『白と黒の贈り物』26
犬神さんと小川さんは、並んでひとつのベッドに身を預けていた。
ふかふかのシーツに、静かな寝息が重なる。
その幸せそうな寝顔を見つめながら――
「……ふふっ、いい顔で眠ってる」
ぽつりとこぼれた言葉には、あたたかな想いが確かに宿っていて、静かな部屋の中、風のようにそっと溶けていった。
……こんなふうに眠る姿を、私は何度も見てきた気がする。
なのに――
胸が、やさしく、少しだけ痛む。
私はベッドの足元にある椅子に腰を下ろし、そっと目を閉じた。
何かがこみ上げてくる。
抑えきれないわけじゃない。
ただ――静かに、あふれただけ。
「……とおく とおく 風吹いて……♪」
「きみの夢を 運んでも……♪」
ほんの一節だけ。
けれど、それでよかった。
歌はやがて、私の心の奥へと静かに沈み、
あたたかい静寂が、また部屋に降りてくる。
……あの頃の日々のように。
そして、時間が静かに流れた。
***
ふたりの寝息が重なる空間に、気づけば――ヒカリもそっと身体を預けていた。
まるで、そのぬくもりに寄り添うように。
チハルと美咲。
そして、その真ん中で――
ヒカリまでもが、すぅすぅと寝息を立てている。
その寝息は、まるでひとつのメロディのように重なり、
部屋の空気に、ぬくもりが満ちていく。
やがて――
ぽつり、ぽつりと、誰かの寝言が空気の中に溶けた。
「……ゲンキ……おいで……いっしょに走ろうね〜……」
チハルは小さな笑みを浮かべながら、足をぱたぱたさせている。
「……ちー先輩、ずるいです……お団子、もうひとくち……」
美咲はぴとっとチハルにくっついたまま、もごもご寝言をつぶやく。
「……わたしも……もう、すこしだけ……こうしていたい……」
ヒカリの声は、ごく静かに。
まるで記憶の底からこぼれた祈りのようだった。
その姿は、夢の中で再会した家族のように――
とても、幸せそうだった。
***
「よ〜し! いくよっ……覚悟してね〜〜〜!!」
亜沙美がそーっとドアを開ける。
「……寝てるなぁ〜〜……」
天音の声が、少し感動混じりで揺れていた。
「……ちょ、ちょっと……ヒカリちゃんまで!? 添い寝っ!?!?」
「これは……むりむりむり、あたし溶けるっ!!」
三人はぴったりくっついて毛布にくるまり、チハルの腕には美咲が、ヒカリの肩にはチハルが――
まるでなにかを守るように寄り添っていた。
「ヒカリちゃん……ほっぺにチハルの髪、くっついてるで……」
「それすらも尊いとか、もうどうすればええんや……」
***
寝息が三つ、やわらかく同じリズムで響いていた。
わたしはその光景を、そっと見守っていた。
何も言わず、何も触れず。
ただ、その姿を――
まるで知っていたように、目を細めて見つめていた。
……ふふっ。
それで、いいのです。
本当は……ずっと、こうしていたかったんですよね。
気づかれていなくても、記憶の中に残っていなくても――静かに心の中で祈った。
(また、あしたね)
……そのとき、
ふわりと揺れた“しっぽ”が、三人の寝息に寄り添うように揺れた。
見える人には、きっとそれがわたしだと分かる。
けれど今は――ただ、見守るだけ。
***
幸せな午後のまどろみも、そろそろ終わりの時間だった。
「……マジで起こすの、罪悪感ヤバすぎる……」
ベッドの前で、亜沙美が小声で震えている。
「こんな天使みたいな寝顔見たら、無理やろ……」
天音が手を合わせて、ぽそりとつぶやいた。
けれど使命は果たさなければならない。
“玲奈先輩の部活タイム”――それは絶対のタイムスケジュール。
「ちー先輩〜〜〜っ!!」
「れ、玲奈先輩がっ! 部活、はじめますわよ〜っ!!ってっ!!」
「うぅ〜〜……あと5分だけ……わふっ……」
チハルは寝ぼけながらゲンキの夢を見ているらしい。
「……うへへ……サーブうったら、ご褒美に焼きそばパン……」
美咲はもぞもぞしながら、夢の中で爆食モード。
「……ラケット……は……そっちの光の方へ……」
ヒカリは眉を寄せ、寝言のまま手を伸ばした。
まるで夢の中で、光を追いかけながらラリーをしているみたいに。
「いやっ……この寝言トリオ、起きる気ゼロなんですけど〜〜っ!!」
亜沙美が全力ツッコミ。
「……うち、今日だけで人生五回くらい尊死した気がするわ……」
天音はバスタオルで顔を覆いながら震えている。
「ふふっ……そろそろ、時間ですから」
愛衣がやさしく微笑み、カーテンをすこし開けた。
差し込んだ光が、ふわっと三人に届く。
***
「よしっ……っと!」
チハルは髪を結んでいた白いリボンをそっとほどき、指先で形を整えた。
「今日はテニスモードだから、リボンはお休みっ……」
そう呟いてリボンをポケットにしまい、
かわりに取り出したのは――白いヘアゴム。
「……でも、ちゃんと“白”で気合いはキープだからね〜っ!」
明るく笑いながら、きゅっとポニーテールを結び直す。
テニスジャージに身を包んだチハルは、
その姿だけで、もうコートの風を感じているみたいだった。
「ふへへ〜〜っ、ご褒美の焼きそばパンは、帰ってからですっ!」
美咲もジャージに着替え、やる気満々の笑顔。
「……私も、着替えておくわ」
ヒカリはそう言って、用意していた半袖ジャージを手に取る。
シンプルで動きやすい――彼女にとって、飾りのない服は落ち着く。
「あれっ? ヒカリちゃんもジャージ? 見学って言ってたのに〜」
天音がゆるっと笑って声をかける。
「……一応、ね」
袖を通しながら、ヒカリは視線をふと外した。
(……ラケットを握ったときの感覚……もう一度、確かめてみたい)
そんな想いを胸の奥にそっと押し込める。
そのまなざしは、まだ部屋の中にいるというのに、
まるで遠くのコートの風を思い出しているようだった。
そんなヒカリの横顔を、愛衣はそっと見つめていた。
言葉にしなくても、彼女の中に灯りはじめたものを――
きっと、感じ取っていたのだろう。
「ふふっ、がんばってくださいね。わたしも応援してますから」
愛衣がふわっふわのロングヘアを揺らして手を振る。
「おっけ〜☆ じゃあ、うちら見学チームは日陰でまったり見守る組なっ♪」
亜沙美はサングラスをかけながらノリノリ。
「……テニス部の本気、見せてもらおか」
天音は帽子を目深にかぶって、なぜかやたらガチな観戦モード。
そんな三人が揃ったその瞬間――
「ふふ……ついに、作戦開始やな」
天音が小さく笑って、愛衣と亜沙美に目をやる。
「そうそう☆ 実はこの合宿に合わせて、“癒し広報部”っての、こっそり準備してたの〜!」
亜沙美はスマホのメモを開きながら、得意げにウィンク。
「みなさんのがんばる姿を写真に残して、癒して、応援して……」
愛衣はやさしく頷き、
「みんなが“いい夏だった”って思えるように……って、三人でこっそり話してたんです〜」
空気がふんわりと和んだ、その瞬間――
「ふっ……ついにやな」
天音が帽子を深くかぶり、メガネを押し上げる。
「癒し広報部、作戦開始――!」
「見せてもらおか。テニス部の本気というやつを」
その目は完全に“戦場の眼差し”。
メガネが光り、空気がピンと張り詰める(ような気がする)。
「ふふっ……なお、ウチがメガネを直した時は――『必中』のサインやで」
(※ただの癖です)
「ちょ、天音ちゃん!? シャア入ってる入ってる!!」
亜沙美が即ツッコミ。
「フフ……ウチら、癒しの――」
天音が指を一本立て、スッと横に振る。
「“赤い三連星”」
愛衣が優雅に微笑む。
「⭐︎爆誕⭐︎!! 癒しのジェットストリームアタック、発動〜っ☆」
亜沙美がスマホを掲げて叫び、
天音はメガネをすっ…と押し上げる。
三人は爆笑しながら、テンションMAX。
……が、次の瞬間――
「えっと、シャアって……誰……?」
チハルがぽかんと目を丸くする。
「ごめんね。私も……記憶に、ない。」
ヒカリが静かに首を傾げる。
「しゃー!? 猫の……威嚇ですかっ!?」
美咲が突然、両手をくいっと構えて――
「シャーッ! からの……猫パンチっ!!」
ふにゃっとした動きで、空中に連続パンチを繰り出した。
「ちょ、やめて〜〜!! ツボる〜〜!!!」
亜沙美がお腹を押さえて崩れ落ちる。
「……ウチ、今……完全に孤高のニュータイプや……」
天音は静かに遠い目。
そんな天音の横に、すっ…と愛衣が歩み寄り、
やわらかな手つきでそっと頭をなでた。
「大丈夫です〜、天音ちゃん。
わたしは、ちゃんとついていってましたから」
愛衣はふわっと笑って、もう片方の手でメガネのフチをトン、と触れる。
「……ふふっ。なんや、慰められるのって、ちょっと気持ちええな……」
天音がほんの少しだけ頬を染めた。
空気がふわっとやさしくほどけて――
気づけば、みんなの視線が自然と癒し広報部の三人に集まっていた。
「わたし……ほんと、うれしいっ!」
チハルがまっすぐな瞳で三人を見て、にぱっと笑う。
「そんなふうに応援してもらえるなんて、すっごく心強いよ〜っ!!」
「……ありがとう」
ヒカリはほんの少し目を伏せてから、ぽつり。
「そんなふうに見守ってもらえるのって……安心するわ」
「わ、わたしっ……感動しすぎて……涙腺がぁっ……!」
美咲は両手で頬を押さえながらぷるぷる震えている。
「癒し広報部……尊すぎてっ……語感も可愛いですしっ!!」
そして――
「んじゃっ、みんな行こっか〜〜っ!!」
チハルが、ぱんっと両手を叩いて勢いよく立ち上がる。
「はいっ! 準備ばっちりですっ!」
美咲が元気いっぱいに答えて、髪のお団子をきゅっと整える。
「私も、動きやすい服に着替えておいたわ」
ヒカリは半袖ジャージ姿で静かに立ち上がる。
そして――
癒し広報部の三人が、ふっと視線を合わせた。
「癒し広報部、フォーメーション展開やっ!」
天音が帽子をきゅっと下げ、メガネを押し上げる。
「目指すは、完璧サポートと激写の二刀流っ☆」
亜沙美がスマホをくるっと回してノリノリでウィンク。
「ふふっ……それでは、“癒しのジェットストリームアタック”――発動しますね〜」
愛衣が静かに微笑みながら、すっと手を重ねる。
六人はそれぞれ荷物を手に取り、
わいわいと談笑しながら別荘の廊下を抜けていった。
目指すのは――
ガラス張りの天井から日差しが降り注ぐ、冷房完備の屋内テニスコート。
遠くからは、シュッと風を切るラケットの音と、ボールの弾む音が心地よく響いていた。




