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『白と黒の贈り物』16

私たちは脱衣所を抜けて、浴場ののれんをくぐると、

もわっと湯気が包みこんでくる。

ほんのり硫黄の香り、ぽこぽこと響くお湯の音……


(うん、やっぱりここ……落ち着くなぁ)


昨日と同じ、旅館の大きなお風呂。

だけど――今日は、少しだけ特別な感じがした。

きっと、いっぱい歩いて、いっぱい笑って、

そして、みんなでごはんを食べたあとだから…

だろうな。


洗い場も清潔で広々としていて、

天井には湯気がゆらゆら。


入り口付近には、昨日と同じ、木の香りがふわっと漂う檜風呂が、ぽかぽかと湯気を立てながら待っていた。

(ふふっ……またあの中に入れるんだ)

あの、なめらかな木の肌の感触も、

やさしい香りも、ちゃんと覚えてる。


その奥には、大きな岩風呂がドーンと構えていて、

今日もどっしりと温泉の主みたいな

存在感を放っていた。


私はそんな光景をちらっと眺めながら、

先に洗い場で体をていねいに洗って、

髪も泡だててしっかり流して、さっぱりスッキリ!


それから――

ロングヘアを軽くまとめて、頭の上にタオルをちょこんと乗せた。

(うん、これで湯船に髪がつかないっ♪)


そして、今日はまず檜風呂から。

昨日も入った、あの木の香りがふわっと包んでくれる湯船。


ぱしゃっとお湯をすくって、体にそっとかけ湯をして……足元から、そーっと檜の湯に浸かった。


木の肌がやさしくて、なめらかで、

じんわりとしたあたたかさが、足先から胸の奥まで

しみこんでいく。

(……やっぱり、檜風呂って最高……)


「ふわぁ〜〜っ、しあわせ〜〜〜っ♡」


私は湯船につかりながら、

のばした手足を、ゆらゆら〜ってお湯の中で泳がせてみた。


「チハルちゃん、声でかいで〜。

天井まで響いとるって(笑)」

天音ちゃんが笑いながら、洗い場でシャンプーの泡を流してる。


「気持ちいいよね〜。今日、ほんとにがんばったもん」

亜沙美が、湯船の縁に顎を乗せて、ほっとした表情を浮かべた。


「うふふ〜、ほわほわ〜……お湯がふわふわのごほうびみたい〜♪」 愛衣ちゃんは、長い髪をふわふわと撫でながら、うっとりと微笑んでいた。


すぐ隣では、ヒカリが肩までお湯に浸かって、

湯気越しにぼんやりと天井を見上げている。

その瞳はどこか静かで、でもちゃんと“今”を見つめているようだった。


「……あったかいって、いいよね」

ぽつりとこぼれたヒカリの声は、湯気にとけて、

やさしく胸に届いた。

私は、こくんとうなずいて、ふわっと笑った。

「そうだね……とろけちゃいそう〜」

そう言って、檜の湯にもう一度そっと身を沈めた。


木の香り、やわらかな温度、どこかやさしい静けさ――

すべてが、ふぅっと心を

ときほぐしてくれるようだった。


それから暫くして――突然事件は起きた。


檜風呂には、もうみんなすでに他の場所に移動

していて、今、湯船に浸かっているのは私ひとりだけ。


ヒカリはすでに上がって、湯船のすぐそばで体を拭いていた。それでも時おり、こちらをちらっと見てくれる。


「犬神さん、大丈夫? 

……長く浸かりすぎないようにね」

やわらかくて、ちょっぴり心配そうな声。


「えへへ……あともうちょっとだけ〜」

私はそう返しながら、お湯に肩まで沈めて、

檜の香りをふぅっと吸い込んだ。


……でも、次の瞬間だった。


ぽーっと頭がぼやけてきて、視界がふわっと揺れる。

なんとなく、すぐそばの空気がぴりりと

動いたような気がした。


(……あれ、ちょっと、くらくらする……)


私は湯船からそろそろっと出て、

片足ずつ慎重にタイルの上へ。

頭の上には、ぽすんと乗せたままのタオル。


(ふぅ……出たら、一気にぼーっとしてきた……)


そんなふうに思いながら、ぽけ〜っとしたまま数歩、

歩いたそのとき――


「きゃっ……!」


バランスを崩して、体がぐらりと後ろに傾く。

頭の上のタオルが、ふわっと浮いて、

今にも落ちそうに揺れた。

このままじゃ……頭から床に――!


(うそっ、やばっ……このままいったら、

ゴチンって――!?)


ヒヤッとした感覚と、全身がふわっと浮くような感覚が同時に来て、頭の中で「やばい!」って全力で警報が

鳴った――そのときだった!


「犬神さんっ!!」


ヒカリの声が届いた、ほんの刹那。


……なのに、私は転ばなかった。

ふわっと、何かやわらかい空気に包まれて、

誰かにそっと支えられたような感覚。

重力から一瞬だけふわりと解放されて、私は――

そのまま、お尻からぺたんと座るように着地していた。


同時に、ふわっと舞ったタオルが「ぽとっ」と

私の前に落ちる。


「……へ?」


ポカンとしてる私に、ヒカリが駆け寄ってくる。


「だ、大丈夫……? 」


ヒカリの声は、少しだけ震えていた。


「う、うんっ! びっくりしたけど、へーきっ!

ほら、ちゃんと無傷だし……ちょっと、おしりひんやりしたけど~(笑)」


そう言いながら、ぺたんと座ったままの自分に気づいて、照れ笑い。

ヒカリが、ほっとしたように、表情をゆるめてくれた気がした。


私は胸に手を当てて、ドキドキしている心臓の音を感じた。


(……今、なにが……?)


お風呂場の床に、一筋の光がすっと走った気がした。

けれど、それが幻だったのか、それとも――


「チハル、大丈夫!?」

「転んだの……!?音がしてびっくりしたよ〜っ!」


浴場の奥のほうから、心配そうな声があがって、

亜沙美ちゃん、愛衣ちゃん、そして天音ちゃんが、バスタオル姿でバタバタと駆け寄ってきた。


「うち、心臓止まるかと思ったで!? 頭とか打ってへん?」

天音ちゃんが、濡れた髪を押さえながら

少し息を弾ませて、じっと見つめてくる。


私は「えへへ……大丈夫、なんとか無事〜」って、

ぽとっと落ちたタオルを拾い上げながら、

苦笑いで返した。


でも――誰も、“光”のことには触れなかった。

きっと、見ていたのは……私と、ヒカリだけ。


私はそのまま脱衣所のほうへ向かい、ひと息ついてからタオルで汗をぬぐった。

(……なんだったんだろ、今の……)


湯あたりも冷めてきた頃、私はもう一度、

そっと湯船に浸かり直した。

でもさっきとは違う場所――奥の、大きな岩風呂。

ごつごつとした岩の縁に手をかけて、

湯気をまといながら、ひとつ深呼吸してから

静かに足を入れる。


少しして――

岩風呂の向こう側に、ヒカリの姿が見えた。


すでに肩まで湯に浸かっていて、

そのまま、じっと窓の外を見つめている。

湯気に包まれた横顔は、どこか遠く、

やさしくにじんで見えた。


私は、その姿に気づくと、

そっとお湯の中を歩いていった。

ざぶん……と、小さく波が揺れて、

私はヒカリのすぐ隣に、そっと腰を下ろす。


静かに肩を並べるように浸かりながら、

ヒカリが見つめる窓の外に、私も視線を向けた。


お湯の温度も、湯気の音も、

ふたりの間に流れる空気も――

なぜかすべてが、あたたかく、静かだった。


私はそっと、ヒカリの横顔を見た。

湯気の中ににじんだその表情は、

どこか優しくて、少しだけ寂しそうで。


「……明日、いよいよなんだね」

私が声をかけると、ヒカリは小さくうなずいた。


「うん……この夜が、静かで……

少し、名残惜しい気がして」


「わかるかも……。今日はいっぱい笑ったのに、

なんだか……胸が、きゅってしてる」


ヒカリは、湯気の向こうを見つめながら、

少しだけ遠くを見るように言った。


「明日、きっと……

私の中でも大切な一日になると思う」


「え……?」


「うまく言えないけど……なんだか、明日が“何かの分かれ道”みたいな気がしてて。ちょっと怖いけど、ちゃんと進まなきゃって思ってるんだ」


ヒカリの言葉を聞いた瞬間、胸の奥が

ふわっとあたたかくなった。


(ヒカリ……やっぱり、どこか強くて、やさしくて……でもそのぶん、なにかすごく大きなものを背負ってる気がする)


「それでも……自分の気持ちに、

ちゃんと向き合いたいな、って思うの」


ヒカリの言葉が、お湯に溶けて、心にふわっと広がっていった。

私は、ただそっと隣で湯船につかりながら、

「……大丈夫。私、明日もちゃんとそばにいるよ」

って、小さくヒカリにつぶやいた。


その時、天音ちゃんの大きな声が、脱衣所のほうから響いてきた。

「チハルー、ヒカリちゃん、そろそろあがろっかー!」


「うんっ!」

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