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本日、陽だまり王子に嫁入りします!

作者: 遠野イナバ

 死んで転生したら、幸せな来世が待っている。

 美人に生まれて、貴族に生まれて、蝶よ花よと愛でられて。

 婚約者はもちろん王子様。

 そしてある日の舞踏会で、愛しの彼からこう宣言されるのだ。


 ──君との婚約を破棄する!


 彼の隣には見知らぬひと

 大衆の面前で振られる羞恥と屈辱。

 ああ、なんて可哀想な私なのだろう。

 だけど大丈夫。そのあとには別の王子様がやってきて、真実の愛を見つけるの。



 鉄板だ。王道だ。どんな妄想だと心の中では一蹴(いっしゅう)しても、それは甘くて都合がよくて、とても幸せな夢だった。

 きっと自分も死んだらそうなるのだ。

 本気で信じていた。

 だから最期に悔いは無く、悲しいとも思わなかった。

 治ることの無い病気だと言われた。

 闘病生活が辛かった。

 それでも、きっと、きっと次こそは。

 幸せな生が待っていると信じていたから──




「どうして、そんな希望なんて持っていたんだろう……」


 ここは冷たい地下牢だ。暗くて寒くてネズミが通る汚い場所。

 虚ろな瞳で空を見た。

 小鳥が一羽飛んでいく。鉄格子付きの窓から見える景色それに今更何も思わない。

 ばたばたと上階がうるさい。どうでもいい。

 ただ虚ろな心で空を見続けた。


 チェンジリング、というらしい。

 美しい人間の赤子をさらって、代わりに醜い妖精の子供を置いていく。

 通称、取り替え子。

 伝承によれば妖精のいたずらだというが、単なる作り話だ。信じるに値しない。

 それでも、両親は信じた。


 森と同じ緑の瞳。

 虹色帯びた銀の髪。


 異質な見た目に彼らは自分たちの子供だと認識しなかったらしい。

 そうして伯爵家の娘として生まれたにも関わらず、自分はいない者となった。

 地下に閉じ込められ、十余年が過ぎた。

 食事は定期的に届く。

 何とか生きているが、何も考えらない。

 希望は無い。

 どうせここからは出られないのだから、希望そんなものを持っていても絶望に変わるだけ。

 だから何も考えない。


(そういえば……)


 ちらりと錆びた門扉を見る。

 昔、自分の境遇に同情して、こっそり扉を開けようとしてくれた子供がいた。まだ幼い少年だった。

 いつか迎えに行くよと言ってくれたがそれきりだ。

 都合よく王子様なんて現れない。

 だから今日も虚無の瞳を空へと戻す。


 ふいに、鉄格子とびらが開く音がした。

 きぃっと金属音が擦れる音に、ゆっくりと振り返る。


「──ああ、やっと迎えに来られた」


 温かな笑みを浮かべた青年が、こちらに手を差しのべている。

 まるで、雨上がりの空だと思った。

 曇天の切れ目から差し込むまぶしいばかりの()の光。


 その姿を、彼女──リディアは未来永劫忘れることはないだろう。


 ◇ ◇ ◇



 ティアメル王国。建国当初は多くの鉱山から産出される金により巨万の富を得ていたこの国も、いまでは資源不足に陥り、かつての輝きに陰りを見せていた。

 しかし十九年前。

 王家にひとりの御子が誕生する。

 賢き王太子と(うた)われる彼は、衰廃(すいはい)する国を建て直すべく日夜奮闘している。


 それが今年で十七となる少女──リディアの住む国だった。


「当たった!」


 ミエル城の練兵場にてリディアは的を見据えて銃を構えた。

 ドンッと発砲音。

 弾は見事に的の中央に当たった。


「相変わらずの腕前だね」


 リディアが振り向くと、優雅に歩いてくる青年がいる。

 金糸きんしの髪に陽色ひいろの瞳。

 白の軍服姿の彼はこの国の第一王子ジオノルド・ティアメルである。

 リディアは慌てて駆け寄ると、自慢の銃をジオに見せた。


「はい! 殿下に賜った長銃こちらのおかげで、こんなに狙撃がうまくなりましたっ!」


「そっか。それは良かった」


 的に当たった弾を見て、ジオは苦笑を浮かべる。

 彼はリディアが騎士団に入りたいと言った時、真っ先に賛同してくれた人物だ。

 本来なら女の身で騎士の真似事など許されない。

 淑女が剣を持つなんて。

 弓を射るなんて。

 ましてや銃に触れるなど、この国ではあり得ない話だった。


(それでも……)


 決めたのだ。

 いつか、この方を守る騎士になるのだと。


「リディア、明日アルノの森の視察があるんだけど──リディア?」


「はっ! な、なんでしょう、王子!」


 いけない、いけない。ぼーっとしていた。

 リディアは頭を振ってジオを見上げた。


「例の魔獣の件。リディアも知っているとは思うけど、明日は森の様子を見に行くことになったんだ」


「魔獣……エーレウルフのことですよね? 最近アルノの森に住み着いたとかで、この前殿下が討伐なされたと話していた……」


 エーレウルフとは背中に翼が生えた狼だ。南の森を棲み家にしていたが、先月起きた落雷火事のせいで森の大半が焼失し、王都近くのアルノの森までやってきた。

 彼らは獰猛で、森に入った多くの者たちが被害にあった。

 そこで第一王子であるジオが部隊を率いて彼らを討伐し、かつての平穏を取り戻した森ではあるが、ときどき視察と(しょう)してジオが様子を見に行っているのだ。


「それでだ。花は好きかな?」


 ジオが目を細めて言った。


「花、ですか?」


「うん。あの森には綺麗な花がたくさん咲いているからね。流石に生花は無理だけど、押し花なんて土産にどうかなと思ってさ」


(土産?)


 なるほど。ノエル様へのお土産か。

 ノエル嬢といえばジオの婚約者候補として名前が挙がっている有名な侯爵令嬢だ。リディアはピンと(ひらめ)いた。


「そうですね! ノエル様は美しい花を愛でるのがお好きだと聞いています。きっと喜ばれると思いますよ」


「ノエル?」


 ジオが首をかしげた時だ。遠くから彼の副官が駆けてくる姿が見えた。


「殿下!」


 すっきりとした黒の髪にきりっとした灰の瞳。ジオと同じく白の軍服をまとう青年は、(あるじ)の前に立つと折り目正しく一礼した。


「殿下。早急にお戻りを。執務の続きをなさってくださいませんとみなが困ります」


 ジオがものすごく嫌そうな顔をした。


「キース、相変わらず堅いな、君も。やっともらえた短い休憩を満喫しているというのに、もう戻れだなんて」


「なにを仰いますか。少し出掛けてくると殿下が部屋を出られてから、すでに二時間が経過しております」


「そうだったかな?」


「…………」


 はぐらかすジオに無言の抗議を送ったあと、キースはリディアに身体を向ける。


「リディア嬢。今日も頑張っているようだな。騎士団にはもう慣れたか?」


「はい、ばっちりです! みんな優しくしてくださいます」


「それはよかった。──ん? それは……」


 キースがちらりと銃を見る。それはジオがリディアの為にと考案した軽量型の武器なのだが、もちろんそんなことなど知らないリディアは目を輝かせた。


「殿下が考案なされた軽量型長銃(マスケット)の試作品! もしも実用化できれば、携帯よし、飛距離よし、多くの人を守る盾になると思いますよ!」


 美しい金の細工がされた長銃をひと撫でしてリディアが答えると、ジオが「それを盾と呼ぶのか」と苦笑する。


「リディア。むさ苦しい軍なんてさっさと辞めて俺の侍女に戻っておいで。そうしたら、毎日一緒にお茶が飲めるし、もっと楽しいと思うけどな」


「それは殿下だけかと」


 キースが指摘するが、ジオは無視して「ともかく」と続ける。


「リディアも明日は──城の警備を頑張ってね」


「? はい! 頑張ります!」


 そのままジオは軽く片手をあげて去っていった。主が部屋に戻るのを見届けたキースはリディアに視線を移す。


「リディア嬢、団長が呼んでいた」


「騎士団長がですが? なんだろう……」


 騎士団長といえば、王国軍を率いる一番偉い人だ。先ほど話に出てきたノエル嬢の父でもあり、卓越した弓術(きゅうじゅつ)から『雷弓(らいきゅう)の騎士』としても有名だ。

 民からも部下からも信任厚い騎士団長。

 何度か話したことはあるが、剛毅(ごうき)な雰囲気をまとう彼にはいつも畏縮(いしゅく)してしまうリディアである。だから自分を呼んでいると聞いて、リディアは内心ハラハラだった。


(まさか、こっそり夜に練兵場を使っていたのがバレたとか?)


 夕飯後の自主訓練。侍女部屋を抜け出し、密かに体力づくりをしているのだが、まさかそれがバレたのか?


(ど、どどどどうしよう!!!)


 ぴしゃりと雷を落とす騎士団長の姿を想像してリディアが青ざめると、何かを察したらしいキースが『頑張れ』と励ましてくれた。


 ◇ ◇ ◇



 第一王子執務室。窓から流れる心地よいそよ風にふかれながらジオは頬杖をついて書類をめくった。


「殿下。公務中です」


「いいじゃないか、別に。誰もいるわけじゃないんだし」


「私がいますが」


 盛大にだらけながら書類にサインをする主にキースは吐息をこぼす。

 困ったことにジオは人目が無いといつもこうなのだ。臣下の前ではくれぐれもしっかりして下さいね、と伝えているため、普段は何とかなっているが、私室となるとやる気がない。まったくない。キースは少しでも主君のやる気が上がるよう、かの令嬢の話を振ってみた。


「リディア嬢、だいぶ軍での生活に慣れたようですね」


「そうだね。俺としては早く辞めてほしいけどね」


「……しかし、騎士団入りを許可したのは殿下でしょう?」


「だって、リディアがどうしてもって言うから」


 サイン済みの書類を渡してくるジオの顔は不満を訴えている。

 まぁ、彼も本意ではないのだろう。

 リディアはもとは伯爵家の娘だ。彼女の父親にあたるカメロン伯は事業に成功したおかげで多額の資産を有していた。宮廷内でも上と通じており、彼女が不遇な扱いを受けていることを幼少のおりに知ったジオだったが、どうすることもできなかった。

 それが三年前。ジオがカメロン伯の悪事を暴いたことで伯爵家は取り潰され、その結果リディアを救出することができた。しかし、当時の彼女はすでに生きる希望を失った、空っぽな瞳をした少女だった。


「──まぁ、最近は以前にも増して元気になったようですし、このまま様子をみては」


「様子ね。様子なら見てるけど、お前がいつも邪魔しにくるじゃないか」


「それは殿下が仕事をサボるからです。それよりこちらを」


 話を切って、キースは一枚の書類をジオに渡した。密偵から届いた書状だ。


「へぇ、なるほど」


 ジオが(たの)しげに笑う。


「明日は楽しい視察になりそうだ」


 キースは無言で瞑目(めいもく)し、目元を指で押さえた。


 ◇ ◇ ◇



 がさっと近くの茂みが揺れて出てきたのは小さなウサギだった。ほっと息をついてリディアは双眼鏡を片手に遠くを眺めた。


「こっそり護衛と言われても……」


 実は昨日恐々と騎士団長のもとを訪ねたら、秘密裏にジオの視察を尾行するよう命じられたのだ。

 ジオは普段から護衛の数を制限しており、今回の視察でも『最低限の人数でいいよー』と言われてしまったらしい。しかし行き先はアルノの森だ。すでに討伐済みとはいえ、危険な魔獣がいた土地である。騎士団長としても『頼むから護衛いっぱい連れてって!』という心境なのだ。


 だから表向きは野外訓練と称して、騎士たちは少数部隊に分かれて密かに森の中に潜伏していた。大々的に軍を動かせば、ジオに嗅ぎ付けられるので、あくまでこっそり見守ろう!

 そんな感じの作戦だ。


「極めつけは殿下を心配したわたしがアルノの森に行きましょう! って言ったことにするとか……」


 騎士団長いわく、ジオはリディアのことを大切な友人だと思っているらしい。なのでそれを逆手を取った作戦を立てた。つまりはこうだ。

 警備を増やしたことが万が一ジオにバレたらリディアのせいにする。

 さらにこれを機に近衛を増やしては、と騎士団長的には提案できるのだ。

 すごく良いように使われている、とリディアは肩を落とす。

 ちなみに彼女はいま、隊列を離れ、ひとりで木の上にいる。別に騎士団長に命じられたからではない。単純にリディアはものすごい方向音痴なのだ。

 つまり、迷った。

 こうしてジオを発見できたのはよかったけれど、きっと今ごろ同じ隊の仲間たちが慌ててリディアを探していることだろう。

 ごめんなさい、みんな、と心の中で謝り、リディアは双眼鏡を覗き込む。


(いまは殿下をお守りすることに専念するべし!)


 騎士の人がひとり、ふたり。

 副官のキース。そしてジオの計四名。

 うん? 少なすぎでは?

 しかも寝てるし、ジオ殿下。草原のベッドに身体をゆだねて顔には本を乗せているし。


「仮にも視察なのに……」


 休憩中なのだろうか。いずれにせよあれでは何かあった時にどうするのか。まるで危機感のない様子にリディアは内心ハラハラしながら観察していた。


『明日は城の警備を頑張ってね』


 きのうジオが言っていた言葉だ。いつもは仕事なんか忘れて遊んでおいでと言ってくるのに。なんだろう。リディアは心の奥底で嫌なざわめきを感じた。そして、悪い予感ほど当たるというもので。


「魔獣です! ジオ殿下、お下がりくだ──ぐぁっ」


(やっぱりぃーーーーーー!)


 がうっと黒い翼を生やした獣が吠えた。エーレウルフの登場だ。それも五匹。ジオを合わせても、守りの数が足りていない。


「じゅ、銃を!」


 リディアは急いで長銃を構えた。


「──って、え!?」


 驚くことに、ジオが先陣切ってエーレウルフと戦っている。とてもさっきまで昼寝をしていた人物とは思えない。

 瞬く間にエーレウルフを切り伏せたジオは長剣を一振りして、刃についた血をはらうと、倒れた騎士に駆けよった。


 ◇ ◇ ◇



(ひどいな……)


 ジオが老境(ろうきょう)の騎士を助け起こすと、右腕に深い傷を負っていた。これではもう剣は握れない。彼の騎士生命は終わりと言っていいだろう。


「殿下……申し訳あり、ません。我らがついていながら、このような……」


「いい、静かにしていろ。そこの君、彼の手当てを」


「はっ!」


「キース、近辺の調査を」


「承知いたしました」


 キースが茂みに入るのを確認してから、ジオはふたりの前に立つ。老騎士と若い騎士。年老いた彼は長年父につかえていた騎士だった。理由は知らないが、急に自分の近衛にと志願してきた。

 もうひとり。老騎士の手当てをする少年は、最近ジオの護衛に抜擢された新人だ。正直このふたりを連れての視察など、誰から見ても危機意識に欠ける行動だろう。ジオはあたりを警戒しつつ、剣を握る手に力をこめる。

 唐突に、風を切るいかずちが走った。


「──殿下っ!」


 若い騎士が叫ぶ。やはりか。肩に刺さった矢羽やばねを見て、ジオは草原の上に倒れた。


 ◇ ◇ ◇



 なにが起きたの?

 リディアは青ざめた。あれは矢だ。つまりは人の手による攻撃だ。


「まさか刺客が──」


 焦燥にかられてリディアが木から飛び降りようとした時、がさりと真下の茂みの葉が揺れた。出てきたのは騎士団長だった。右手に弓が、左手にはぐったりとしたキースの腕を掴んでいる。


(なんで……、騎士団長が……)


 リディアは慌てて口を右手で押さえると、声を出さないよう騎士団長の背中を見送り、頭を振る。

 わからない。

 けれど冷静に。大丈夫。なにがあっても絶対にジオ殿下を助けるのだ。

 ひっそりと銃を構えて『敵』に標準を合わせる。

 機会を待って、リディアは深く息を吸った。


 ◇ ◇ ◇



「ご苦労、君は下がりたまえ」


 騎士団長はキースを引きずり、ジオの前で歩みを止めると、若い騎士に目配せする。若い騎士は老騎士を(かつ)いでその場を離脱した。同時にジオの前にキースが投げ落とされる。


「ジオ殿下。まさかそのような矢傷で立てぬなどとは申しませぬな?」


「……やっぱり、君の仕業だったか」


 ゆっくりとジオが立ち上がる。刺さった矢じりを引き抜き、投げ捨てると、ジオは利き腕とは逆手で剣を拾いあげた。


「情報操作が得意な君のことだ。落雷火事を装い、森を焼き、エーレウルフをこの森まで移動させたのは、俺を始末するためかな?」


「まことにご慧眼(けいがん)痛み入ります」


 さっとジオから距離を取って、騎士団長はこうべを垂れた。


「おおかた、俺を殺して弟を押し上げ、ノエル(めと)らせる。そして子供が生まれれば、君は晴れて次期国王の父親というわけだ。さぞ輝かしい未来が待っているだろうね」


「わかっているなら、死んでもらえますかな?」


 騎士団長が弓矢を構える。それはあまりの剛弓ゆえに雷のごとき一撃を放つとされる『雷弓(らいきゅう)』と呼ばれた彼固有のわざである。雷弓の騎士。その由来となった弓術だ。


「ひとつだけ、いいかな?」


 矢を向けられてもなおジオは穏やかに微笑み、敵を見据えた。


「あの子はいま城に?」


「リディア嬢のことですかな? 彼女なら人質にと共に連れてきましたが、途中でいなくなってしまいました。まぁこんな森ですから、獣の餌になっていなければいいのですが」


「そうか」


 ふっと笑みを消し、ジオは地を蹴った。騎士団長が羽根から手を離すその刹那。

 ──ドンッ、と大気を震わす音がした。

 ぐらりと足場を崩す敵の姿にジオは目を丸くする。


(──あれは)


 音の先を辿れば、銃口をこちらに向けるリディアがいた。

 フッと口角が上がるのを感じつつ、ジオは一足飛びに駆け抜け、騎士団長を袈裟斬りにした。


 ◇ ◇ ◇



 まずい、早くここから逃げなければ!

 そう思うのにリディアの足は動かない。


「思ったより高い木にのぼってしまった……!」


 木の側面に張りつき、がたがたと地面を見下ろすさまは我ながら情けないとも思う。

 でも怖いものは怖い。だけどここにいたらジオに見つかってしまう。


「かくなるうえは!」


 怖いけど!

 リディアは目をつむり、ぴょんと木の上から飛びおりた。すると誰かに抱きとめられた。


「──さすがに木に登るのは、お転婆がすぎるんじゃないかな?」


「ジオ殿下!?」


 目を開けるとジオがいた。しかもこの態勢。お姫様抱っこというやつでは!?


(は、恥ずかしい気がする……)


 リディアがひとり悶絶していると、ジオが心配そうに顔を覗き込んできた。


「リディア」


「ひゃい!」


 舌を噛んだ。しかしジオは気にせず続けた。


「どうしてここにいるのかな? きのう君には城の警備を命じたはずだけど」


「す、すみません……」


「まぁ──いいけどね」


 言って、リディアをおろすと、彼はくるりと背を向けキースを呼んだ。身体を起こしたキースが苦言を(てい)している。どうやらふたりの口振りからして警備を手薄にしたのは作戦だったらしい。ジオを(おとり)に隙をつき、キースが騎士団長を始末する予定だったようだ。ジオがキースに命じて辺りの様子を見に行かせた。

 そんなふたりのやり取りを呆然と眺めてリディアは迷った。

 ジオ殿下が怒っている?


「あの……」


 何か言わなければ。


(でも、なんて?)


 悩んでいるうちにいつもの優しい声が耳を撫でた。


「君が、騎士団に入りたいと言っていったのは、やっぱりあの時の言葉を気にしているのかな」


「え?」


「俺の為に生きろと言ったことなら、もう忘れていいんだよ?」


 向けられた笑顔は、とても辛そうに見えた。


「──その言葉が、君を縛っているなら、無かったことにしよう。リディアには楽しく自由に生きてほしいんだ」


「殿下……」


 そうだ。

 自分はむかしこの人に救ってもらった。

 だけど救われた時にはすでに心は壊れていて、なにを希望に、なにを目的に生きればいいのか分からなかった。

 だから彼が言ったのだ。


 ──これからは俺の為に生きればいい。


 そう言われたから、その通りにした。

 いま思えば、自分を生かすための方便だったのだろう。だってこの人は優しいから。


「リディア、あの時の言葉なら──」


「違います!」


 リディアは自身の胸元を握りしめ、反射的に叫んだ。

 違う、違うのだ。


(たしかに最初は殿下が命じたからだった)


 侍女として何もできない自分に怒ることなく、この人はいつも笑いかけてくれたのだ。

 まわりの人もそうだった。

 城のみんなは優しくて、良くしてくれる。

 けれど、そんな彼らに返せるものなど自分には何もないのだと、そう思ったある日のことだった。

 本当にふと、何気なく、彼らを守る騎士たちの姿が目に(うつ)ったのは──。


「わたしが騎士になったのはっ」


 リディアはジオの前に立ち、想いを伝える。


「ジオ殿下と、キースさんと、城の皆さんと一緒にいられるあの場所を守りたいからです!」


 救ってくれたこの人に恩を返したい。

 優しいみんなをこの手で守りたい。

 なによりあの温かい場所が好きなのだ。


「大切なんです、あの場所がっ、あなたがっ! だから騎士になると決めたんです! あなたに命じられたからじゃない、これはわたしの意志です! ですからっ──」


 どうか笑ってほしい。


「ジオ殿下が気にすることなんて、一ミリもありません!」


 そう強く言い切れば、自分を見つめる瞳が丸くなる。ジオのシャツを掴んでリディアがまっすぐ見上げると、やがて「そうか」と呟き、彼が見せたのは、いつもと同じ陽だまりのような優しい笑顔だった。


 ◇◇◇



 それから数日が経ったある日のことだ。リディアはジオに呼ばれてお茶をしていた。


「え! 殿下は騎士団長が怪しいと気づいていたのですか!?」


 リディアが声を張り上げ、お菓子をぽろりとこぼす。

 いつもの日常だ。本来ならば、第一王子が一般騎士をティールームに呼び出し、あまつさえ同じ席につくなどあり得ない。しかしまわりは見慣れたもので、微笑ましいものを見るような眼差しがふたりに向けられている。


「そりゃあね。前から裏でこそこそと何かしてたみたいだし?」


 紅茶をひとくち飲んでジオが答える。


「落盤事故を装って崖から馬車を落としたり、飲み物に毒を盛ったり──あ、大丈夫。これには入ってないから」


 ティーカップを持って固まるリディアに言うと、彼はくすりと笑う。


「ま、継承権が一番上だとね、こういうこともよくあるんだよ。ほんとに大変だよね」


 ははは、となんでもないように笑い飛ばすジオに「御身おんみを囮するのはやめてください」とキースが苦言を漏らしている。リディアはひとり震えた。


「た、大変どころじゃないですよ!? それ!」


 勢いよく立ち上がり、彼女の顔がみるみると青ざめていく。


「事故とか、毒とか、今回は、し……刺客? しかも本来なら殿下を守る立場の人が敵って、そんなの、これからどうやって守れば……?」


 ぽたりと、カップに雫が落ちた。


「もしも殿下に何かあったらわたしは……っ」


「え!? わ、ごめんっ、ごめん! ──キース! 大至急リディアを泣き止ませろっ!」


「自業自得かと」


 急にうわーんとしゃくりをあげるリディアにジオも慌てて立ち上がり、黙っておくべきだった、と後悔するも後の祭りである。リディアがぐすぐすと鼻を鳴らして「もっとご自分を大切にしてください!」と叫ぶと、ジオは紺のハンカチを渡して頷いた。


「ねぇ、リディア」


「なんですか、ジオ殿下」


 借りたハンカチ越しにリディアが訊ねれば、ジオはごく自然にさらりと言った。


「やっぱり、騎士団なんて危ないし、さっさと退職して未来の王妃にならない?」


「へ?」


 みらいのおうひ?

 さっぱり意味がわからなかった。


「あれ? 伝わらないかな……」


 きょとんとするリディアを見て、ジオは小声でなにやらぶつぶつ呟いたあと、彼女の頬に右手を添えて優しく笑った。


「そうやって君が泣いてくれるように、君に何かあれば俺が哀しむよってこと」


 ──だから、


「もっと近くで俺を守ってくれない? もちろん第一王子ジオノルド・ティアメルの妃として」



 死んで転生したら、幸せな来世が待っている?

 結論。

 本日、陽だまり王子に嫁入りします!

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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