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犬神物語 〜転生少女と不思議な絆〜  作者: 犬神 匠
第八話 渡島編 後編
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『白と黒の贈り物』29

コートの上に、静寂が降りた。


「ゲームセット! 勝者、天野さん〜〜!」


杉本先生のコールが響き、ほんの一拍ののち――

堰を切ったような拍手が、あちこちで巻き起こる。


けれど――まだ、動けなかった。


「……はっ、はぁ……」


ラケットをゆるく下ろすと、肩で息を整える。

胸の奥には、熱が残っていた。

それが、不思議と心地よい。


向かい合う天野さんも、浅く残った息を抱えたまま、

まっすぐこちらを見ている。

頬を伝う一筋の汗。

それでも、その瞳は凛として――どこまでも澄んでいた。


「……はぁ……本当に、素晴らしいプレーでしたわ」


息を落ち着けるように、そっと微笑む。


「まるで……記憶の中の“あの方”が、そこにいらしたかのようで――」


「……っ、ふぅ……」


ゆっくりと首が振られる。


「ありがとうございます。

 ただ今日は、ラケットを握る感覚が、懐かしかったんです」


握られたままのラケットに、わずかに力がこもる。


「天野さん……」


ふと、視線が上がった。


「……ご一緒に、全国を目指してみませんこと?」


「……!」


その言葉に、瞳がかすかに揺れる。

まだ息は整いきっていないはずなのに――

それでも、ゆっくりと、想いを確かめるように頷いた。


「……はい。喜んで」


静かで、けれど確かな言葉。

想いが、そのまま形になったようだった。


――その瞬間。


そっと、手を差し出す。


一瞬だけ迷いが浮かんだものの、

すぐに、その手が重ねられた。


ふたりの掌が、しっかりと結ばれる。


汗ばんだ温度が、今この瞬間だけを確かにつないでいた。


「ようこそ。

 わたくしたちのテニス部へ――天野ヒカリさん」


ほんの短い握手。

それでも、そのぬくもりは、胸の奥に深く刻まれていた。


***


「……はい。喜んで」


ヒカリがそう言った瞬間、

胸の奥が――ぱっとあったかくなった。


「……えへへっ」


気づいたら笑ってた。

なんだろう……よかった、って。ほんとに、それだけで胸がいっぱいになって。


「ヒカリ、ありがと。わたし……すっごくうれしいよ」


すぐ隣で、美咲ちゃんの目がきらきらしてる。

ちょこんと両手を胸に重ねて、小さく頷いた。


「……ヒカリ先輩が入部してくれるなんて……夢みたいです……っ」


そう言ったあと、ぱっと顔を上げて――


「これから、一緒に部活がんばれるんですねっ。

 うわぁ……なんだか、ちょっと……泣きそうです……」


うるうるした瞳が、ちゃんと見えた。


そしてヒカリは、そんな私たちを見て、ふっと小さく笑う。


「……ふたりとも、ずいぶんと喜ぶのね」


でもその声は、どこか照れくさそうで――

ううん、きっと……ほんの少し、嬉しそうでもあった。


三人で笑い合っていると――


「……ふふっ。やっと、ですわね」


優雅な声。振り返ると、背筋をすっと伸ばした玲奈先輩が立っていた。

いつもの気品はそのまま。なのに今日は、表情が少しやわらかい。


「歓迎しますわ、天野さん」


その言葉に、ヒカリは小さく頷く。

ふたりの視線がそっと重なった。


さっき握手を交わしたばかりなのに――

この静かなひとときの中にも、ちゃんと“繋がり”がある気がした。


「……ありがとう、ございます」


小さい声なのに、しっかり響いて――胸の奥に落ちてきた。


すると――


「ヒカリちゃん〜っ! 玲奈先輩~っ! おつかれさまでしたっ!」


わあっと走ってくる、癒し広報部の三連星。

亜沙美はもうスマホを構えて、連写モード全開で――


「この瞬間っ☆ SNS投稿用に神ショット撮るから、笑って笑って〜!」


「ちょ、ちょっと落ち着き〜な。はしゃぎすぎやで〜」


天音ちゃんが横からツッコミを入れつつも、やっぱり笑ってる。


愛衣ちゃんは、ふわりと手を組んで――

「これで……また、素敵な風が、ひとつ加わりましたね〜」

やわらかく微笑む横顔に、胸がまたぽかぽかした。


その輪の中へ、ヒカリも自然に溶け込んでいく。

――それが、なにより嬉しかった。


***


夕方が近づく頃、屋内コートの熱気はようやく落ち着きはじめていた。

とはいえ、軽い練習とは思えないほど身体はしっかり動かされていて――


「ふぅ〜〜〜っ。汗びっしょり〜っ……!」


ラケットを持ったまま腰に手を当て、ぐいっと背中を伸ばす。

ポニーテールの先までじっとり。もうこれは、流さないとやばいって〜〜!


「動きはまだ荒削りだけれど……少しずつ形にはなってきましたわね」


タオルで首元を押さえながら、玲奈先輩が穏やかに言った。


「えへへっ……はいっ! 形になってきたって言ってもらえると、すっごく嬉しいですっ」


胸の奥が、ぽわっとあったかくなる。

玲奈先輩からそう言ってもらえると、それだけで、また頑張ろうって思えた。


「では、そろそろ軽く汗を流しておきましょう。

 施設の奥にシャワールームがありますわ。ご一緒にどうかしら?」


そのひと声で、顔を見合わせる。


「えへへっ! 大賛成ですっ♪」


美咲ちゃんは満面の笑み。お団子ヘアがふにゃって揺れる。


「……さっと汗を流すだけ、ですね」


ヒカリ先輩はクールなまま、額の汗を指先で拭って、小さく頷いた。


「はいっ! わたしも行きますっ!!」


元気よく返事をして、ボールバッグを片づけながら、ちょっとだけワクワクする。


(こういうの……部活の後!って感じ、するよねっ)


シャワールームはコートとつながる廊下の奥。

白いタイルが並ぶシンプルな作りで、奥には個別の仕切りもついていた。

なんとなく、落ち着いた空気が流れてる。


バスタオルを手に、そっと扉をくぐると――

足音が、パタパタと床に響いた。


──シャワーブースの中。


お湯を出した瞬間、じわ〜っと汗と緊張が流れていって、思わず息が漏れる。


「ふぅ〜〜っ……生き返るぅ……!」


肩にかけてたタオルを横に置き、髪をかき上げる。

ざああ……と、隣のブースからシャワーの音が重なるたび、ちょっと不思議な気持ちになった。


さっきまで、コートの中で凄い試合をしてたふたりが――今はすぐ横で、同じ温度のお湯を浴びてる。


(……なんか、すごい。こういうのも、仲間ってことなのかな)


「……ねぇ、ヒカリ。ほんとにすごかったよ」


少し声を張ると、シャワーの音が一瞬だけ途切れて、隣から静かな声が返ってくる。


「……ありがとう。そう言ってもらえるの、嬉しい」


「うん、でも……見てて鳥肌たったもん。

 なんかもう、“プロってこういう感じ?”って……」


「……あれは玲奈先輩が、本気だったから……だと思う」


そう言うと、さらに向こうのブース――玲奈先輩の落ち着いた声が重なった。


「ふふ……そう仰っていただけるなら、キャプテン冥利に尽きますわね」


「ていうか玲奈先輩もすっごかったですよ〜!

 フォームもサーブもカッコよすぎて、なんか……“宝塚の男役”ってこういうのかな〜って思いましたっ!」


美咲ちゃんの声。

あはは、って笑いがこぼれた。


そのあとは、またシャワーの音だけが並んで流れてくる。

でも不思議と、その音が心地よくて――

緊張も汗も熱も、ぜんぶお湯と一緒に流れていくみたいだった。


***


シャワーを終えて、脱衣所横の洗面スペースへ。

タオルを巻いたまま鏡の前に立つと、ドライヤーの音がぽつぽつと続く。


その中で――ふと、声がした。


「……ひとつ、聞いてもいいかしら」


その声音だけで、すぐ分かる。玲奈先輩だ。


「はい?」


ヒカリの、少し驚いたような返事。


ドライヤーのスイッチを切って、こっそり耳を澄ます。


「最初の2ポイント。……あれは、本気ではなかったのですわよね?」


……っ。

胸が、どきっと跳ねた。

タオルを握る手に思わず力が入る。


少しの沈黙。

それから、ぽつりと。


「そういうつもりじゃ……なかったんです。

 でも……体がまだ少し、戸惑ってたというか」


その言葉に、ふっと笑うような音。


「ふふっ……やはり、そうでしたのね」


悔しさが混じってる。けれど、どこか誇らしげでもある。

負けて悔しくて――それでも相手を称える、キャプテンの声。


「次は、最初から“その気”でお願いしたいですわ」


ヒカリも、くすっと笑って応える。


「はい。……次は最初から、全力で」


そのやり取りだけで、鏡の中の空気まで変わった気がした。

すごいなあ……って、思う。


そっとドライヤーを入れ直す。

気持ちが、ぽかぽかして――


(……ヒカリ、本当に……強くて、優しいな)


ドライヤーの音が戻ってきて、言葉はしばらく途切れた。

でも、心はあったかいまま。

ふたりの会話が、胸の中で静かに揺れてる。


(ふふっ……なんか、いいな)


そこへ、美咲ちゃんがタオルで髪を包みながら、ふわっと言う。


「ちー先輩っ。お腹……空きませんっ?」


「うんっ! めっちゃ空いた〜〜!」


元気よく返したところで、ちょうどタイミングよく、玲奈先輩の声が奥から届いた。


「皆さん、そろそろディナーの準備が整いましたわ。

 リビングにお越しいただければ、お料理をご案内いたしますわよ」


「えっ、ディナーっ!?」


美咲ちゃんがびくん、と肩を揺らす。

その拍子に、タオルの端がぴょこんと跳ねたの、ちょっとおもしろい。


「やばっ、やばっ……さっきのシャワーで、胃袋も“ご飯準備OK”モードに切り替わってますっ!!」


「えへへ〜、美咲ちゃん、さすがだね〜っ」


笑いながらバスタオルをたたんで、制服に着替える。

ヒカリ先輩も、静かに微笑んで頷いた。


玲奈先輩はタオルの端を持ったまま、いつもの優雅な口調でふわりと続ける。


「今夜は、別荘のダイニングにて、シェフ特製の創作コースをご用意しておりますの。

 前菜からデザートまで、夏の味覚をふんだんに使ったお料理……ご期待くださいませ」


「コ、コース料理〜〜〜っ!?!?」


美咲ちゃんが、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねた。


「え、わたし、おかわり自由のバイキング的なやつだと思ってました〜〜っ!」


「それは明日のお昼にでも、別荘テラスで開催いたしますわね。

 今日は、少しだけ“贅沢”を」


玲奈先輩が、優雅に微笑む。


その笑顔が――

ちょっとだけ、特別な夜の始まりを告げてるみたいだった。

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