『夏空に煌めく祈り』4
午後の陽ざしは、ちょっとだけ 優しくなってきて、
風もすこーしだけ涼しくなってきた頃――。
「お姉ちゃん、短冊とペン、持った?」
「うんっ! 完璧〜っ!あとは、願いごとを考えるだけっ♪」
私とさとしは、並んで家を出た。
……と、その前に。
「ゲンキー、おるすばんお願いね〜っ!」
私は部屋のドアを開けて、床の上で ぐて〜っとしていたゲンキに声をかけた。
「夕方になったらお散歩行くから、今は涼しい部屋で のんびりしててね〜?」
ゲンキは「わかってるよ」って言うみたいに、片耳だけぴくっと動かして、あとはそのまま“ぺたん”と床に顔をうずめた。
「……ふふっ、ありがとね」
ゲンキの頭をそっとなでて、私はドアを閉める。
「さっ、行こっか。さとしっ!」
「うんっ!」
神社までは歩いて10分くらい。でもなんだか今日は、ワクワクのせいで足取りが軽い!
空はどこまでも青くて、夏の雲がぽっかり浮かんでて――
ああ、なんだか、お願いごとが叶いそうな予感!
そして私は、ひとりごとのように、そっとつぶやいた。
「……お願いごと、かぁ……」
並んで歩く さとし に聞こえないくらいの声でつぶやいたけど、
その言葉が、自分の胸の奥に、すっと染み込んでいくのがわかった。
(なんて書こうかな……お願いごとなんて、たくさんある気がするけど、ひとつだけってなると迷っちゃうな)
誰かのことを思ってもいいし、自分のことでもいい。
でも、どうしても気持ちはひとつに絞られていく気がして――
(ううん、書きたいことは決まってる。けど……なんだろ、うまく言葉にできるかな)
胸の奥にある、その小さくて、でもすごく大切な願い。
(……ちゃんと届きますように)
私は少しだけ足を速めて、さとしの隣に並んだ。
いつもどおりの夏の空。
だけど、今日はなんだか特別な一日に思える。
(よしっ。ちゃんと、書いてみよう)
願いの言葉はまだ、私の胸の中。
風がその背中をやさしく押すように、私たちは神社へと向かっていった。
さあ、願いごとを笹に結びに行こう――
この空の下で、きっときっと、大切な思いをのせて。
***
神社の鳥居をくぐったとたん、風がふわっと吹き抜けて、
笹の葉がさやさやと揺れた。
「わぁ〜っ…… すごく綺麗……!」
思わず、足が止まる。
境内には、色とりどりの短冊が結ばれた大きな笹が飾られていて、
風に揺れるたびに、キラキラ光る折り紙や飾りがキラキラ舞って――
まるで、夢の中に迷い込んだみたい。
「すっごーい! 笹、ほんとにある! あ、あれ見て!星の形の飾りもあるよ!」
さとしが目を輝かせて駆け出していく。
そのあとを追いかけながら、私はふと、パパの姿を探す。
「あっ、いたいたっ」
境内の端で、ほうきを片手に掃除しているパパがいた。
白いタオルを首に巻いて、ちょっと汗だくだけど、なんだかかっこいい。
「パパ〜っ! 笹、すっごく綺麗だね!」
「あぁ、おつかれさん。お前ら、来てくれてよかった」
パパが にこっと笑って、手を振ってくれる。
「これ、町内会と文化保存課の有志で飾ったんだよ。子どもたちが来てくれると嬉しいからな」
……役場の文化財担当って、やっぱりかっこいいかも。
――さとしと一緒に、境内の残りの飾りつけを手伝ってから来た私たちは、その後。
「さとしー! 短冊、これ使ってね〜!」
私は色とりどりの短冊とペンを手渡して、それぞれに願いごとを考える時間。
風がまた吹いて、笹の葉がさらさら鳴る。
私の手の中にある、ピンク色の短冊。
何を書こう――って考えて、ふっと思った。
(……やっぱり、私は――)
書き終わった文字を そっと見つめて、
私は、それを笹の枝にくくりつけた。
「……よしっ。お願い、ちゃんと届いてね」
横を見ると、さとしもちょっと照れくさそうに、
青い短冊をぎゅっと枝に結びつけてた。
「何書いたの?」って聞こうとしたけど、やめておいた。
願いごとって、こっそりしてるくらいが、きっと叶うんだよね。
「さとし、帰りにラムネでも買って帰ろっか!」
「やったーっ!」
夕暮れの気配が境内を少しずつ染めていく。
笹の飾りがきらきら光って、風の音が心地よくて――
私は空を見上げながら、心の中で もうひとつだけ、そっとつぶやいた。
(……みんなの願いが、叶いますように――)
そして、少し離れた空の下でおるすばんしてるゲンキにも、聞こえるように――
「ゲンキ〜、帰ったら、いっぱい なでなでしてあげるからね〜っ!」
私の声は、風に乗ってどこまでも届いていく。
チハルの、ちょっと特別な夏の日は、
静かに、でも確かに――またひとつ、色づいた。
***
七夕まつりの帰り道、美咲は一度みんなと別れて、そっと犬神神社に戻ってきた。
「……ちょっと、気になるのがあって……」とだけ言い残して。
境内には、提灯の灯りがぽつりぽつりと揺れ、
笹の葉が風に揺れ、いくつもの短冊が優しく音を立てている。
「……ふふっ、きれい……」
浴衣姿の美咲が、石段をゆっくりと上がってくる。
彼女はそっと笹に近づき、風に揺れる短冊のひとつに目を止めた。
『みんなが元気で笑って過ごせる、
そんな ふつうの毎日が、ずっと続きますように。 チハル 』
静かに、それを読み上げる。
そして、小さく呟いた。
「……ちー先輩の願いって、すごくあったかいな……」
(……だからこそ、私は――)
思いを言葉にしないまま、美咲はそっと短冊に手を添える。
(……ちゃんと、叶えたい)
風が揺らす短冊の向こうで、美咲の浴衣のすそが ふわりと舞った。
笹の葉の間から、夏の夜空に星がひとつ、流れた。
願いごとは、まだ風の中に揺れていた。




