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『この世界で、もう一度』1

「まだ、ここにいる気がするの」


そう呟いた女性は、静かに展望台の柵に手をかけた。


風が吹いた。髪がなびき、目を細める。


見慣れた町の向こうに、誰かの面影を追いかけるように。


「……あの子は、消えたわけじゃない。きっと、今もどこかで――」


右手の薬指にきらめく白銀の指輪。彼女はそれを、そっと包み込んだ。


「もし、この声が届くなら……どうか、聞かせて。あなたの――」

……その祈りは、遠く離れたひとりの少女の胸の奥に、確かに届いていた。


風が止まる。時が、少しだけ巻き戻った気がした。


……


私はただ、走っていた。

この異質な空間を、全力で。

ぐにゃりと歪んだ道路、空に向かって続く階段、宙に浮く校舎の欠片。

足がもつれそうになっても、胸が焼けるほど息が苦しくても、止まれなかった。


だって、あの子が――あの場所で、待っている気がしたから。


あの始まりの展望台に、私はもう一度、会いに行く。

この胸に残る、あの日のあたたかさを信じて。


「もう一度、ちゃんと……伝えたいことがあるんだよ、ヒカリ……!」


私は走る。

夢と現実のあわいを越えて、

あの子が最初に“こんにちは”って言ってくれた、あの場所へ。


日向公園の展望台。

その場所に彼女はいた。


風も吹かないはずなのに、髪がふわりと揺れていた。

うっすらと光をまとったような姿で、ただまっすぐに前を見つめている。


声をかけようとして、私は息をのんだ。

彼女の瞳は、こちらを見ていない。

まるで、時の狭間に取り残されたまま、何かをずっと待ち続けているように――。


「ヒカリ……来たよ……っ」


私はゆっくりと手を伸ばした。

会いたかった。伝えたかった。

たくさんの想いを胸に込めて、彼女に触れようと――


ほんの少しだけ、視線が合った……気がした


その瞬間だった。


ぱぁっ……


光の粒が、ふわっと舞い上がった。


「っえ……?」


手が触れる直前、ヒカリの姿はふんわりと崩れ、

夜空の星くずのように、静かに、でも確かに消えていった。


残されたのは、ただの空っぽの風景。

でも、私は見た。


その空間が、音もなく裂けたのを。


空と地面のあわいから、ゆっくりと現れた黒い階段。

天へと伸びるように続くその先には、影と光が渦巻く“扉”。

あたりの世界が一瞬、息をひそめたようだった。


そして――


「犬神ノ最果いぬがみのさいはて


夢とうつつの境界。

魂の記憶とすべての試練の最果て。

私が目指してきた旅の、ほんとうの終着点。


私は、ぎゅっと右手を胸に当てた。

ヒカリが残してくれたあたたかさが、そこに確かに息づいている。

忘れない――あの瞬間の光も、声も、ぬくもりも。

すべてを抱きしめて、私はこの胸に刻んだ。

そして今――私の中で、何かが強く静かに、光がともりはじめる。


そして、言葉を紡いだ。


「私はもう、逃げない。何があっても、最後まで――守り抜く。」


風が動いた。

光と闇が交錯する扉が、音もなくゆっくりと開いていく。


私は、もう迷わない。

この胸に託された想いと、一歩ごとに積み重ねてきた日々を信じて――

私は、たったひとりで踏み出した。

夢幻の奥、その最果てへ。

すべてを終わらせるために。

そして、必ず取り戻すために――私の、大切なものを。


そしてその瞬間、時の針が静かに回りはじめた。

忘れかけていた記憶の奥から、あの物語はふたたび息を吹き返す。


かつて結ばれ、やがて失われた“なにか”が、再び動き出そうとしていた。

それは、まだ名前すら持たない、ひとつの奇跡。

その奇跡のはじまりは――、遠い記憶の中にあった。


……そして、その記憶の扉が、静かにひらかれる…。


転生前の私――

私は一匹の犬として、ご主人様を守りたかった。


目の前に立つその人のために、何ができるだろうと必死に考え、弱くなっていく体で、それでも守ろうと走り続けていた。


やがて病にかかり、呼吸は荒く、視界はぼやけていく。「ワン……」と鳴いても、誰の耳にも届かない。


「ワン……ワン!」


力を振り絞って吠えても、身体はもう動かない。私は、ただ――最後にもう一度、あのあたたかな手に触れたくて。


命の灯が消えていく中、ただひとつの想いが胸を締めつけた。


「ご主人様……会いたかったよ……」


あのぬくもりが、私の最後の記憶だった。


そして――


次に目を覚ましたとき、私は赤ん坊になっていた。


小さな体。柔らかな布。身を包む温かい空気。手も足も思うように動かせないけれど、心の中には、どこか懐かしい温もりが広がっていた。


「よかったね、千陽……元気に生まれてきてくれて」


おそらく、生まれて初めて聞いた母の声。はっきりとは見えなくても、その優しさが心に染みわたった。


「可愛いな……ちょっと似てるかも、千陽。ほら、見てごらん」


続いて聞こえたのは父の声。私の小さな体を包むように、安心感が広がっていく。


ふたりの温もりが、私をこの世界に迎え入れてくれていた。


「千陽、あなたの名前はもう決まってるのよ。元気に育ってね」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、ふわりと温かくなった。


不思議だった。初めて聞くはずの名前なのに、どこか懐かしく感じた。まるで、ずっと前にも誰かに呼ばれたことがあるような――そんな気がした。


そうして始まった、新しい世界。


人間として生まれ変わった私は、すべてが初めてで、すべてが眩しかった。


色とりどりの光。あたたかい手のひらの感触。やさしい声。流れる風。


そのすべてが、まるでプレゼントのように私に降り注いでいた。


小さな体は、見るもの聞くものすべてに興味津々だった。世界は広くて、未知に満ちていて、飽きることなんてなかった。


初めての匂い。初めての音。初めての景色。 すべてが、私の心をくすぐり続けていた。


そして、私は思った。


私の名前は――犬神千陽いぬがみ ちはる


初めて授かった新しい名前。だけど、どこか懐かしい響きがして。それが、私と“過去”を繋いでいるような気がしてならなかった。


そして、いくつもの季節が巡り、再び春が訪れ――

私は高校二年生になった。


1年前の春、とある事情でこの日向町ひなたちょうに引っ越してきた。でも、まったく知らない町ってわけじゃない。小さいころから、犬神神社の管理をしていた祖父に会いに、何度も訪れていた馴染みのある場所だった。


春になると、日向町はいつもよりちょっとだけ華やかになる。通りには桜が咲きそろい、春風に花びらが舞って、空気までほんのり甘くて、あたたかい。


名前のとおり、太陽の光が似合うこの町は、自然と人の暮らしがほどよく調和していて、桜並木も、川沿いの緑も、道を歩く人たちの表情も、全部がどこか優しく見える。


そんな空気の中にいると、自然と心がほぐれていく。ここでの暮らしにもすっかり慣れて、私は今、この町がとても大好きだ。


「ふぅ〜っ! 今日もいい天気っ♪」


思わず深呼吸して、胸いっぱいに空気を吸い込む。

ん〜〜っ……気持ちいいっ♪


……ふと通学カバンに目をやると、

ポケットのところで小さなキーホルダーが揺れていた。

白い犬の形をしたその子は、いつからか、毎日持ち歩くのが当たり前になってて。

見るだけで、なんだか心が落ち着く~。

(うん、今日も一緒だね、ユキちゃん♪)


そのまま、空に向かって ぐぅ〜んと背伸び!

指先が雲に届きそうな気がして、なんだかちょっぴりうれしくなる。

やっぱり、こういう瞬間って大事だなぁって思うんだよねっ。


そう言いながら、私はぴょんっ♪と足を弾ませて、軽く駆け足で坂を登っていく。

風がスカートをふわっと揺らして、なんだか冒険してるみたいな気分!

うん、やっぱり体を動かすのって気持ちいい〜っ♪


私の通う日向高等学校は、町の高台、山のふもとにあるんだ〜。

朝の登校は、ちょっとした坂道を登らなきゃいけないけど――


「ま、朝の運動には ちょうどいいかな!」


なんて、自分に言い聞かせるように笑って、私はトトトッと軽く駆け足で坂を登っていく。

うん、朝から動くと、なんだかエネルギーが湧いてくる気がするっ♪


新しいクラスにも少しずつ慣れてきて、友達もできて、充実した毎日を過ごしてる……けど、やっぱり私にとって一番大事なのは――


「元気でいること!」


健康はすべての基本。最近は動画でもっと深掘りしてて、食事、睡眠、運動、ストレッチ、呼吸法にお風呂の入り方まで――毎日“人体のふしぎ”にワクワクが止まらない!


うん、今日も元気に登校っ♪


…だったはず、なんだけどなぁ。


気づいたら、机に突っ伏して夢の中。


頭の中にいろんなことが浮かんできて、疲れがたまってたのかも。気づけば、スーッと夢の世界へ落ちていた。


「犬神、起きなさい!」


耳元にビシッと響く先生の声。ビクッとなって目を開けた瞬間、教室中の視線がこちらに向いていた。


「わふっ⁉ う、うわっ、すみませんっ!!」


つい出た犬っぽい声に、自分で笑いそうになっちゃった……けど、そんな場合じゃないってば〜っ!

や、やばいっ、今の私、ちょっとワンコ感強めだったかも……!?


眠気の残る頭をぶんぶんって振って、私は慌てて姿勢を正す。できるだけ自然にっ!バレてませんようにっ!


……って、無理だったぁ〜〜〜!!

クスクス、って周りのクラスメートたちの笑い声が耳に入ってくる。


うぅ〜、聞かれてた〜〜! 完全に聞かれてたよぉ〜!

でも……でもっ!ちょっぴりウケてたなら、まぁ……まぁいっかっ!(汗)


「チハル、また寝てたんだね」


前の席の河田かわだ 亜沙美あさみが、くるっと振り返って、

ニコニコしながら囁いてきた。


ぱっつん前髪のストレートヘアに、ちょっとボーイッシュな口調が特徴の、

明るくて気さくなクラスメイト。


――高校に入ってから、最初にできた私の友達のひとり。


席が近かったこともあって、いつの間にか自然に話すようになって……

今では、からかってきたり支えてくれたりする、大事な存在なんだ。


その無邪気な笑顔に、ドキッ……として、私の顔がじわ〜っと少し赤くなるのがわかる。


も〜っ、亜沙美ってば〜っ!

そんな笑顔でこっそり言われたら、なんか照れちゃうじゃん〜〜っ!


って、平静装ってるけど、内心はわたわたモード全開ですっ!!


「す、すみません!先生。ちょっと疲れちゃって……」


「またか〜。でもチハルが寝てると、平和って感じするよね」


どこからともなく聞こえてきた、クラスメイトのゆる〜いツッコミに、

クラス中がくすくすっと笑いに包まれて、私はなんとなく救われた気分になった。

……よかったぁ〜、変な空気にならなくて……ホント、ひやひやした〜〜っ!


そのとき――


「ふふっ……犬神さんの“わふっ”って声、ほんとに可愛かったです〜」


やわらかな声が、後ろの方からふわりと届いた。


振り向くと、窓際の席で、金色のふわふわ髪を揺らしながら微笑むクラスメイト――

月城つきしろ 愛衣あいが、

頬杖をついたまま、やさしく目を細めていた。


制服の上からでも目を引くその髪色は、太陽の光でやわらかく輝いていて、

どこか異国の雰囲気をまとった、不思議な空気を持つ子。


「……つい、耳がぴこって反応しちゃいそうでした。

わたし、動物の鳴き声にちょっと敏感なんです〜♪」


え……“耳がぴこ”…?

なんだろう……その言い方に、ちょっとだけ胸がくすぐったくなるような違和感があって――


「え、えぇっ!? ちょ、ちょっと〜、やめてよ〜〜……っ」

私はあわてて手をぶんぶん振る。

「そ、そんなの、ふわふわな あいちゃんに言われたら……なんか余計に恥ずかしいしっ!」


「ふふっ……そうですか? でも、本当にかわいかったんです〜」


愛衣ちゃんのほわっとした笑みに、

胸の奥がくすぐったくなるような、あったかい感じが広がって――


「も、も〜〜〜〜っ……あいちゃんったらぁ〜っ!」


私は顔をカバンで覆って、思わず机に突っ伏してしまった。


授業が終わった後、私は教室の隅で荷物をごそごそまとめながら――

…ずっと聞こうか迷ってたけど、やっぱり気になっちゃって。

私はそっと声をひそめながら、ちらっと亜沙美に目を向けた。


「ねえ亜沙美……もしかして、あの健康動画の“犬神チップ”、私だって……最初からバレてた?」


亜沙美はニヤっと笑って、こくんとうなずいた。


「うん。あの健康チャンネルのやつ。最初に声聞いた瞬間、“これ、絶対チハルじゃん”って思ったもん」


「うわぁぁ、やっぱ声でバレてた〜!?///」

私は思わずカバンで顔を隠しそうになっちゃった。


亜沙美が、いたずらっぽく微笑んでくる。

私は苦笑いで返しながら、心の中で悶絶っ。


うぅ〜、もう〜っ、そういう顔する〜!?

完全に見透かされてる感……ぐぬぬ、さすが亜沙美……!


「あれ、キャラだけでやってたのに……声とかでバレるとは思わなかったな〜」


「だって完全に、チハルだったもん。もう聞き分けできるレベル」


「……ほんと、秘密にしててよ? “犬神チップ”って名前でやってるの、わたし的にはちょっと恥ずかしいんだから」


「わかってるって〜。……むしろクラスの子にも宣伝してあげよっか?」


「ちょっ、やめて〜っ!? 恥ずかしいからホントにいいってば〜っ!」


「え〜? あんなに分かりやすく“健康大好き!”って語ってるのに〜? すっごくチハルっぽくて可愛いのに〜♪」


「だ、だから余計に恥ずかしいのっ……! もう〜っ、亜沙美〜〜っ!」


「……でもさ、なんで“チップ”って名前にしたの?」


「えっ?」


「いや、気になってたんだよね。なんか意味あるの?」


「うーん……なんとなく?」


「……なんとなく〜?(じーっ)」


「だ、だから深い意味とかはないのっ! はい、終了〜っ!」


私は顔をぷいっとそらして、カバンで口元を隠した。

でも――(ホントはちょっと、秘密にしてる“理由”があるんだ)


私が頬をふくらませて抗議してると、亜沙美は ふっとやさしく笑った。

……その顔見たら、なんだか胸の奥がじんわりあったかくなってきて――


「でも……私の動画。見つけてくれて、ありがとね」


小さな声でそう言ったら、亜沙美は何も言わずに、ぽんっと私の頭をなでてくれた。

私は軽くため息をつきながらも、どこか嬉しくて、つい笑ってしまった。

……な〜んかもう、ほんとにズルいよ、亜沙美は。


心の中でそっと、そうつぶやきながら、私はカバンを持って教室を出た。

開いた窓から差し込んできた春の風が、ふわりと髪を撫でて――

なんだか、背中をそっと押してくれるような気がした。

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