『封(と)じられし視線の記憶』11
かすかな声だったけど、その言葉は、まっすぐ胸に刺さった。
――逃げられない。時間は、確実に迫ってる。
「……12月31日まで、に……」
思わず、ぽそっとつぶやいたけど、自分でも驚くくらい、声が震えてた。
心の奥が、ぎゅっと冷たくなる。
でも……それでも、やるしかないんだよね。
そしたら、ふいに――
廊下の奥から、まだ闇が残る方角から、すーっと涼しい風が吹いてきて。
えっ、今の……風?
その風に乗って――白い影が、静かに現れた。
「……シロ……!」
暗がりの中でも はっきりわかる、あの神聖で、ちょっぴりミステリアスで……
でもどこか懐かしい、白い毛並みと真っ直ぐな瞳。
ほんと、ずるいよね、その風格。
まるで最初からそこにいたかのように、静かにこっちを見つめて――ふわっと、尻尾を揺らした。
「おかえり、って感じ……?」
『よく戻ったな、犬神千陽。 そして――よく戦った。』
胸の奥に届いたその声に、思わず笑みがこぼれた。
「うん、ただいま。シロ。」
それから、ふと我に返って――思ったことが口からこぼれた。
「……って、そういえば……」
私はシロを見て、ちょっと小声でツッコむ。
「学校の旧校舎に……白い犬が歩いてるって、ふつうにアウトじゃない?」
『ふむ……この姿を見られたか。』
「いや、見られたらっていうか、めちゃくちゃ目立つよ!? 先生呼ばれちゃうレベルだよ、これ!」
『我は気配を消すこともできるし、我が言葉は――犬神千陽とヒカリにしか届かぬ。案ずることはない。』
「それだけできるなら、私にもゲンキとおしゃべりできる機能、搭載してください!」
ちょっとふざけて言ったはずなのに、なんだろう。胸の奥が、きゅってなった。
そんな私の気持ちを見透かしたみたいに、ヒカリが ふっと微笑んでくれた。
「……その気持ち、ゲンキには――きっと、届いてるわよ。」
そんな軽いやり取りができることに――私は、少しだけ救われていた。
夕暮れが差し込む旧校舎の廊下を、ヒカリと私、そしてシロが――一歩一歩、静かに並んで歩いていた。
開かずの間での試練、光希との再会、影狼とのバトル。あの公園での優しい声――
あれが夢だったのか、現実だったのか、もうよくわからないけど……でも、全部、私の中にちゃんと残ってる。
そして――
「おーい、犬神ーっ!」
「天野先輩も!」
背後から聞こえてきたのは、聞き慣れた声たち!
振り返ると、みんながバタバタとこっちに駆けてくる!
「どこ行ってたのよ!? 急にいなくなるなんて!」
亜沙美が頬をぷくーっとふくらませて、ぷんすか怒ってる。
その横で、隆之は腕を組んだまま、小さくため息をついてから、
チラッとこっちを見た。
目が合った瞬間――すぐにそらされたけど、ほんの一瞬だけ、ホッとしたような表情が浮かんでた気がする。
……ふふっ、なんだかんだで、ちゃんと心配してくれてたんだよね。
「ち、ちー先輩!ほんとに無事でよかったですぅぅ……!」
美咲がしがみついてきて、私は「うん、ごめん! ちょっと……冒険してた!」って笑って返した。
ヒカリは「問題ないわ」って、いつも通りクール。
「ち、ちー先輩! その白い犬、もしかして……!」
……うっ、美咲がシロをロックオンしてるっ!
(あっ……やば――)
「きゃわわっ!! なにこの もふもふ、反則レベルじゃないですかっ!!」
言うが早いか、美咲が駆け寄ってシロを抱きしめる。
『ぬぅ……ふわぁ……ぐぅ……』
(シロぉぉぉおおっ!! がんばれええええ!! モフモフ耐久戦だよおおおっ!!)
「……ていうか、この子、どこから来たんですか? 野良犬には見えないし、めちゃくちゃ人懐っこいし……」
ヤバい!質問攻めにされる前に誰か助けて~!って思ったら、ヒカリがスッと前に出て、さらっと言った。
「……私が預かってる犬よ。名前は――シロ。」
「えっ!? 天野先輩のワンちゃんだったんですか!? かわいすぎますっ!」
「たまに、家から逃げ出して……こうして遊びに来ちゃうのよ。」
『我は風の導きに従っただけだ……』
(はいはい、ただの脱走って言わないのが神っぽいよね……)
私は苦笑いしながら繋げる。
「たぶん……ヒカリに会いたくなっちゃったんだよ、きっと!」
そしたらヒカリが、少しだけ目を丸くして……優しく笑った。
「……そうかもしれないわね。」
そして始まるモフモフ祭り――!
亜沙美が思わずつぶやきながら、ゆっくりしゃがんでシロの背を撫で始める。
「なにこれ、ふわっふわ……え、わたし、癒されてるんだけど!?」
「ずるいぞ……俺も触っていいか?」
隆之がぼそりと呟くと、長谷川先輩も こっそり並んでしゃがみこむ。
「うん、これは一度触っといた方がいい。なんか、毛並みが……ありがたい。」
「男子の皆さま、“高貴なるもふもふ”の極意をご覧あそばせ!」
(あ、玲奈先輩、モフ指南始めた……!)
「焦らず、丁寧に、心を込めて……
そう、それが“高貴なる もふもふ”の極意ですのよ!」
(なにこの展開……! 影狼と戦った後に、こんなモフフェスが開催されるなんて誰が予想したよ……!)
私は思わず、目の前のシロに心の中で叫ぶ。
(がんばれシロ……これは、たぶん今日いちばんの試練だよ……!)
そんな風に笑い合う空気に包まれながらも――
(……あれは、夢じゃなかったよね)
私はそっと、開かずの間の扉を見つめる。
指先の指輪が、静かに脈を打っていた。
(……うん、たぶん――次の封印が、また呼んでる)
そう思った瞬間――
ふと、誰かの視線を感じた。
ぱっと振り返った。でも、そこには……誰もいなかった。
(……気のせい、かな?)
――そう、思ったんだけど。
だけど――この時の私は、まだ知らなかった。
あの開かずの間の封印の扉が“開かれた瞬間”
――その瞬間を、誰かに――確かに“見られていた”ことを。
その背中を、何も言わず、ただ、静かに――“見届けていた存在”があったことを。
そして、もっと前から――ずっと、ずっと――
誰かの“視線”が、私を見つめ続けていたことを――。
……それは、あの日。神社へと続く道。
春の夕暮れ、街灯の灯りが、ともり始めたころ――
振り返っても誰もいなかった、あの違和感――
その正体は、ひとつだけじゃなかった。
むしろ、本当の“視線”は――今もなお、私を見つめている。
ずっと、ずっと前から。そして、これからも――
[第六話 封じられし視線の記憶 【完】]
→ 第七話 犬神物語 後編へと続く…




