今を喰らう
目が覚める午前7時。
いつも通りの日常。
冷凍の米を電子レンジに入れ、温める。
その間に卵を一つ温めたフライパンに割る。
テキパキと朝ごはんの準備を済ませ、席に座る。
「いただきます。」
この一言で私は目が覚める。
今日も頑張って生きよう。
「おはよー」
「昨日のさぁ」
周りの挨拶とか、声をヘッドホンでシャットダウンして、授業の準備だけ済ませた机の上でスマホをいじる。
「♪〜」
別に、特別クラスメイトと仲が悪いってわけでもないし、友達もちゃんといる。
ただ、学校にいるからと言って常にそいつらと関わらなければならないなんてこともないだろう。
「起立、礼、お願いしまーす」
そんな変わり映えしないいつもの挨拶と共に、先生が朝の挨拶をする。
今日の連絡とか、一言だとか、そんなのを軽く聞き流しながら机の上に腕を立てて、その上に頭を乗せて未だ覚めきらない頭をなんとか動かしながら話を聞く。
授業が進んで、どれもそこそこに頑張って。気づいたら帰りの時間になっていて。
友達と話して、ちょっと遊んで、そこそこ勉強頑張って、ほどほどに生きている。
ヘッドホンを付けて、歩き慣れた帰り道を1人で歩く。
歌の歌詞だとか、小中学校の先生だとかはよく、みんなは自由だとか、どこへだって行けるだとか、無限の可能性があるとか簡単に言ってくれるけど、時が経つにつれてそうは思えなくなっているのは、成長しているからなのか、捻くれているからなのか。
「ただいまー」
両親が仕事に行っているせいで返事のない家の中を進みながらも、考える。
小学校の頃、無限の可能性があるーとか言われて、それを馬鹿正直に信じて、将来はこれになるーとか言っておいて、今はこれ。
確かに小学生の時は可能性に関してはあるだろう。
でも、その可能性を狭めてきたのは紛れもない自分で、それに気づけた人から勉強して、頑張って、どうにか可能性と言う道を少なくしないようにすることができる。
なんの努力もせず自分の可能性という道をそっくりそのまま残せる人なんていなくて、でも道が消えていくのが遅いのは確かに才能がある人で。
才能だとか、そういうのがない人はいかに早くその現実に気がついて、自分のために努力できるのか、それにかかっているんだと思う。
結局、私がそれに気づいたのは高校生になって、一年が終わろうといている頃で。
気づいた時から、何をするでもなく、こんな無駄なことばかり考えている。
ベッドに横になって、流れ続ける音楽をぼーっと聞いて。
自由ってなんだろう、と考える。
私たちは、どこまで行っても学校という檻に囚われているんじゃないかと思う。
小学校は家の周りから外に行くことはなく。
中学校は行動範囲は増えたものの別に県外に行くことなどほとんどない。
高校に入ると県外に出ることはあるもののそれもごくわずか。
大学は…わからないけど、結局学校というものに囚われている。
社会に出ると、仕事とか、会社とか。それに囚われて、お金を貯めて、退職して、自由が手に入ると思うと、その時には年齢が高くなっていて、どこか好きに出かけるなんて体力は残っていないのかもしれない。
そんなことはないのだと思ってはいるのだけど、どうしても自分たちが自由だとは思えない。
もちろん先生達も肉体的に自由、ということを言っているわけではないのだろうというのはわかっている。
多分、時間の使い方は自由だとか、考え方は自由だとか。
でも、時間の使い方を間違えたらそれからがどうしようもなくなるし、考え方が自由でも、周りと違う考え方を表に出せば、除け者として扱われるかもしれない。
自由ってのは、言葉に出すのは簡単で、でも実際には完璧な自由なんて存在しない。
だから、自分たちは将来に目を向ける。
将来の夢とか、そういうのを考える意味がわからなかった。
今が楽しければいいじゃないか、今そんなことを考えてどうするんだ。今そんなことを考えている暇はない。
ただ、今ならわかる気がする。
将来ってのは、いつか自由になった自分の妄想だ。
いつかここに行ってみたい、いつかこれをしてみたい、いつかあれを食べてみたい。
どれも、そのとき自分が何かに縛られているなんて考えず、ただやりたいことだけを考えていられる。
なんて、考えてみたけれど、そう考えたから何かが変わるってわけでもない。
今の私にできるのはただ勉強して少しでも可能性を残すことだけだし、それこそ今そんなことを考えている暇はない。
意味もなく1日を過ごして、意味もなく今という時間を浪費する。
ずっと勉強するのがいいとは思わないし、ずっと遊ぶのをいいとも思わない。
ただどうしても今していることに意味があるのかがわからない。
熱中できるほどの何かがあるわけでもなく、ただ同じ日々を繰り返し、繰り返し生きているだけ。
私は、どうしようもなく、かけがえのないはずの今を喰らっている。
それを吐き出すことも、消化することもできないまま、生き進んでいる。
いつか、納得できる何かに出会えればいいな、と思って、でもそれを見つける努力はしないまま、生き進んでいる。