
チハルが笑いながら、肩まで水に浸かって手を振る。
「美咲ちゃんは、あったかいパンケーキみたいだもんね〜〜っ♪ふかふかで、甘くて、やさしい感じっ!」
天音がとろんとした目で、湯気に包まれながらぼそり。
「……せやな。美咲がここ入ったら、冷凍庫から出したばかりの……あずきバーみたいに、カッチカチになりそうやで〜♪」
「も、もう〜〜〜っ!!ちー先輩はともかく……」
「天音先輩っ! 誰があずきバーですか〜っ!?!?」
美咲がじたばたしながら、ぷくっとほっぺをふくらませる。
水風呂に肩まで浸かっていたチハルは、
ぷは〜っと息をついて笑いながら手を振った。
「じゃあさっ、美咲ちゃんは、今度ぬくぬくのお風呂組だね〜〜っ♪」
「それっ、それが正義ですっ!!」
美咲はバスタオルをぎゅっと抱きしめながら、胸を張って宣言する。
愛衣はさらさらの髪をそっと持ち上げながら、
「ふふっ……このままじゃ、しっぽがふやけちゃいます〜っ」
と、冗談めかしてにこっと笑った。
「……え? しっぽ……?」
美咲がぽかんと瞬きすると、愛衣はくすっと笑って――
「うふふ、冗談ですよ〜? 冗談、です〜っ♪」
そのやりとりを聞いていたチハルは、
水の中でそっと目を丸くして――
(……えっ、いま“しっぽ”って……? や、やっぱ……見えた“アレ”、本物だったりして!?)
* * *
数分後。
チハルたちは水風呂からゆっくりと上がり、
浴室の壁際で身体を拭きながら、それぞれにバスタオルを巻いていく。
「わふぅ〜〜……もう、サウナと水風呂のセット……最高すぎる〜〜〜っ」
チハルがぽつりと呟くと、天音が「せやなぁ〜……極楽や〜」と目を細め、
愛衣は「ふふっ、じゃあ……風にあたりに行きましょうか〜っ」と、にこりと微笑んだ。
ヒカリはガラス扉の前で立ち止まり、
夜風を感じるように、そっと目を細めた。
「……風が、気持ちよさそう」
それだけ呟いて、何気ない仕草で扉を押し開ける。
4人は揃って、外気浴エリアへとつながるガラス扉を開けて、外へと出ていった。
開け放たれた扉の向こうには、夜風がそよそよと吹き抜けるウッドデッキが広がっていて、リクライニングチェアがゆったりと並んでいた。
そのすぐあと――
少し遅れて、ぬくぬくのお風呂から上がってきた美咲が、
まるで全身がとろけちゃったかのような顔で、
ふわふわのバスタオルにくるまって、ちょこちょこと無言のまま、みんなの後ろをついてくる。
「……ぬくもり過剰摂取しすぎて、完全にふにゃふにゃなんですけど〜〜〜っ!」
チハルが思わず吹き出しそうになるほど、
美咲の顔は“ととのい”というより、“おひるね前の猫”みたいなとろ〜ん顔になっていた。
「……ふぅ〜〜〜〜っ……♡」
チハルがバサッと椅子に倒れこみ、
顔を空に向けて大きく息を吐いた。
「これっ!これだよね〜〜〜〜〜〜〜〜っっ♡♡♡」
すぐ隣で、先に“脱落”していた美咲が、
タオルを頭からかぶったまま、とろ〜んとした顔でまどろんでいる。
「……お空……まわってます〜〜……」
「ふふっ、いい子にしててえらいですね、美咲ちゃん……」
愛衣がそっと頭を撫でる。
「……星、綺麗やなぁ」
天音が夜空を見上げて、ぽつりと呟いた。
最後にヒカリ。
タオルを首にかけたまま、椅子に腰かけて、
そのままじっと空を見上げている。
誰よりも静かで、何も語らない彼女の表情は――
ととのいの“頂点”にいる者だけが見せる、穏やかな微笑みに包まれていた。
「……いい夜」
そのひと言が、
チハルの胸に、じんわりと染み込んでいく。




