1−28 下級魔獣討伐演習(5)
黒狼の小集団を殲滅し、前進を続けるが、
次の大物がそろそろ現れる頃だった。
「大熊だ...」
中級魔獣では強力で凶暴な範疇になる。
剛毛には強い防御力があり、魔法を霧散させる。
尤も、王子がいる森で火魔法など使えない。
その王子アーサーが火属性で学院屈指の魔力と言われているが、
彼自身が火に巻かれる危険を犯せない為、
アーサーに魔法攻撃による参加を要請する事はなかった。
一方、水に入れる熊が水魔法を恐れるとも思えない。
「エレノーラ、地面を掘ってくれ。」
「熊は水を恐れませんが...」
「とりあえず足止めと、頭が低くならないとダメージが与えられないんだ。」
強靭な防御力を誇る胴体部分をたった6人でいくら攻めても倒せない。
頭部を集中的に攻撃して短期決戦としたいのだ。
まだ距離がある内に道を横一線に掘る。
もちろん、深さにばらつきはあるが。
そしてこちら側、つまり騎士の足場だけドライで乾かす。
「まず我々で抑え、ダメージを与える。
機を見て指示するから、その時はエレノーラの水魔法で攻撃してくれ。」
「分かりました。」
穴に落ちた熊が這い上がる前足を攻撃して登れない様にし、
残りの騎士で頭部を攻撃する作戦だった。
「ロジャーとリッキーは向かって左の前足を、
サミーとマシューは向かって右の前足を斬れ!」
「はいっ!」
ニールの指示の下、5人は穴の手前で待ち構える。
4本足で歩いてきた大熊が穴の向こうで威嚇の鳴き声を上げる。
凶暴な目つきで唾液を垂らしながら。
塹壕の様に横に掘られた穴を滑り降り、
登ろうとする前足を作戦通り斬り付ける。
切れている訳では無いが、打撃として痛みを感じるらしく、
首を左右に振り怒りを見せつける。
まず前足2本をある程度傷つけて穴を登ろうとする力を奪う必要があり、
しばらく足への攻撃を続けないといけない。
やがて登るよりも顔を突き出して攻撃しようとし出す。
その目、口を攻撃する。
胴体は防御力が高くても、
知覚器官のある頭部は弱点が露出しているのだ。
「ぐわぁっ!」
怒鳴り声を上げる大熊に、待機しているエレノーラも力が入る。
何度目かの攻撃で両目を潰し、口からも血が流れ出した大熊を見て、
ニールも勝負所と悟る。
「エレノーラ、やってくれ!」
「はい!」
短槍に水を纏わせ、大熊の口に射出する。
「がぼっ」
顔面に当たった水しぶきが舞う中、
ゲホゲホと水を吐き出し暴れる大熊をニール達5人の短槍の突きで動きを制限する。
「もう一度だ!」
「はいっ!」
更に水を射出する。
首を後ろに振られながら、がぼっと音を立てて口に入り込んだ水を吐き出し、
大熊は苦しそうにしているがまだまだ暴れる元気がある。
「もう一度!」
「はいっ!」
更に水を射出するが、大熊は倒れそうにない。
騎士達も大熊に跳ね返った水やその吐き出す水でずぶ濡れになりながら
攻撃をするが、こちらも有効な攻撃となっていない。
きりがない...
騎士達の槍攻撃では剛毛の下に届かず、
この水の射出でも致命傷にならないのだ。
所詮は小型の魔獣を跳ね返して時間を稼ぐ為に磨いた魔法だからだ。
アイスランスが打てれば決められるのに...
アイスランス?
打ち出せなくても凍らせれば...
アイスランスを詠唱し、凍る前の水流を熊の開いた口に流れ込ませる。
口から溢れつつも喉から体内に流れ込む水はまだエレノーラの制御下だった。
これを下から凍らせる...
喉から凍り、溜まった水を更に凍らせる。
体内組織の水も影響を受けて凍り始める。
魔法の伝達なら魔獣本体の魔力の影響を受けて反発されるが、
物理現象の温度低下は防げなかった。
凍って生命活動を止めた細胞中の水はエレノーラの制御下に入る。
水の少ない骨を避けて水を含む細胞をどんどん凍らせていく。
鼻、目玉、そして、脳細胞を凍らせていく。
そうして脳付近の魔法機関が止まれば魔法抵抗力を失った体内も凍らせられる。
喉から下、肺と心臓まで凍らせる。
体内循環器官を止めてしまえば他の細胞も死滅する筈だ。
大熊は頭部に氷を纏わせながら力なく穴をずり落ちていく。
「殺ったか...」
「多分。脳を凍らせましたから。」
騎士達もエレノーラもその場に座り込んでしまう。
本来8人以上で対峙すべき大熊のプレッシャーに全員参っていたのだ。
「万一、凍結が解けた後に気がついたら面倒だ、
この横穴を渡ってから休憩しよう。」
エレノーラが通り道を乾燥させて、穴を皆通過していく。
先に向かい側に渡った騎士が一人一人の手を取って上から引き上げてくれる。
ギルバートも野戦築城で土魔法師が溝を掘って敵兵の通過を阻害する事は知っていたが、
空堀の効果は疑問に思っていた。
ところが、なるほど隊長の指示は正しく、熊は障害を登る地点で迎撃され倒された。
しゃれになんねぇな、と戦場で空堀を登る時は決死の覚悟が必要と悟った。
それにしても、水魔法師のエレノーラが攻撃魔法を使って一人で穴を掘るのも凄いな、
と思いながら穴をよじ登った。
30ftも離れた所で休憩する。
へたりこむエレノーラを心配してアーサーが声をかける。
「大丈夫か...」
何もできない自分が声をかけるのも気が引けて、それ以上は言葉にできない。
対してエレノーラは
「情けないっ!
熊如きを恐れて力んで疲労するなんてっ!
覚悟は出来てたつもりだったのにっ!」
と声を出した。
同じく騎士を目指すギルバートは
(全くだ。一々魔獣を怖がってたら体が動かないで味方の足を引っ張る。
オレもしっかりしないとな)
と思ったが、他の生徒達はそうではなかった。
(いや、熊は怖くて正常だろう)
(熊が怖くなくなったら人間じゃねえよ)
(熊が怖くなかったら危機感なさすぎじゃない?)
騎士達は若いな、と微笑ましく思っていた。
自分達とて怖いは怖いが、それなりに動ける様に訓練を続けているのだ。
但し、エレノーラの本音は違った。
背中で守る人々を不安にさせたくなかったのだ。
(臭っ、あの熊の息ったら臭過ぎ!
唾も臭いし!
あんな距離まで近づくの絶対イヤ!
帰ったら遠距離攻撃のアイスランスを絶対練習してやる!
やっぱりアイスランスの練習だけしとけばよかった!)
...そもそもアイスランスはウォーターボールが出来ないと無理と思い知っている筈なのに、
そこに気が付かないエレノーラはやはり逆上していたのだ。
感情のままに逆上するのではなく、
敵を恐れる気持ちを上書きする為に、
精神が勝手に攻撃方向を変えているのだろう。
熊というのは神話などに出てくる割には、
オウルベアくらいしか特別な名前がある熊系モンスターはいない様です。
それっぽい名前がみつからなかった。