『命の輝き』2
電車がゆっくり減速して、アナウンスが「常盤町〜、常盤町〜」って響いたとき、私は肩に乗っかってたモヤモヤをそっと下ろすような気持ちで立ち上がった。
扉が開くと、ふわっと鼻先に感じる、懐かしい風のにおい。
(……常盤町に来るのも、もう何度目だろ? すっかり“ふるさと”って感じじゃないかもだけど、ここ、私の原点なんだよね。)
この町は、日向町よりも少しにぎやかで、駅前にはいろんなお店が並んでて、歩く人たちの足取りもなんだかせかせかしてる。でも私は、そんな空気すらどこか懐かしくて、胸の奥がじわっと熱くなった。
(引っ越す前は、毎日この風景が当たり前だったのにね〜……ふふ、変なの。)
バス停へ向かう途中、昔友だちと待ち合わせした場所や、よく通ったパン屋さんが目に入ってきて、「うわ〜、まだあったんだ!」って心の中で小さく拍手。
バスに乗って【ときわ動物愛護センター】へ向かう。窓の外の景色が、どんどん思い出モードに切り替わってく感じ。
(ここで見たこと、ちゃんと受け止めなきゃ……)
センターのエントランス前で深呼吸。
胸の奥に、少し緊張が走る。私は深呼吸をし、事前に電話予約を入れておいたことを思い出しながら、受付へと向かった。
扉を開けると、すぐに受付のカウンターがあり、中ではスタッフが忙しそうに動き回っていた。
「こんにちは、見学の予約をしていた犬神千陽です。」
受付のスタッフが微笑みながら名簿を確認し、「お待ちしていました。宮下副主任がご案内しますので、少々お待ちくださいね」と答えた。
私は周囲を見渡す。待合スペースの壁には、センターで保護されている犬や猫の写真が並んでいる。それぞれに名前と、引き取られるまでの経緯が書かれていた。
『飼い主に捨てられ、道路で衰弱していたところを保護』『繁殖業者から劣悪な環境で救出』『老犬になり世話ができないと飼い主が持ち込んだ』——どの説明も胸に重くのしかかる。
(こんなにもたくさんの命が、理不尽な理由で居場所を失ってしまうんだ……。)
ふと、ガラス越しに見える犬たちに目を向ける。施設の一角では、ボランティアスタッフが世話をしていた。怯えた表情を浮かべる犬、優しい手に甘える猫、ケージの奥から じっとこちらを見つめる子……それぞれが異なる過去を抱えながら、それでも生きている。
(みんな、頑張ってるんだ……ちゃんと生きようとしてる……)
(ここにいる子たちの命も、輝いている——。)
改めて、この場所に来た意味を感じた。
「お待たせしました。」
柔らかな声に振り向くと、そこには落ち着いた雰囲気の女性が立っていた。ショートカットの髪に清潔感のある白いジャケット、名札には『宮下』と書かれている。
「初めまして、私は副主任の宮下です。犬神さんですね?」
「はい。初めまして、犬神千陽ですっ。今日は、よろしくお願いします!」
少し緊張しながら返事すると、宮下さんは優しくにっこり。
「こちらこそ。今日は、施設の案内と、ここにいる動物たちについて少しお話しさせてもらいますね。」
宮下副主任は明るく笑いながら、軽快な足取りで施設内を案内する。
「はい、お願いしますっ」
私は気を引き締めながら、彼女の後について歩き出した。
案内してもらってる途中、もうひとりのスタッフさんに目が留まった。静かで控えめそうだけど、なんていうか……手際がよくて、見てるだけで安心するタイプ。
私が「こんにちは」って声かけると、「こんにちは」って柔らかく返してくれて、すぐ作業に戻っちゃったけど、あの一瞬のまなざしが、なんかあったかくて。
改めて彼女をよく見ると、落ち着いた雰囲気の60代くらいの女性だった。
穏やかな顔立ちに、長年の経験を感じさせる優しい眼差し。
彼女は動物たちと接するたびに微笑み、ケージの犬たちを撫でながら静かに言葉をかけていた。
(この人……犬のこと、すっごく大切にしてるんだなぁ)
しばらくして、その人が優しく話しかけてくれた。
「あなた、犬が好きなの?」
「はいっ! だいすきです!ワンちゃんって、見てるだけで元気もらえるし、なんだか心がほっとするんですよね……」
私が勢いよく答えると、その人は ふふっと優しく笑ってくれた。
「それはいいことね。犬は、人と寄り添って生きてる生き物。愛情を注げば、ちゃんと応えてくれるのよ」
撫でてる柴犬の子も、その人の手に身を委ねてて、すごく安心した表情をしてた。
(……この子も、信じてるんだ、この人のこと)
「この子も、最初は怯えていたの。でも、時間をかけて優しく接してあげれば、ちゃんと心を開いてくれるようになったのよ。」
「……時間をかけて?」
「そう。動物たちはね、人の気持ちに とても敏感なの。急に近づこうとすると怖がるけれど、少しずつ信頼関係を築けば、必ず分かり合えるのよ。」
私は彼女の言葉を聞きながら、何気なくケージの犬を見つめた。
確かに、この子の目は穏やかで、彼女に絶大な信頼を寄せているように見える。
「あなたは、どんな犬が好き?」
「え? えーっと……うーん……全部、ですかね!」
元気な子も、のんびりした子も、それぞれの良さがあって大好き!って言ったら、また微笑んでくれた。
「犬は、あなたの気持ちを映す鏡のような存在。優しく寄り添えば、ちゃんと分かり合えるのよ」
その言葉、ずしんって胸に響いた。
(……私、ちゃんとゲンキと向き合えてたのかな……?)
でも不思議と、責められてる感じじゃなくて、前を向きたくなるような優しさだった。
彼女は静かに微笑んだ。
「犬と人間は長い歴史を共にしてきたのよ。だからこそ、一緒に生きることが当たり前のように感じるけれど、本当はとても奇跡的なことなのかもしれないわね。」
彼女の声は落ち着いていて、どこか温かみがあった。
「……あの、ありがとうございます。なんだか、お話を聞いていると、私までほっとするというか……。こんな気持ち、初めてかもしれない。」
私がそう答えると、彼女は柔らかく微笑んで頷き、再び作業に戻っていった。
(……なんだろう、この感じ。)
ここでふと、私の中で何かが引っかかった気がした。
けれど、その瞬間、宮下さんが にこやかに声をかけてきて、意識はそちらに向いてしまう。
「犬神さんを見てるとね、私も若かった頃を思い出すの。何ていうのかしら……犬との縁が深い人は、一目でわかるのよ。あなたには、そういうオーラがあるのかもしれないわ。」
私は思わず目を瞬かせる。自分では意識していなかったけれど、そう言われると不思議な気持ちになる。
「私が若かった頃も、ワンちゃんに支えられたことが何度もあって……あなたを見てると、つい懐かしくなっちゃってね。」
宮下さんは微笑み、まるで何かを知っているような眼差しを向ける。しかし、すぐに明るい声で言葉を続けた。
「さぁて、案内しましょうか!」って明るい声をかけてくれて、私は笑顔で「はいっ!」と答えた。
私は宮下副主任に案内されながら、施設内を歩いた。ここでは多くの犬や猫が新しい家族を待っている。だが、そこには明るい光景ばかりではなく、目を背けたくなるような現実が広がっていた。
狭いケージの中で じっと動かずにいる犬、毛並みがぼろぼろで痩せ細った猫。怪我を負ったまま発見され、治療を受けながらも不安げな瞳でこちらを見つめる子たち。奥の一角には、人に怯え、震えるようにして隅にうずくまっている犬もいた。
スタッフの人の「この子は、ずっと繋がれたままで散歩にも行けなかったんです。だから、今でもリードをつけると動けなくなってしまうんですよ。」って言葉に、私は心が締め付けられるような感覚を覚えた。
「この子は元の飼い主に虐待を受けていたの。今もまだ、人が近づくと怖がってしまうのよ。」
宮下副主任が小さな声で説明する。犬は体を丸め、そっとこちらを伺うようにしていた。
(……私、こんな現実、ちゃんと知らなかった)
「期限が迫ってます」のリストには、命のカウントダウンが書かれてるようで、私、思わず拳ぎゅって握っちゃった。
(こんなのって、絶対おかしい……)
でも、落ち込んでるだけじゃダメだよね。
(……私にできること、ある。動画、作れるし、編集も得意だし。少しでも伝えられたら……!)
見学が終わるころには、私の中にひとつ、しっかりとした決意が芽生えてた。
宮下さんが「ありがとう」って言ってくれたとき、私のほうこそ「来てよかった」って思ったんだ。
「また、いつでも来てね。あなたなら、きっと何かできることが見つかると思うわ。」
その言葉に、私の背中をぽんっと押された気がした。
宮下さんの優しい声に背を押され、私は施設を後にした。
外に出ると、涼しい風が頬を撫でた。空はどこまでも広がっていて、私の心の中に決意の灯がともる。
(……私、ちゃんと伝える。動物たちの命のこと。みんなに知ってもらいたい。)
そして、不意に——心の奥の引き出しが、ふわっと開いた気がした。
光希……みっちゃん
わたしにとって、一番の親友。いつも元気で、負けず嫌いで、どんなときも笑っていた。
(でも——。)
もう、あのころみたいに笑い合うことはできないけど……
みっちゃんと過ごした時間は、今でもぜんぶ、私の宝物だよ