『白と黒の贈り物』20
「……これで、ふたりの巫女の想い……
ちゃんと、届いたんだね」
私は、ちょっとだけ照れくさくなって、
目をそらしながら小さく呟いた。
ヒカリは静かにうなずき、前足をそっと揃えて、
光る結晶を大切そうに包み込んだ。
差し込む光に照らされて、結晶の輝きが白い毛並みに
やさしく反射する。
まるで――ずっと探していた“なにか”を
見つけたかのように。
ヒカリは目を閉じて、ほんの少しだけ、息を吐いた。
「……ありがとう、犬神さん」
「こちらこそ……っ。
ヒカリと一緒に、ここまで来られたから……
ふたりの目的も、ちゃんと果たせたんだよね」
私は、そっと笑った。
胸の奥から、ぽかぽかとあたたかいものが
広がっていく。
ふと見上げると、ヒカリも同じように――
やさしく微笑んでいて、その視線が
私とそっと重なった。
その瞬間――空に、ひとすじの白い光が走った。
それは、“希望”が戻った証。
風がふわっと吹き、夢幻封界が、ゆっくりとその姿を
ほどいていく。
……そのときだった。
チハルの首元――犬神の首輪が、かすかに光を放った。
「え……?」
光が内側からあふれるように広がり、
首輪の中心に――まばゆい“刻印”が、浮かび上がっていく。
(これは……第三の……刻印?)
三つ目の“誓い”が結ばれた証。
首輪に、封印の“鍵”が静かに組み込まれていくのが、
確かにわかった。
(これで、あとひとつ……)
そして――
その隣で、結晶にそっと触れていたヒカリの身体が、
ふっと、わずかに震えた。
「ヒカリ……?」
ヒカリは何も言わなかった。
静かに目を閉じ、結晶を見つめたまま、その肩が
ほんの少しだけ震えていた。
(……今、ヒカリ……なにかを、思い出した……?)
けれど、ヒカリは口を開かなかった。
何も言わず、ただそっと結晶を胸に抱きしめる。
それはまるで――
思い出してはいけない“何か”を、
心にしまいこむように。
(……言えないんだ……ヒカリ……)
私は、そっとヒカリのそばに歩み寄った。
足取りは震えそうだったけれど、
心はしっかりと前を向いていた。
ふたりの鼻先が、かすかに触れるくらい――
ほんの小さな距離まで、寄り添う。
ヒカリは、それに気づいたように、
ふわりと目を細め、
そっと、自分の体を私の方へ預けてきた。
その瞬間、
私たちのしっぽが、そっと触れ合った。
ふわりと、確かに繋がった。
私たちは、言葉もなく――
でも、それだけで充分だった。
(……大丈夫。ヒカリがいる。
そして、私も――ここにいる)
胸の奥に、ぽうっと小さな光が灯る。
それは、迷いも、不安も、すべてを溶かしてくれる
あたたかな光だった。
ふたりで、並んで。
ただ、静かに、夢幻封界の空を見上げる。
やわらかな光が、まるで祈るように、
空いっぱいに広がっていった。
そして――その光の中に、
確かに、未来へ続く道が見えた気がした。
***
光がすべてを包んだあと――
気づけば、私たちは、再び静かな結びの祠の前に立っていた。
ヒカリは、もう人の姿に戻っていたけれど――
その瞳は、どこか遠くを見つめながら、
静かに空を仰いでいた。
彼女の手の中には、小さく淡い光を宿した記憶の結晶が、静かに輝いている。
ヒカリは、そっと指先を重ねる。
結晶はふわりと震え、光の粒となって、
まるで風に溶けるように、静かに空へ舞った。
ほんの短い、けれど確かなきらめき。
ヒカリは、消えていった光を見上げたまま、
そっと涙をこぼしていた。
呼びかけようとした声は喉の奥で止まり、
私は、ただ立ち尽くすしかなかった。
そして――ヒカリがゆっくりと振り向き、
何も言わずに、私をぎゅっと抱きしめてくる。
「……っ、ヒカリ……」
驚きながらも、
胸の中に広がったぬくもりに、私はそっと身を委ねた。
言葉なんて、いらなかった。
ヒカリの抱擁が、すべてを優しく語っていたから。
私は、そっと腕を回して、
同じように、ヒカリをふわりと抱き返す。
あたたかさが、静かに、ふたりの心を繋いでいく。
(……このぬくもりがあるかぎり、
私は、何度だって立ち上がれる)
ヒカリの肩に頬を寄せると、
彼女が、小さく、かすかな声で囁いた。
「……お願い……このままで……
ほんの、もう少しだけ……」
夏の風がそよぎ、木漏れ日が、光の粒となって、
私たちをやさしく包み込んでいた。
けれど、その光の中――
ヒカリの影が、ほんの少しだけ、揺らいだ気がした。
私は、そっと目を伏せる。
(絶対に、離したくない。
このぬくもりを――どんなことがあっても、守りたい)
私は、そっと――でもしっかりと、
ヒカリの背中に腕をまわした。
思わず、小さく息を呑む。
そのあたたかさが、胸の奥にじんわり染み込んでいく。
ただ、このぬくもりを、
この瞬間を――失いたくないって、心から思った。
そう強く願いながら、
私はこのあたたかさを、
そっと、深く、心に刻み込んだ。
***
ふたりの胸に広がっていたぬくもりが、
そっと落ち着きを取り戻していく――
私は、ゆっくりと腕をほどいた。
ヒカリも、少しだけ照れくさそうに目をそらしながら、
でも、ちゃんと――微笑んでくれた。
そのまま私たちは、自然に手を伸ばし合う。
指先と指先がふれて、やがてそっと、優しくつながる。
まるで、その手のひらから、もう一度、
想いが伝わっていくように――
(――私は、ひとりじゃない)
ヒカリも、私の手を、同じように握り返してくれた。
ふたりの想いが、静かに、でも確かに重なる。
そして私は、ヒカリと手を繋いだまま、
未来へ向かって、一歩を踏み出した。
山道を下り、旅館へと続く道へ――
朝の日差しはすでに強く、
蝉の声がじりじりと空に焼きついていた。
***
旅館の建物が見えてきたのは、それからもう少し歩いた頃だった。
その玄関先には――天音ちゃんが、腕を組んでじっと立っていた。
「……おっそ〜〜〜!二人で何時間散歩しとってんの!」
「ご、ごめんっ! ちょっと迷い込んでたの〜〜っ!」
天音ちゃんは、ぷいっと顔を背けたけれど、
すぐに心配そうに振り返って、ふうっと息をついた。
「まったく、しゃあないなぁ……。ほら、熱中症になっとったんか思うたわ。
無事でほんま、よかったわ」
「外で待ってたの? ……ごめんね、わたしたちのせいで……」
私がそう言うと、天音ちゃんはふっと笑って、肩をすくめた。
「んーん、大丈夫やったで。旅館の人が涼しいロビー貸してくれててな。
冷たい麦茶も出してくれて、むしろ快適すぎて寝そうになっとったわ〜」
「……でもな」
天音ちゃんは、少しだけトーンを落として続けた。
「チハルちゃんとヒカリちゃんの席、ちゃんと残して待ってたんよ。
ウチら、ふたりが戻ってくるって……信じとったから」
その言葉に、わたしとヒカリはふと顔を見合わせて――
ふたりして、胸がきゅっとなって、そして、そっと微笑み合った。
そこへ――
「ちー先輩……!」
涙声まじりの、か細い声が聞こえた。
振り向いた私に向かって、
今にも泣き出しそうな顔の美咲ちゃんが、
一生懸命に走ってくる。
「会いたかったですっ……!」
こぼれそうな涙を必死にこらえながら、
美咲ちゃんは、私に飛び込んできた。
「わわっ……美咲ちゃんっ」
私は思わず、よろけそうになりながらも、
しっかりとその小さな体を受け止めた。
美咲ちゃんは、ぐいっと顔を私の胸に押しつけるようにして、小さな声で「よかった……」とつぶやいた。
私は、そんな美咲ちゃんの頭を、
そっと、そっと、やさしく撫でた。
「うん、ただいま。
ちゃんと戻ってきたよ」
美咲ちゃんの髪をヨシヨシしながら、胸の奥が、
じんわりとあたたかく満たされていくのを感じた。
その後ろには、玲奈先輩と長谷川先輩の姿も見えていて、旅館の入り口が、一気ににぎやかになった。
私は大きく手を振りながら声を上げた。
「おまたせ〜、みんな! 夏合宿組、合流だよ〜っ!」
玲奈先輩が優雅に微笑んで、
「犬神さん、天野さん、ご無事でなによりですわ。
少しだけ心配してしまいましたの」
長谷川先輩が軽く手を挙げて、
「お、来た来た。犬神、天野、無事で何よりだ。
荷物は大丈夫か? 合宿、楽しもうな」
笑い声と挨拶が飛び交うなか――
私は胸の奥で、しっかりと感じていた。
(この仲間となら、きっと……どんな未来だって、
乗り越えていける)
こうして――
夢幻封界の試練を乗り越えた私とヒカリは、新たな一歩を踏み出そうとしていた。
ヒカリの瞳に浮かんだ涙と、あの静かな抱擁――
あれはきっと、彼女が背負ってきたものの
重さだったんだ。
私は何も聞けなかったけど、それでも……
ふたりで前を向いて、歩き出せた気がする。
よしっ――気を取り直して!
「私たちの夏は――まだまだ、これからっ!!
わくわくドキドキ全開で……
いよいよ、夏合宿のスタートだ〜っ!!」
***
……そのころ、誰もいないはずの結びの祠に――
ひとつの影が、静かに佇んでいた。
白く、大きな犬の姿。
――シロ。
瞳は細められ、どこか遠くの“気配”を見据えていた。
風が、ざわめく。
空気が、ぴたりと止まる。
そして、ぽつりと。
「……ついに、目覚めるか」
その低い呟きは、
静けさの中で、祠そのものを貫くように響いた。
シロのしっぽが、音もなく揺れる。
やがて、その姿はふわりと風に溶けて、消えた――。
***
その後、誰もいなくなった結びの祠では――
静寂の裏で、確かに、世界が軋み始めていた。
澄んでいたはずの空気に、
微かな歪みが生まれる。
木漏れ日の光が、ぐにゃりと揺らぎ、
境内の境界線が、まるで何かに引き裂かれるように、
かすかに滲んでいく。
見えない波紋が、ゆっくりと、だが確かに、
祠から外へと広がっていった。
それは、誰も気づかない、
けれど、抗いがたい変化の始まりだった。
まるで、結びの祠そのものが、
夢幻に呑まれようとしているかのように――。
静かだった渡島が、
知らぬ間に、静かに、静かに、
別の姿へと変わり始めていた。
『白と黒の贈り物』 後編へ続く…




