『白と黒の贈り物』9
船が岸に近づくたび、フェリーの下で
ゴウンッと音が鳴る。ロープが引かれて、ゆっくりと
渡島の桟橋に船が寄せられていく。
「うわぁっ……もう着くんだ……っ!」
船のへりから身を乗り出すと、桟橋の先に広がるのは、
木の屋根と白壁のちいさな待合所と、パタパタ揺れる“渡島”の文字入りの旗。
足元に、カツン……と船が接岸した感覚がして――
「未知との出会いを求めて! 旅人チハル、ただいま渡島に上陸しました〜っ!」
海風に叫びが乗っちゃって、思ったより大音量。
恥ずかしさに耐えきれず、私はその場で
ぴょこぴょこ足踏みした。
担任の白石先生の「順番に降りるぞー!」の合図に、
みんなが列をつくって桟橋へ。
私もリュックを背負い直して、ポニーテールに結んだ
白いリボンが、風に揺れてふわりと踊った。
ヒカリが結んでくれた、大切な絆のリボン。
そのことを、ふと思い出したら、
なんだか胸があったかくなって――
私はそのリボンをそっと手で押さえてから、
お気に入りの帽子を、きゅっとかぶった。
それから、ヒカリの手をちょこっと掴んで、にこっ。
「行こう、ヒカリっ!」
ヒカリも小さくうなずいて、「うん」と言ってくれる。
その声が、背中をぽんって押してくれたみたいで――
私は、その一歩目をぎゅっと踏みしめた。
“初めてじゃない気がする”
そんな空気が、足元から全身に
じんわり伝わってくる。
すると突然――
ヒカリが、そっと目を細めて、
ぽつりとつぶやいた。
「……ここ、やっぱり……懐かしい」
私は驚いて、ヒカリの顔を見つめる。
でもヒカリは、それ以上何も言わずに、
静かに前を見つめてた。
(ヒカリも……もしかして……)
なにか、大切なものを胸に抱えたまま、
ここへ来たのかもしれない。
「おいおい、荷物忘れるなよ」
後ろから聞こえてきたのは、隆之の声。
「わかってますぅ〜〜!」
と、くすくす笑いながら
荷物をぶんぶん振り回す亜沙美。
なんかもう、安心感。
こうして――
“わたしたち”の物語は、
とうとう渡島の地で動き出した。
見知らぬ島。見たことのない景色。
だけど、ずっと前から、
ここに来ることが決まってたみたいに――
(……ここで、きっと何かが始まる)
心の中でそう思った瞬間、
私の鼻が、もう一度ふわっと風を受けた。
それは、懐かしくて、ほっぺがほわっとあったかくなるくらい、“やさしいにおい”だった――。
***
「わぁ~~っ!
ほんとに、島に来ちゃったぁ~~~!!」
……って、勢いよくジャンプしたら、
帽子がずれて前が見えなくなっちゃって。
慌ててリュックと一緒に押さえながら、
私、完全に浮かれてたかも…と、思いつつ――
でも、しょうがないよねっ!?
だって空は真っ青、風はすっごく気持ちいいし、
もう、島が「いらっしゃい!」って歓迎してくれてる
感じなんだもん!
潮の香りが、ぶわぁって鼻に飛び込んできて、
さっきまでの不安な気持ちが、一瞬で吹っ飛んだ。
ジリジリって、太陽が肌を炙ってくるくらいの真夏日。
なのに、潮風がふっと吹くと、びっくりするくらい気持ちいい!
空はもう、まぶしいくらいに青くて、
真っ白な雲がふわっと浮かんでて……
見てるだけで、胸の奥がふわって弾けそうになって――
「あぁ! 渡島の夏だーっ!!」って、
つい勢いよく大きな声を出してしまった、私。
「犬神さん、落ち着いて」
ヒカリが、いつもの涼しげな声で言ってくるんだけど――その表情、
ちょっぴり口角が上がってるの、
見逃してないからねっ?ふふっ♪
「島の空気って、なんか気持ちいいよね~っ!
リフレッシュ感がすごい!!」
って、テンション高めで ぴょんぴょんしてたら、
後ろから亜沙美がひょいっと近づいて、
ぽんって肩を軽く叩いてきた。
「うっわ、チハルはエンジン全開すぎでしょっ!
テンション見てるだけで、元気湧いてくるわ~!」
「でしょでしょっ!? 今日から合宿ってだけで、
テンション無限チャージ中なんだからっ!」
横では隆之が、地図アプリを片手に「旅館まで徒歩6分弱か……」って冷静にルート確認してる。
「さすが隆之っ! こういうとき、めっちゃ頼りになるよねっ!」
「別に……当たり前のことをしてるだけだよ」
(んんん~~っ! この塩対応っぽさが、
逆に安心感っ!!)
うんうん、ツン成分ありがと、隆之……!
そんな空気のまま――
私たちは旅館を目指して歩き出した。潮風がほんのり
香ってきて、心の中までふわっとほぐれていく。
舗装された細道に、じりじりと照りつける真夏の太陽。
アスファルトがほのかに揺らめいて見える。
木陰では、ミンミンゼミが鳴いていて、
道ばたには、小さな花がぽつぽつと咲いていた。
海の見えるカーブを曲がると、
潮風がふわっと吹き抜ける。
「はぁ〜〜……こういうのってさ、
なんか――冒険してる!って感じ、しない!?
初めて歩く道って、それだけでワクワクしちゃうっ!」
私の声が夏の空気に溶けていく中で、
少し後ろを歩いていたクラスの女子――
メガネをかけた、森川 天音ちゃんが、
やさしく微笑みながら、声をかけてきた。
「チハルちゃん、ちょっと足取り軽すぎちゃう? 荷物もってんのに、なんでそんな跳ねて歩けんの〜?」
「重いよ!? けど気持ちが軽いから相殺っ☆」
「ふふっ……理屈にはなってへんけど、チハルちゃんが言うと、なんか納得してまうわ〜」
そんなやり取りに笑いながら、天音ちゃんが
ふと、私の背中に目をとめた。
「……あれ? そのキーホルダー、めっちゃかわいいやん。それ、チハルちゃんの? ワンちゃん?」
私はびっくりして、リュックをちょこんと抱えなおした。
「あっ、うん……これ、“ユキちゃん”っていうの。
昔、おともだちと一緒におそろいで買ったんだ〜♪」
「へぇ〜、白くて
もふもふで……なんか、チハルちゃんに似てるわっ」
「え〜!? それ、私が“もふもふ”ってこと!?(笑)」
「そうそう、ふわふわしてるけど、芯があって優しい……って意味やで?」
私は照れ笑いしながら、
そっとユキちゃんキーホルダーを撫でた。
(……みっちゃん、ちゃんと一緒にいるよ。
今日も、ずっと)
なんて思いながら、ふと前を見ると――
ヒカリが少し先を歩いてて、
風に髪を揺らしながら、じっと何かを見ていた。
視線の先には、遠くにそびえる一本の大きな木。
その足元に、小さな祠……? いや、まだよく見えないけど――
(……なんでだろう。空気が、懐かしい感じ……)
(目の前の風景、初めて見るはずなのに――
どこかで、知ってる気がする……)
…でも今は、とりあえず!
「旅館旅館~~っ!!荷物置いて足のばした~いっ! あとお布団ふっかふかだったら最高~~っ!」
「ふふっ犬神さん、まずチェックインしてからでしょ」
「うぅっ……ヒカリの冷静ツッコミが
じわじわ効く~~っ」
2人で小さく微笑み合いながら、
私たちは、わたしたちの夏の“舞台”――
渡島の旅館へ向かって歩いていった。
***
坂道を下って、海沿いの道を
くねくね抜けていくと、見えてきたのは――
木造の二階建てで、外壁はほんのり色あせた板張り。
入り口には白いのれんがふわりと風に揺れていて、
どこか懐かしくて、あったかそうな雰囲気に包まれていた。木枠の窓からは、やさしい光がもれていて、
玄関の前には、季節の花が植えられた鉢植えが並んでいる。――それが、私たちが今夜、お世話になる旅館だった。
「わぁ……まるで、“旅のスタート地点”って感じ……!」
思わずそんな言葉がこぼれそうになるくらい、
その旅館は、ほっとする空気をまとっていた
「うわぁ~~っ、ここ!? ここに泊まるの!?
めっちゃ雰囲気ある~~っ!」
思わずテンション急上昇で、靴ごとピョンって段差を飛び越えた。
「チハル、はしゃぎすぎ。転ぶぞ」と、隆之に半分笑われながら注意されるけど……いいのっ!
だって旅館って響きだけでもう、ご褒美みたいなんだもん!
「入口、木の引き戸だね〜。
中どうなってるんだろ……っ」
と、キラキラした目で玄関を覗き込むと――
中からふわっと漂ってくる、だしの匂い?
それともお香?
鼻先がくすぐられて、また胸がドクンって鳴った。
「……この香り、なんか落ち着く」
思わず口に出していたら、隣のヒカリが「わかる」
とだけ小さくうなずいた。
その目が、ちょっと遠くを見てる気がして……
(ヒカリ……何を思い出してるのかな)
そんなヒカリの横顔に、私は
しばらく目を向けていたけれど――呼ばれる声に
気づいて、あわてて列に加わった。
受付では、先生たちがチェックインの手続きをしてくれていて、生徒たちは名前順に並んで待機中。
「チハル、荷物もうちょっと、ちゃんと持って。
斜めってる」
「う、うんっ!任せてっ!
体幹でバランス取ってるから!」
「そういう問題じゃないよ~っ」
と亜沙美が笑ってツッコミ入れてきて、
私はてへっ☆って頭かきながら、
荷物をちゃんと持ち直して列に加わった。
(いよいよ始まる、渡島での臨海学習!)
どんな冒険が待ってるんだろう――
旅館の玄関をくぐると、ふわっと漂ってきたのは、
やさしい木の匂い。
そこに佇むロビーは、どこか懐かしさを感じさせる、
木造づくりのあたたかい空間だった。
木の柱や梁には年季が入っていて、天井の高い吹き抜けから、やわらかい光が差し込んでいる。
足元の畳と木の床がやさしく鳴って、鼻先をくすぐるのは、静かな時間の香り。
それはまるで、長い時間をかけて、たくさんの人の笑顔を見守ってきたような――
そんな、包み込んでくれるような安心感だった。
胸が、ふわっふわに浮き上がるように弾んでるのを感じながら、こうして私たちは――
小さな島の、“やさしい空気に包まれた旅館”に
チェックインする。




