1−31 魔法院(1)
その日は主に精神疲労から、剣と短槍の素振りは休み...はしなかった。
むしろ力が入った。
人間、日頃のルーティーンを続ける事で精神を安定させる事が出来るのだ。
翌日、魔法院に行くのは憂鬱だな、と思いながら教室へ入ったエレノーラに、
平民の女の子が話しかけてきた。
本当は彼女はマリーに尋ねさせようと思っていたが、
一昨日の件で臍を曲げたマリーが、
聞きたい事があるなら自分で聞けばいいじゃない、と拒否したのだ。
「ねえ、エレノーラさん、昨日は王様と会っていたって本当?」
エレノーラの眉間に皺が寄った。誰が言いふらしたんだ...
「先生がそんな事言ってた?」
「ううん。先生は言ってないけど、噂で...」
貴族議会で殆んどの貴族が王都にいるから、その辺りの噂話か、と歎息した。
「父と祖母と王城に行ったのは本当。」
周りの下位貴族達が聞き耳を立てているのが分かった。
連中が質問させてるのか...
「それって、一昨日に魔獣討伐演習で問題が起きたから?」
「演習については学院と騎士団からの発表が真実で、
それ以外は私に話す権限はないの。」
王子の箝口令を守っているのだ。
「じゃあ、演習でエレノーラさんが上級魔法を使った、って言うのは本当?」
「学校の授業と試験以外での魔法の習得状況は、
お互い詮索しないのが魔法師のルールって聞いてるけど?」
「でも、その位は話してくれても...」
秘密にしてる事は秘密でいい、っていうルールだ、って言ってるんだけどね。
この子が聞きたくて聞いてるんじゃないから責めたら可哀想か。
「まあ、一言言えるのは、魔獣が出たら護衛の騎士の指示に従うべき、
って事だけ。
護衛の騎士の指示で、なんらか魔法を打つことも、
武器を振るう事もあるかもしれないね。」
「......」
ちょっと可愛そうかな。
「1組の演習は延期でしょ?2組も延期になると思うし、
安全が確保されたら再開するんじゃない?」
「えっと、やっぱり問題があったのね?」
「外の柵は壊れたんじゃないかな?」
「それってやっぱり、強い魔獣が入り込んだって事?」
「そこは学院からの発表を待って。
問題を起こしたらまずいから、ちゃんと調査してから再開すると思うから、
そこは安心して。」
「うん...」
普段疎外されてる人間がこれだけサービスしたんだから、
そろそろ諦めてね?
更に翌日の午後、
剣の授業の後にスタンリー家の馬車が迎えに来て魔法院に行く。
魔法院は王城近くの官庁街の中にあり、
近衛騎士団、第1騎士団と共に王城を守る戦力である。
一方で魔法研究、魔獣研究を行う研究機関でもある。
ここの研究結果を魔法学院の教育に反映させる事が
魔法学院に貴族が協力する理由の一つである。
ランディー・アストレイ子爵子息は魔法院に入って3年目の俊英である。
魔法学院在学時には10年に一人の逸材と言われていた男だった。
魔法院でも若くして呪文改良の研究を進める有望株だが、
傲岸不遜な所があった。
それでも、やがて魔法院水魔法部長となる事は約束されている、
能力の高い男だった。
彼もエレノーラと同様に魔法感受性が高い事から、
エレノーラの調査を担当する事になった。
挨拶もせずにいきなり魔法適正検査を始める彼にエレノーラは面食らったが、
領地騎士団にも癖の強い男は多かったので、
まあこんなものだろう、と流す事にした。
「水魔法以外に、風、土の属性があるな。」
「風は使ったことが無いと思います。」
「それなら、これから覚えてもらう事になるだろう。」
もう決まったんだ、と魔法院の強引さに辟易する。
別に魔法院が強引なのではなく、この男が強引なだけだったが。
「では、水魔法を覚えているだけ使ってみてくれ。」
「あまり上手でないのですが...」
ウォーターボールを捻りを加えずに射出する。
専門家に独自の工夫を見せる勇気がなかったのだ。
運良く壊れずに、山なりに飛んで行く。
ランディーは山なりには言及せずに、
呪文詠唱の間を気にした。
「どうした、呪文の詠唱が滑らかでなかったが?」
「水が崩れる事があるので、形を整えようとすると呪文に間が開くんです。」
ふうん、と顎に手を当てながらランディーが思案する。
「そこは気にしなくて良い。崩れて良いから滑らかに詠唱してくれ。」
整形の間をおかないと、射出時に崩れてしまった。
「もう一度やってくれ。」
ばじゃん、と前に崩れてぶち撒ける。
ウォーターシールドなど覚えている7つの初級魔法を次々唱えるが、
ドライの魔法以外は全部崩れた。
顔が上げられない...
ランディーが口にする。
「大したもんだな。」
そんな言い方しなくてもいいじゃない!
目も口もぎゅっと強く閉じてしまう。
でないと何かが溢れてしまう...
「そんな顔するな。素直に褒めているんだ。」
え、と顔を上げる。
「いいか、これが俺のウォーターボールだ。」
滑らかではっきりした発音で唱えられた呪文に従い、
ウォーターボールが勢いよく飛んでいく。
生徒のそれとは何かが違う...
「俺でも魔法行使力は通常の2倍と言われている、
それでもこんなもんだ。
ウォーターボールを唱えてみろ。」
言われるまま唱えてみる。ざばぁっとぶち撒ける。
「俺のウォーターボールとお前の水量、どっちが多いと思う?」
きょとん、としてしまう。
水量なんて比べてどうするのか。前に飛んでないのに。
「多分、俺の水量に比べてお前の水量は倍以上あるぞ?
つまり、お前の魔法行使力は通常の4倍以上という事だ。」
え?
「現在使われている呪文は行使力が低めな魔法師も戦力にする為に調整されている。
平均より少し行使力の弱い者の作る水球を射出するのに適した魔法となっているんだ。
それだとお前の様に通常よりずっと大きい水球を作る奴だと
水の保持や射出が適切にされない。相性が悪いという訳だ。」
え...
「呪文を書き換えて水量を減らす様にしてやる。
それを唱えてみろ。」
「あの、呪文って書き換えても良いんですか?」
「普通は駄目だ。場合によっては魔法師の限界を超えて魔法を絞り出し、
命に関わる事もある。
ただ、俺はこの呪文が当時どの様に作成されたかを把握している。
水量を減らすのは簡単だ。」
紙を取り出しさらさらと書いていくランディー。
そら、と渡された紙に従い呪文を唱える。
ただ唱えるだけで、水球が出来、射出される。
あれ、この感じ、最初に教えられた呪文と感じが似てる...
「そういう事だ。水量さえ調節すれば問題ない。」
ウォーターシールドも一部書き換えられた呪文を渡される。
唱えると綺麗な円形の水のシールドが出来る。
そう、最初に教えられた呪文だとこういう風に問題なく形になっていたんだ。
「あの、魔法の呪文って今教えられる呪文以外を使っても問題ないでしょうか?」
「魔法師として実用上は問題ない。
学院は文句を言うだろうが、要は魔法師としてそいつが使える奴かどうかが
問題なんだからな。」
えええ、じゃ、最初に覚えた古い呪文を学院側に申し入れて使ってれば
問題なかったんじゃない...
腰から力が抜けて、膝に手を付かないと立っていられなくなる...
正解は自分の中に既にあったんだ。
何で新しい呪文に拘ったのか...
決まってる。見栄だ。
私を2組にした教師達を見返す為、
私を駄目魔法師と馬鹿にする下位貴族達を見返す為、
魔法を使える様になる、と言うのが目的じゃなく、
今の呪文を使える様になる、と言うのが目的になってしまったんだ。
歯を噛みしめる。
目をぎゅっと強く閉じる。
でないと...
駄目、顔を上げないと!
頑張って起き上がる。
「続けるぞ。」
何もなかった様に続きを促すランディー。
書き換えた呪文を渡してくる。
ありがとう。見なかった事にしてくれて。
呪文を唱える声が裏返ってしまうけど、それは許して。
水量が小さくなる様に書き換えられた呪文なら、
ドライを除く初級魔法の6つは全く問題なく発動した。
今の私、絶対に青褪めてる。
この6ヶ月、私を苦しめたのは私の見栄だというのが証明されている。
とてもじゃないが耐えられない...
「それじゃあ、学院で習う普通の呪文を唱えてみろ。
今、正しい発動を一通り把握したから、
それと同様にやってみれば良い。」
え、でもそれだとぶち撒けちゃうんじゃ...
「いいからやってみろ。
さっき小水量でできた感覚でやってみれば良い。」
ウォーターボールを唱えてみる。
水量が確かに全然多い!
でもさっきと同じ様に、でも水量が多い分だけふんわりと扱ってみる...
今までにない位にまっすぐ飛んでいく。
「まあまあだな。もう少し最初の加速を勢い良くしても大丈夫だ。」
言葉に従いやってみると、
確かにもっとスピードを上げても崩れなかった。
このやり方は良さそうだった。
つまり、水量を減らす呪文で感覚を掴み、
次に通常の呪文で水量の多さを加味して発動させる。
6つの通常の呪文が問題なく発動する。
...こういう風に、
それぞれに適した指導をしてもらえるのが家庭教師制の良い所だろう。
でも、それじゃあ学院の存在意義って何?
イラッとした。
「じゃあ、使えるという中級魔法と上級魔法を見せてくれ。」
と、棒術で使う棒を渡される。
短槍で使ってたんですけど?
まあいいか。
棒を構え、呪文を唱え、水を纏わせ、回転させる。
そして射出する。
「これで風魔法に慣れたんだな。」
はい?
「水を回転させれば当然遠心力で水が逃げてしまう。
錐揉み状に風を回して水を巻き込む事で勢いよく前方に射出しているんだ。
よく考えたな。」
今度こそ足から力が抜けてへたり込んでしまう。
水を回せば当然ぶちまけてしまう。
風に巻き込ませているから逃げないんだ。
たまたまそういう風に出来たのを理解せずに一々回そうとするから上手くいかない。
見栄で苦労し、
上手くいった理由も分からずに何度も同じ事を繰り返して失敗する。
何て馬鹿なんだ私は...
努力していたつもりだったのに、
考えなしに時間を浪費していただけなんだ...
顔が上げられない...
瞳に溜まったものが流れかけた頃、
「そろそろいいか?」
はっと顔を上げかけ、瞳を袖で拭う。
立ち上がろうとするが足に力が入らないので立てない。
ランディーがこちらを見ている。
「大方失敗したとか後悔しているんだろうが、
後悔する必要はない。
お前が失敗したと思っている事は、経験した事なんだ。
経験は血と成り肉と成り、必ず今後のお前の力となる。
それは有用な努力なんだ。
努力を厭うな。努力を恥じるな。
その経験はお前の力なんだ。」
...ありがとうございます。励ましてくれてるんですね。
「俺たちの様な人とは違う力を与えられた者は、
人の進んだ事のない道を切り開く義務がある。
俺たちの進む道は、
九十九の行き止まりと一つの迷路と思え。
これからもお前は行き詰まるだろう。
だが、それを気にする必要はない。
要は同じ失敗を繰り返さなければ良いんだ。」
最後に止めを頂きました。ありがとうございます。
大剣で両断された気分だよ。
次は月曜に来ることになった。
スタンリー家のタウンハウスで夕飯を食べてから寮に帰ったが、
何を食べたか、何を話したか全く記憶がなかった。
エレノーラが魔法院を辞した直後に遡ると、
魔法院水魔法部の室内でランディーが同僚に詰問されていた。
「ねえ、あなた何で学生を虐めてるの?」
「は、虐めてなんていないぞ。
実力調査をしていただけだ。」
「見てた人がいるのよ?
無理やり大量の水を出させて、その娘泣きそうになってたって。」
「無理やりじゃない、普通に今の呪文を唱えるとそうなるんだ。」
「そんなのある訳ないでしょ!普通に呪文を唱えたら、普通の水量しか出ないでしょ!」
「それがあるんだ。途中で魔法が失敗する量が出る。なんでだと思う?」
「水量が出ないで失敗するなら兎も角、量が出て失敗するって聞いたことないよ?」
「だから、そういう事だ。
二十数年前に呪文が改良されてから、
魔法行使力が高くて失敗する者はいなかった。
つまり、二十年に一人の優れた魔法師って事だな。」
「えぇ、本当に?」
「本当だ。
こんな優れた者を育てられなかったら、教育者失格だよな。」
意地悪く笑うこの男が考えているのは、
自分なら育てられる、ではなく、
育てられない学院教師が無能だという事だろう。
性格悪い、と思うが、
魔法院に就職した人間は須く魔法学院教師より優れた者である。
皆、魔法学院の教師の無能かつ無能を認めない恥知らず振りに振り回されてきた人間達だ。
今日、ランディーが調査した生徒は伯爵令嬢なのに2組に入れられたと聞く。
改めて魔法学院の人員の無能さを思い知らされる事態だった。
自分一人じゃどうにもならない事ってあるよね、
という話です。
尤も、人が集まると必ずしも善意だけで動く人ばかりじゃない、
って話でもあるかな?