『白と黒の贈り物』31
玲奈先輩の別荘――
その奥には、まるで小さなアスレチック施設のような「アクティビティ棟」が建っていた。
建物は二階建てで、外観は落ち着いた北欧風のウッドデザイン。
中に入ると、温もりある木の香りが鼻をくすぐる。
階段を上がった先、扉の奥には、しんと静まり返った空間が広がっていた。
天井は高く、照明はスポットライトのように、コートの中心をだけをぼんやりと照らしている。
床はつややかなフローリングで、片側だけに設置されたバスケットゴール。
ラインは練習用に描かれた簡素なもので、公式戦のような装飾は一切ない。
それでも――その空間には、妙な“緊張感”が漂っていた。
壁際には、ダンベルやランニングマシン、小さな観覧スペースも設けられており、
“ただの遊び場”では済まされない、どこか本格的な気配がある。
「……床の反発係数、公式戦レベル。
天井高も無駄に高いし……趣味って分類じゃないな」
思わず、隆之は小さく息を吐いた。
まるで体育館を切り取ってきたような空間。
床の張り、天井の高さ、照明の配置。
どれもが“本気の設備”だった。
そう思いつつも、隆之は静かにゴールに向かってボールを放つ。
(……ネットの素材は、ポリエステル繊維。
結節の間隔は45ミリ……跳ね返り抑制型。
シュート音が「シュパッ」じゃなくて「スッ」と抜けるタイプ……)
隆之はひとつ、無言でフリースローを打った。
シュッ――
ボールがリングを通る音とともに、ネットがわずかに揺れ、音もなく吸い込まれる。
「……やっぱり。消音仕様か」
静かに頷くと、彼は再びボールを拾い上げる。
(誰にも気づかれずに練習するには、合理的な選択だな……)
ボールを拾い上げた隆之が、もう一度シュートモーションに入ろうとした、そのときだった。
――気配。
後ろの扉が、ごくわずかに軋んだ。
「……ゴールネットの分析なんてしてるの、お前くらいだぞ」
静かで、でもどこか懐かしい声が響く。
隆之が振り返ると、ジャージ姿の長谷川信也が、
片手にタオルをぶら下げて立っていた。
「……長谷川先輩」
「お前が来てる気がしてな。様子、見にきただけだ」
ぶっきらぼうな口ぶりとは裏腹に、その目はどこか安心したようだった。
「どうせなら……少しだけ、付き合ってくれるか?」
長谷川が手を伸ばす。
無言でボールを渡す隆之。
静かな夜、
音も言葉も必要最低限のまま――
“あの頃の感覚”だけが、ふたりの間に戻ってきていた。
「……一本、やってみるか」
長谷川が言ったその一言で、空気が変わった。
隆之は頷き、ボールを手に取ると、スタートラインまで下がる。
無言のまま構え合うふたり。
まるで、言葉はもういらない――そんな合図だった。
「……制限なしで?」
「いいぜ。好きにやれよ」
ドリブルの音が、静寂を切り裂く。
隆之が仕掛ける。
緩急をつけて右へフェイク、すぐに切り返して左へ――
(……ここだ)
だが、長谷川の足は止まらない。
一歩の読みが速い。
身体を預けるように、正確にポジションを取っていた。
「お前、ドリブルの間合い……変わったな」
「研究したんで」
「だろうな」
ふたりの声は短い。
でも、その一瞬ごとに確かに“わかり合っている”。
隆之は次の攻めを試みる。
アウトサイドに引きながら、距離をとってからのシュートフェイク。
「……それは読めてる」
長谷川が詰めてくる――
だが隆之はそのタイミングで、シュートの構えからパスのようなフェイクを入れ、
一瞬のズレでレイアップに持ち込んだ!
「……上出来だな」
「データ通りに動いてくれれば、ですけど」
「ハハ……言うじゃねぇか」
シュッ――と、ボールがネットを揺らす。
ふたりの呼吸が、ゆっくりと重なっていく。
(この感覚……忘れてたな)
長谷川はそう思いながら、次の攻防に備える。
隆之もまた、ただ黙って構え直す。
言葉よりも、音よりも、
“試合の空気”だけがふたりを包んでいた。
そして――
誰もいないコートで繰り広げられる、
たったふたりだけのワンオンワンは、
夜の深まりとともに、静かに熱を帯びていった――。
***
「……じゃあ、次でラストにしようぜ」
長谷川が汗をぬぐいながら言った。
「一本勝負。先に決めた方が勝ちってことで」
「……了解です」
隆之も息を整え、静かに構える。
もう言葉はいらない。
互いに読み合い、手札を探り合い――
次の一手に、全てを賭ける。
隆之が仕掛ける。
低く、速いドリブル。
フェイク、ステップ、視線の誘導。
理論と実践、すべてを注ぎ込んだ“最適解”の突破口。
(……この角度、この距離、ディフェンスの重心は……)
だが、次の瞬間――
「そこだろ」
長谷川の腕が、隆之の動きにピタリと重なる。
一瞬のタメもなく、ボールを奪い返す。
「……っ」
取られた。
隆之の中で、思考が止まる。
そのまま長谷川がドリブルで駆け上がり、
隆之の重心が一瞬遅れた隙を――見逃さなかった。
「――もらった」
ステップで抜け出し、
ネットへと滑り込むように、やわらかく放たれたレイアップ。
――シュッ。
ボールが吸い込まれ、静かにネットを揺らした。
一本勝負、決着。
「……さすがです。完敗ですね」
そう言った隆之の声は、どこか悔しさを滲ませながらも、素直だった。
長谷川は息を吐いてから、ゆっくりと彼の肩を叩いた。
「いや――よく読んでた。
お前、ドリブルのテンポ、かなり変わってたな。
上半身のフェイクも、以前より自然だった」
「……ありがとうございます」
「素直にすげぇって思ったよ。
多分あと数ヶ月したら、普通に抜かれてたかもな」
「それ……フォローですか?」
「さあな。
……でも、“伸びしろのある後輩”ってのは、見てて楽しいもんだぜ」
そう言って、長谷川は軽く笑った。
隆之も、わずかに口元をゆるめる。
ふたりの影が、照明に揺れて交差した。
誰も知らない場所で、誰も知らない一本勝負。
でもそれは、確かに“彼らだけの青春”の形だった。




