『白と黒の贈り物』18
……ふわぁ……
まぶたの裏に、じんわりと光が染み込んでくる。
なんとなく、手足の先があったかくて、
あれ……? なんだろ、胸の奥も……ぽかぽかしてる。
……いま、夢……見てた、よね……?
とても大切な内容だったと思うんだけれど、でも
ぼんやりしてて……思い出せない。
……ただ――
誰かの、やさしいぬくもりに包まれてたような……
そんな気が、する……。
「……ん〜〜〜……まだ、あと5分だけ……」
隣のふとんから、天音ちゃんの寝言が聞こえる。
私は目をこすりながら、ゆっくりとふとんの中から起き上がった。障子越しの朝日が、じんわり差し込んでる。
(なんか……胸の奥が、じんわりあったかい……)
ただ、胸の奥にだけ、ぽつんと、
小さなあたたかさが残ってた。
外から聞こえてくる鳥の声と、どこか遠くの潮騒が、
夢と現実の境目を、少しずつ、やわらかく溶かしていくようで――
私はそっと息を吸い込んで、
ん〜っと小さく伸びをした。
……あ、そうだ。
昨日の夜、愛衣ちゃんと天音ちゃんと一緒に洗濯したんだった。
ふふっ、ドラム式の洗濯乾燥機、超便利だったよね〜♪
旅館の裏手にあるコインランドリースペースで、
昨夜のうちに洗っておいた、着替えやタオルたち。
その中には、ネットに入れて優しく洗った
お気に入りの白リボンの姿もあった。
そっと手に取って、ふわっとした手ざわりに
「よし、今日もふわふわ〜っ♪」って、思わずニコッ。
乾燥までばっちりだったおかげで、
白リボンはきれいに整っていて、
朝の光の中でちょっぴり輝いて見えた。
そのあと、いっしょに乾かしていたTシャツも取り出して、ふわっと畳んで、リュックの上にポンッと置いた。
こうして、合宿に向けての準備は着々と完了っ。
朝は、いつものように洗面所でトイレと歯磨きを済ませて、ちゃちゃっとラフな格好に着替えた。
着替えたのは、可愛らしい柴犬のイラストが
プリントされた白Tシャツ。ちょこんと座って、
にっこり笑ってるその子は、なんとなく――
うちのゲンキに似てる気がして。
(えへへ、このTシャツ、
なんか元気もらえるんだよね)
旅のおともにするにはぴったりの、お気に入りだった。
それに合わせたのは、
風通しのいいベージュのハーフパンツ、
足元は白地に水色のラインが入ったくるぶしソックス。
それから、鏡台の前でのいつもの光景――。
ドライヤーで爆発した髪としばし格闘……!
あちこち跳ねまくる毛先を、
手ぐしとブラシでなんとか整えて――
髪を高めのポニーテールにまとめたら、
お気に入りのふわっふわの白リボンを、きゅっ。
鏡に映った自分に、そっと小さく微笑んで、
「……よし、これでバッチリ〜」って、
まわりを起こさないように、小さな声でつぶやいた。
でも、心の中ではもう、わくわくが止まらない!
(よーしっ、これで玲奈先輩の夏合宿もバッチリ〜っ!
臨海学習もラストスパート! そして――
玲奈先輩たちの夏合宿に合流だっ♪)
外の空気が吸いたくて、そっと部屋の窓の引き戸を開けた。
その先のベランダに置いてあるサンダルに、足を入れる。
扉を開けた瞬間――
八月の朝の日差しが、じりじりっと肌をなでてきた。
まだ朝なのに、空はもう真っ青で、雲がひとつもない。
空気の中には、少しだけ海の潮の匂いと、
あたたかいアスファルトのにおいが混じっていて――
(うわっ、今日も真夏日確定って感じ……!)
少しぬるい風が髪を揺らして、
セミの声が遠くからじわじわと聞こえてきた。
夏の朝のにぎやかさが、すこしずつ動き出していくようで――
なんだか、うれしくなってくる。
(うん……今日も、いい日になりそうっ)
深呼吸をひとつしてから、そっと部屋に戻る。
ふと気づけば、あちこちでお布団がもぞもぞ。
「ん〜……おはよう〜」って、寝ぼけた声が
ぽつぽつ聞こえてきて、
部屋の空気が少しずつ“朝”に変わっていく。
私は、にこっと笑って、ふんわり声をかけた。
「おはよ〜っ、みんな〜っ」
なんとなく――今日もまた、忘れられない一日になるような気がした。
***
チェックアウトの時間が近づく少し前、
私たちは旅館の宴会場に集まって、朝の軽食タイムを過ごしていた。
ずらりと並んだ長机には、
あたたかいお味噌汁と、焼きおにぎり、季節の漬け物。
それから、小さなおかずがちょこんと添えられた紙箱の仕出し弁当が、
一人ずつ丁寧に並べられていた。
「うわぁ〜っ、朝からおにぎり焼いてくれてたんですかっ!?
……お米、めちゃくちゃふっくらしてる〜っ!!」
私が思わず感動して叫ぶと、仲居さんがにこにこ笑って、
「朝早くから厨房で、こねて焼いたんですよ〜。がんばってねぇ」と声をかけてくれた。
みんな思い思いの場所に腰を下ろして、
わいわい喋りながら、ごはんをもぐもぐ。
「これ……旅館の軽食ってレベルじゃないよな……普通に、おいしい……」
隆之が静かに呟いてるのを聞いて、私、思わずふふって笑っちゃった。
「だよねっ!? わたし、もうこれ“最高ランクの朝ごはん”に認定だよ〜っ!
健康満点で、おいしくて、ちゃんとエネルギーチャージもできるしっ!」
私は、焼きおにぎりを両手で持ちながら、
誰かにおすすめするみたいに、ぱあっと笑顔になった。
旅館の人たちの、やさしい気遣いがぎゅっと詰まった朝ごはん。
私たちはその温もりに包まれながら、今日という一日の始まりに、
少しだけ胸をふくらませていた。
***
チェックアウトの時間が近づいて、旅館のフロントへ向かったとき。
お世話になった仲居さんたちが、玄関前に出て見送ってくれていた。
「本当にありがとうございましたっ! 三日間、
大変お世話になりました!」
私たちはぺこりと深く頭を下げて、声をそろえてお礼を言った。
「また来てねぇ〜、がんばってねぇ〜」
仲居さんたちの笑顔に、なぜだか心がじんわり温かくなった。
そのあと、先生たちも仲居さんたちと軽く言葉を交わしていて、和やかな空気が玄関先にふんわりと広がっていた。
(本当に、素敵な旅館だったなぁ……お料理も温泉も、そして――楽しい思い出も、たくさんできたし。また
いつか、機会があれば……きっと、行ってみたいな)
「……はいっ、また絶対に来ます!」
そう言いながら、私は旅館の軒先から、空を見上げた。
雲ひとつない夏空に――
今日も、また一つ、“大切な一日”が始まる気がした。
***
旅館の玄関前で、フェリーへの帰宅組と別れたあと。
少しだけ風が強くなってきて、セミの声が遠ざかって
いくのを感じた。
――そのときだった。
「……今だと思う」
ヒカリの声が、すぐ隣から聞こえた。
その言葉は、風に紛れることなく、
真っすぐに胸に届いてくる。
私は、思わず顔を上げた。
「えっ……ヒカリ?」
彼女は静かに頷いて、あの“祠”の方角に視線を向ける。
「今の時間なら、人もいない。
……きっと、今が一番いいタイミング」
迷うより、やってみたくなって――
私は、思わず笑顔になった。
「……そうだね。玲奈先輩たちと合流するまで、
まだ時間あるし……今のうちに、行ってみようか」
二人で目を合わせた瞬間、言葉にしなくても、
何か大切なものが通じ合った気がした。
玄関先には、まだ数人の姿が残っていた。
愛衣ちゃん、天音ちゃん、亜沙美、それに隆之。
私たちと同じ、夏合宿組として島に残るメンバーたちだ。
「――じゃあ、ちょっとヒカリと散歩してくるねっ!」
みんなに声をかけると、天音ちゃんがすぐツッコミを返してくる。
「え〜、この炎天下にかいな!? 気ぃつけてな〜?」
「だいじょうぶだよ〜!
日陰コースで行ってきまーすっ♪」
軽く手を振って、みんなの笑顔に背中を押されながら――私とヒカリは、そっと道を外れた。
「……今なら、静かに向かえるね」
ヒカリがぽつりとつぶやく。
私はうなずいて、目をそっと祠の方角へ向けた。
(うん……いましかない、って気がする)
私たちは、ゆっくりと歩き出した。
この島に眠る、“過去の記憶”と向き合うために――
***
旅館から少し外れた山道は、
さっきまでの喧騒が嘘みたいに、しん……としていた。
木の葉がすれ合う音と、
遠くの鳥の鳴き声だけが、静かに響いている。
(この道……昨日も歩いたはずなのに、なんだか違って見える)
風の匂いも光の色も、少しだけ、ぴんと
張りつめた空気を纏っている気がした。
ヒカリは、黙ったまま私の少し前を歩いている。
背筋を伸ばしたその姿が、どこか背中で
“覚悟”を語っているようで――
無言のまま、ヒカリの背中を追いながら、
私の胸は少しずつ高鳴っていった。
やがて――
その先には、「立入禁止」と書かれた木札が、簡素な柵と一緒に立てられていた。
私は思わず立ち止まって、ヒカリの背中を見上げる。
ヒカリは一度だけ小さく振り返って、静かに頷いた。
「……ごめんなさいっ。失礼します!」
私はぺこりと頭を下げて、柵をそっとまたいだ。
心の中で、ちゃんと手を合わせるみたいに、
この場所への敬意を忘れないように…そっと祈る。
***
坂道を登り切った先、
木々の隙間から漏れる光は、さっきよりも
ずっと細く、儚くなっていた。
そして――
静寂の中に、ひっそりと、それでいて圧倒的な存在感を放ちながら、小さな祠が、佇んでいた。
祠を包む空気は、どこか張りつめていて――
胸の奥が、自然と引き締まるような、
そんな神聖な気配に満ちていた。
ここは、ただの古びた社なんかじゃない。
犬神の神域――
何か大切なものが、今も静かに守られている場所だった。
祠の前に立ったとき、空気がふっと張り詰めた。
風の音が止まり、光の粒が空間の中に静かに舞っていた。私の心臓が、どくん、と一回だけ大きく脈を打つ。
(ここが……夢幻封界への入り口……)
ヒカリが静かに、私の隣に立つ。
「……あなたの誓いが、この扉を開く鍵になる。
だけど、その前に… 心を交わすべき存在がいる。
あなたを、ずっと見守ってきた者。」
そのとき――
祠の影から、ぬぅっと現れたのは、白くて大きな影。
「ふむ……いよいよ、その時が来たようだな」
「シロ……!」
『第三の試練は――想いと記憶を結ぶ試練。
ゆえに、我がその門を見届ける。
この先に待つは、“犬神の儀式の間”――
選ばれし者のみが踏み入ることを許されし、
封印の聖域だ。』
そのしっぽが、ほんのすこしだけ揺れているのを、
私は見逃さなかった。
ふと、目をやると――
木漏れ日の中、シロの首元で、何かがそっと光った。
それは――見覚えがあるような、どこか懐かしい輝きだった。
「……それ……」
私がクラフト体験で作った、“もふもふチャーム・しろちゃんver.”だった。
「……ちゃんと私がプレゼントしたチャーム。
つけてくれてたんだね」
『べ、べつに……霊具としての波動があるゆえ、
身につけているにすぎん……っ』
「うん、ありがと。嬉しいよ、シロっ」
私は、チャームの揺れを見つめながら、心に
ぽっとあたたかい光が灯った。
そして――祠の奥で、空間がゆっくりと揺れはじめた。
光の粒が集まり、重なり、祠の奥にふわりと
“扉”が浮かび上がる。
その瞬間、私の右手薬指の犬神の指輪が、
すうっと光を帯びはじめた。
まるで祠と呼応するように――
小さな光が鼓動のように明滅しながら、
指先にそっとぬくもりを灯していく。
その光に見入っていると、すぐ隣でふわりと気配が
揺れた。ヒカリが、そっと私の手を握ってくれる。
「……さあ、犬神さん。あなたの誓いを」
私は、一歩、光の扉へとにじり寄った。
「私は、どんな過去も受け入れる。
たとえ思い出せなくても――
絶対に、忘れないって、心で誓う!」
その瞬間――
光がピカッと周囲に広がり、扉が静かに開きはじめた。
風が巻き起こり、空間がまるで呼吸するように脈打つ。
(いよいよ……試練の中へ――)
私とヒカリは、ふたり並んで扉の前に立った。
静かに深呼吸して、一歩を踏み出そうとした、
そのとき――
……ふいに、近くから“何かの気配”を感じた。
びくっ、と肩が跳ねて、思わず周囲を見渡す。
けれど、そこには誰の姿もない。
でも――たしかに、いた。
すぐそばに、何かが“いたような”気配だけが、
ぴたりと肌に残っていた。
それは、まるで……
憎しみや怒りが混じったような、
鋭くて、冷たい視線のようなもの。
(……この感じ……前にも、どこかで……)
胸の奥に、かすかなざわめきが広がる。
その瞬間、隣にいたヒカリが――
私の手を、ぎゅっと握ってくれた。
「大丈夫。いこう」
私は、こくんとうなずいて――
そして、ふたりで扉の中へと踏み出した。
光がすべてを包みこむ。
扉の中に入ると、そこは視界いっぱいに、昔見た景色と知らない風景が混ざり合うように広がっていた。
まるで、想い出と未来がひとつになったような、
ふしぎな世界。
“夢幻封界”が、静かにその姿を現すのだった。




