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『犬神物語』 〜転生少女と不思議な絆〜  作者: 犬神 匠
第八話 渡島編 後編
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『白と黒の贈り物』31

玲奈先輩の別荘――

その奥には、まるで小さなアスレチック施設のような「アクティビティ棟」が建っていた。


建物は二階建てで、外観は落ち着いた北欧風のウッドデザイン。

中に入ると、温もりある木の香りが鼻をくすぐる。


階段を上がった先、扉の奥には、しんと静まり返った空間が広がっていた。


天井は高く、照明はスポットライトのように、コートの中心をだけをぼんやりと照らしている。

床はつややかなフローリングで、片側だけに設置されたバスケットゴール。

ラインは練習用に描かれた簡素なもので、公式戦のような装飾は一切ない。


それでも――その空間には、妙な“緊張感”が漂っていた。


壁際には、ダンベルやランニングマシン、小さな観覧スペースも設けられており、

“ただの遊び場”では済まされない、どこか本格的な気配がある。


「……床の反発係数、公式戦レベル。

天井高も無駄に高いし……趣味って分類じゃないな」


思わず、隆之は小さく息を吐いた。


まるで体育館を切り取ってきたような空間。

床の張り、天井の高さ、照明の配置。

どれもが“本気の設備”だった。


そう思いつつも、隆之は静かにゴールに向かってボールを放つ。


(……ネットの素材は、ポリエステル繊維。

結節の間隔は45ミリ……跳ね返り抑制型。

シュート音が「シュパッ」じゃなくて「スッ」と抜けるタイプ……)


隆之はひとつ、無言でフリースローを打った。


シュッ――


ボールがリングを通る音とともに、ネットがわずかに揺れ、音もなく吸い込まれる。


「……やっぱり。消音仕様か」


静かに頷くと、彼は再びボールを拾い上げる。


(誰にも気づかれずに練習するには、合理的な選択だな……)


ボールを拾い上げた隆之が、もう一度シュートモーションに入ろうとした、そのときだった。


――気配。


後ろの扉が、ごくわずかに軋んだ。


「……ゴールネットの分析なんてしてるの、お前くらいだぞ」


静かで、でもどこか懐かしい声が響く。


隆之が振り返ると、ジャージ姿の長谷川信也が、

片手にタオルをぶら下げて立っていた。


「……長谷川先輩」


「お前が来てる気がしてな。様子、見にきただけだ」


ぶっきらぼうな口ぶりとは裏腹に、その目はどこか安心したようだった。


「どうせなら……少しだけ、付き合ってくれるか?」


長谷川が手を伸ばす。

無言でボールを渡す隆之。


静かな夜、

音も言葉も必要最低限のまま――

“あの頃の感覚”だけが、ふたりの間に戻ってきていた。


「……一本、やってみるか」


長谷川が言ったその一言で、空気が変わった。


隆之は頷き、ボールを手に取ると、スタートラインまで下がる。


無言のまま構え合うふたり。

まるで、言葉はもういらない――そんな合図だった。


「……制限なしで?」


「いいぜ。好きにやれよ」


ドリブルの音が、静寂を切り裂く。


隆之が仕掛ける。

緩急をつけて右へフェイク、すぐに切り返して左へ――


(……ここだ)


だが、長谷川の足は止まらない。

一歩の読みが速い。

身体を預けるように、正確にポジションを取っていた。


「お前、ドリブルの間合い……変わったな」


「研究したんで」


「だろうな」


ふたりの声は短い。

でも、その一瞬ごとに確かに“わかり合っている”。


隆之は次の攻めを試みる。

アウトサイドに引きながら、距離をとってからのシュートフェイク。


「……それは読めてる」


長谷川が詰めてくる――

だが隆之はそのタイミングで、シュートの構えからパスのようなフェイクを入れ、

一瞬のズレでレイアップに持ち込んだ!


「……上出来だな」


「データ通りに動いてくれれば、ですけど」


「ハハ……言うじゃねぇか」


シュッ――と、ボールがネットを揺らす。


ふたりの呼吸が、ゆっくりと重なっていく。


(この感覚……忘れてたな)


長谷川はそう思いながら、次の攻防に備える。

隆之もまた、ただ黙って構え直す。


言葉よりも、音よりも、

“試合の空気”だけがふたりを包んでいた。


そして――


誰もいないコートで繰り広げられる、

たったふたりだけのワンオンワンは、

夜の深まりとともに、静かに熱を帯びていった――。


***


「……じゃあ、次でラストにしようぜ」


長谷川が汗をぬぐいながら言った。


「一本勝負。先に決めた方が勝ちってことで」


「……了解です」


隆之も息を整え、静かに構える。

もう言葉はいらない。


互いに読み合い、手札を探り合い――

次の一手に、全てを賭ける。


隆之が仕掛ける。

低く、速いドリブル。

フェイク、ステップ、視線の誘導。

理論と実践、すべてを注ぎ込んだ“最適解”の突破口。


(……この角度、この距離、ディフェンスの重心は……)


だが、次の瞬間――


「そこだろ」


長谷川の腕が、隆之の動きにピタリと重なる。


一瞬のタメもなく、ボールを奪い返す。


「……っ」


取られた。


隆之の中で、思考が止まる。


そのまま長谷川がドリブルで駆け上がり、

隆之の重心が一瞬遅れた隙を――見逃さなかった。


「――もらった」


ステップで抜け出し、

ネットへと滑り込むように、やわらかく放たれたレイアップ。


――シュッ。


ボールが吸い込まれ、静かにネットを揺らした。


一本勝負、決着。


「……さすがです。完敗ですね」


そう言った隆之の声は、どこか悔しさを滲ませながらも、素直だった。


長谷川は息を吐いてから、ゆっくりと彼の肩を叩いた。


「いや――よく読んでた。

お前、ドリブルのテンポ、かなり変わってたな。

上半身のフェイクも、以前より自然だった」


「……ありがとうございます」


「素直にすげぇって思ったよ。

多分あと数ヶ月したら、普通に抜かれてたかもな」


「それ……フォローですか?」


「さあな。

……でも、“伸びしろのある後輩”ってのは、見てて楽しいもんだぜ」


そう言って、長谷川は軽く笑った。


隆之も、わずかに口元をゆるめる。


ふたりの影が、照明に揺れて交差した。


誰も知らない場所で、誰も知らない一本勝負。

でもそれは、確かに“彼らだけの青春”の形だった。

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