『白と黒の贈り物』8
美咲と小さく手を振り合ったあと、
先生の「乗車開始~!」の声に、
みんな一斉にバスへ向かいはじめる。
「うわっ、席どこにしよっ!」
「私は前の方に行こうかな」
亜沙美がにっこり笑って、隆之の肩をぽんっと叩いた。
「じゃ、あたしはタカユキとお隣さんでっ♪
チハルは、ヒカリちゃんと一緒に座ったら?」
「えっ、いいの? わーい、ヒカリ~、行こっ!」
「……うん、いいよ」
私はバスの中央あたり、窓側の席にすべりこむ。
そのすぐ隣に、ヒカリも静かに腰を下ろした。
その前の席には亜沙美と隆之。
前から後ろへ風が流れるように、
なんか居心地もいい感じ。
「犬神さん、リュック重そうだったけど大丈夫?」
ヒカリが少し心配そうに声をかけてくれる。
「うん、大丈夫っ! さっき学校まで坂道ダッシュしたからね。あれで、ちょっとレベルアップした気がするの。筋肉的に!」
「ふふっ……なるほど。犬神流のトレーニングなのね」
「そうそうっ! いまならリュックの重さも“経験値”って思えるっ!」
私がそう言って胸を張ると、ヒカリはふっと目を細めた。
「ほんと、元気ね。犬神さんって」
そう言いながら、笑ったヒカリの表情は
見ているだけで、気持ちがゆるむような笑顔だった。
――その静かなひとときが、車内のざわめきに
かき消される。
「また窓側、取られてもうたなぁ……」
やわらかな関西弁が後ろの方から届く。
振り返ると、メガネをかけたクラスメイト、森川天音ちゃんが、ふぅっと小さく笑っていた。
「……うちは通路でもええけどな。
愛衣ちゃん、ほんま毎回うまいこと座るよなぁ」
「えへへ……じゃあ、膝の上、乗ってみる?」
「乗るかいっ! そんなん恥ずかしいわ!!」
天音ちゃんが軽く肩をすくめて言い返すと、
愛衣ちゃんは、くすっと笑って、また外に目を向けた。
そのやりとりが、なんだかとっても自然で――
(ふたりとも、相変わらず仲いいなぁ)
私は、そう思っただけで、ふわっと心が和んだ。
バスがゆっくり走り出すと、
外の風景も少しずつ流れていく。
遠くに見える山並みが徐々に開けて、
視界が広がって――
そのとき、ヒカリがぽつりとつぶやいた。
「……バスから見える景色って、いいね」
「うん、わかるかも。それに――
なんか、わくわくするよね」
「流れていく風景の中に、そのときだけの景色がある。
なんか、旅って感じがして……好き」
ヒカリはそう言いながら、ほんの少しだけ微笑んだ。
その横顔が窓から差し込む光に照らされて、
まるでこれから向かう島の空みたいに、澄んで見えた。
車窓の向こうには、海が広がっていて――
その遠い遠い先に、ぽっかりと浮かぶ木々の緑に包まれたその島は、どこか静かで、でも不思議と心を引きつけるような雰囲気があった。
「あれって……もしかして、渡島?」
「うん、たぶん。……あそこに、行くんだね」
「うわ~……なんか、やっと実感湧いてきたっ!」
ワクワクする気持ちが、心の奥でふくらんでいく。
(見えてる。感じてる。この“島の空気”――!)
私は座席にもたれながら、ポニーテールの白リボンを
軽く押さえて、窓の外をのぞき込んだ。
窓ガラス越しの光が髪をなでるみたいで、
心がふっと浮き上がる。
次に目を閉じて、ゆっくり息を吸い込んだら――
ほんの少し潮の“におい”がして、
それだけで気分が変わった。きっと、何かが始まる。
そんな気がして、体の奥がそわそわした。
気づけば、指先まで落ち着かなくて、
心の中がぴょんぴょん跳ねてる。
これって……遠足の朝みたいな気分?
ううん、それよりもっと特別なワクワクする感じっ!
***
フェリー乗り場に着いた瞬間、
私のワクワクがピークに達した!
「わっ……見て見て! あれが今日乗るフェリー!?
大きい~~っ!」
潮の香りと、キラキラした海と、
ちょっとだけ塩っぽい風。旅立ちの空気って、
なんでこんなに胸が高鳴るんだろう……!
ここは、渡島行きフェリーの専用乗り場。
港の奥の方にある、ちょっと古びた桟橋と待合所が
つながった場所で――乗船時間が近づいて、
生徒たちも ざわざわし始めていた。
私はヒカリと並んで、
乗船チェックの列に向かって歩いていた。
そのとき――ふと、すぐ横のベンチのそばで
立ち止まっているおばあさんに目が留まった。
「……あらあら? チケット、
どこに入れたかしら……?」
白髪に、花模様のスカーフ。
そして揺れるようにつけられた、小さな髪飾り。
淡い水色の花が、銀の細い金具にちょこんと揺れていて――(……なんか、ちょっと目を引くかも)
ふっくらした紙袋を胸に抱えながら、
困ったように立ち尽くすその姿は、
少しおぼつかない感じなのに、
なぜか不思議とあたたかくて――目が離せなかった。
(あの人……大丈夫かな?)
私がそう思ったそのとき――
すでにヒカリは、おばあさんのそばに立っていた。
えっ……いつの間に? って思うくらい自然で、
まるで最初からそこにいるのが
当たり前だったみたいだった。
ヒカリの背中は、静かで――
でも、どこかあたたかくて、やさしかった。
「……おばあさん、これですか?」
ヒカリは紙袋の奥をそっと探り、
挟まっていたチケットをすっと取り出して差し出す。
「たぶん、落ちたんじゃなくて、ここに入り込んでた
だけですよ」
「まぁ……ありがとう、ありがとねぇ。
ほんとに助かったわ……」
おばあさんはチケットを両手で受け取りながら、
ヒカリの顔をじっと見つめた。
「……あら……あなた……どこかで……」
ほんの一瞬、おばあさんの瞳が、やさしく細められる。
そして、少しだけ首をかしげられて――
「……お名前、なんておっしゃるの?」
それを聞いたヒカリは、一瞬だけ言葉を選ぶようにして…それから、そっと答えた。
「……天野、です」
「天野……さん……」
おばあちゃんは、ふわっと表情をゆるめて、
「……不思議ね。どこかで……会ったような気がして」
ヒカリは、ふわっと笑った。
「……いいえ。きっと初めまして、ですよ」
そう言ってヒカリは、おばあさんの荷物を
そっと抱え直し――その手を軽く添えるように、
おばあさんの隣を歩き出した。
先生の元へと、静かに、ゆっくりと。
その姿を見つめながら――私は、胸の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じていた。
(今の……なんだろう。あのやり取り、すっごく
……やさしかった)
波の音がさらさらと耳に入ってくる。
でも同時に――ふと思った。
(ヒカリ……今、ほんとにうれしそうな顔してた)
その横顔。あの微笑み。
まるで――「やっと会えた」って
言ってるみたいだった。
私は、ヒカリの背中を見つめたまま、
胸の奥で、あたたかい何かが静かに広がっていくのを感じていた。
「チハル〜!こっちこっち〜!」
遠くから亜沙美の声がして、私はハッと我に返り、
手を振る彼女に向かって、小さく手を挙げて駆け出す。
ヒカリは、もう何事もなかったように最後尾に並んでいた。でも――あの笑顔だけは、私の胸の奥に、しっかり残っていた。
(もしかして――)
ふと、ヒカリの横顔を横目で見ながら、
言葉にならない思いが、胸の奥をぽたりと落ちる。
(……ヒカリにも、過去に大切な誰かが、いたのかな)
けれど
それ以上は、何も聞かなかった。
私の胸の中にそっと残ったのは、
ただ、あのときの“あたたかい笑顔”――
それだけだった。
***
「わっ、あの島だよね! わたしたちが行く――
渡島!!」
フェリーのデッキから、ぐい〜って乗り出すように身を乗り出して、指さした先に、キラキラの海をぬって、
ぽっかり浮かぶ“島”が見えてきた。
渡島――
フェリーで30分ほどの距離にある、海と緑に包まれた小さな島。
人口は数百人くらい、ぐるっと一周しても半日もかからないサイズだけど、商店や旅館がぽつぽつあって、
夏は海水浴や自然体験で、ちょっとだけ観光客も増えるんだって。
見晴らしのいい坂道や、小さな展望台もあるらしい。
自然と人の暮らしがぎゅっと詰まった、
……なんだか、まるで小さな宝箱みたいな島!
「けっこう大きい〜っ!人も住んでるんだね! 旅館も見えるし……あれ、もしかしてっ」
島の奥の方、高台になってる場所に、
白い屋根のキラキラした大きな建物が
ちらっと見えて――
「あそこじゃない!? 玲奈先輩の別荘!?
絶対そうだよねっ!?ねっ!?」
テンションMAXで隣にいたヒカリに肩で小突くと、
ヒカリはふふって笑って、ひとこと。
「落ちないでね」
「はいぃぃっ!!(全力即答)」
そのやりとりを見てた亜沙美が、後ろからヒョコッと顔を出してきて、
「いや〜チハルのテンション見てたら、島が三割増しで楽しそうに見えるんだけど!?」
「えへへ〜っ、だってさ、こんなにワクワクするの初めてなんだもんっ!」
でも――そのとき。
(……ん?)
風に乗って、何かがふわっと鼻先をくすぐった。
しょっぱい潮の香り。だけじゃない。
木のにおい、土のにおい、どこか懐かしい、
ぬくもりみたいな空気。
それに混じって……少しだけ、鉄っぽい香りも。
「これ……島のにおいだ」
思わず、ぽそっとつぶやいたら、
後ろから、隆之が「ん?」と眉をひそめる。
「チハル、今なにか言ったか?」
「あっ……ううん、なんでもっ」
笑ってごまかしながらも、
わたしの鼻は、はっきりと感じ取っていた。
(……これは、前にも感じたことがある。
夢の中?それとも――)
鼻の奥がツンとする感覚。
なんだろう、胸の中が、やさしくて切なくて、
ちょっとだけ苦しくて――
でも、不思議と怖くはなかった。
「……うん。このにおい、わたし、知ってる」
誰かの記憶が、風のにおいに混ざってるみたいな気がして。身体が、思い出そうとしてる。島に近づくたびに、前世の記憶が、くすぐられてくるみたいに。
「犬神さん?」
突然ヒカリに呼ばれて振り向くと、
心配そうに私の顔を見つめていた。
私は、にこっと微笑んで、安心させるように頷いた。
「うんっ、大丈夫。ちょっと風が気持ちよくて、
ぼーっとしちゃっただけっ♪」
ここから何かが始まる……
そんな予感が、心にそっと浮かんだ。
渡島――
ここで、きっとまた新しい“なにか”が待ってる。
「ねぇヒカリ、あっちの林の奥の方、なんか見える? 神社っぽいの……あるかも!?」
「まだ早いよ。遠くて見えない」
「そっか〜……でも、なんか気になるんだよねっ」
なんだか心がそわそわして、落ち着かないのに、
不思議と怖くない。むしろ、ちょっと楽しみ――
そんな感じ。
(うん、大丈夫。たぶん、ね)
渡島の風が、なんだか優しくて。
ここに来たら、“ちょっと違う自分”になれる気がした。
「ふふっ……ついに来ちゃった、渡島っ!」
胸の奥が、ドクンドクンと騒いでる。
新しい冒険の始まりに、
わたしの“鼻”が、ちゃ〜んと反応してるっ♪




