序 クレハ 〜 訓練
朝食を食べた後、最近まで使っていたという村の跡地へジーナが跳んだ。
肌にピリピリとする微かな感覚がある。
「ついこの間まで……、ああ越してもう15年か、皆でここに寝起きしておったのじゃが、ワシはともかく皆の寿命を縮めておると教えられての」
「このピリピリは何ですか?」
「ホーシャセンとかいうておったの。ワシの力の源じゃ。それが分かるということは、クレハ、お前に素質があるということじゃ」
「素質って?」
「ワシが他の者と違うのは知っておろう?転移し重い荷を持ち上げる。
昨日古い書類を見ておって気が付いた。ワシは今年で247になるらしい。最初の年齢が少し曖昧でな、正確かは分からなんだが。それができるやも知れぬということよ」
そうなの?ピリピリだけでそんなことができるかわかるんだ?
「あー。あたしも12歳ってことになってるけど本当かは、分かんないね」
「ふふ。まあそういうことじゃで。ここから少し歩くぞえ。鉱山を見せるでな、付いて参れ」
谷沿いの獣道に入った途端にピリピリが強くなった。チクチクと無数の針を刺されるようだったが、不思議と痛みはすぐに薄れて行った。
獣道は洞穴の入り口へ繋がっていた。ピリピリが再び強くなったがそれもすぐに収まった。入り口には松明が何本もあったが、ジーナは村で見慣れた灯りを出して点ける。あたしにも一つ出してくれた。
奥へ30メルほど入ると青い点がそこらじゅうに淡い光を発し出した。突き当たりの壁は一面が光っていた。ピリピリした感じはもう無かったけど、これが力の元らしい。けど狭いせいかここは少し蒸し暑い。
「ふう。ひさびさに歩いたわい。もう馴染んだのか。ミットさん並みじゃの。ワシの時は半日かかったのじゃ。代々そのくらいかかるものと教えられたんじゃが」
ジーナは額の汗を拭うと上を見上げた。
眩しい!強烈な光の中に転移した?
「目が慣れるまで動くでないぞ。転げると厄介じゃで」
どうも山のてっぺんのようだ。足元には踏まれていじけたような草、まわりどころかこの山全体がそんな感じだ。谷底に川が見える。川向こうにまばらに木が生え隣の山には生い茂って森になっている。
下流を見ると小さな部落の家並みが何軒か見える。その先は森。木々の列に少し隙間がある。その梢越しに海が見えた。
「下に見えるのが古い村落よ。あの森の外れ、海の辺りが今のサイナスじゃ。これから村跡へ跳ぶぞ?」
あたしが頷いた途端、建物の前にいた。
「あれが今いた禿山じゃ。見えるか?あそこへ跳んで見せよ」
え。あたしに跳べっていうの?どうやって?
「あの、もう一度やってみてもらっていいかな?」
「ふむ、しょうがないやつじゃ。よく見ておれ」
ジーナから目を離さずに見ていると、何かごく薄い青白いモヤのようなものがあたしを巻き込んで渦巻いた。次の瞬間さっきの山の上。
あんなものどうやったらいいの?あそこがさっきの場所よね?あそこへ跳びたいってことで……なんか周囲に靄が……?
あたしはジーナと建物の前にいた。
「ほう。やはり一度でものにしたか。山へ戻るぞ」
あたしは山を見上げた。あそこだね。
「うむ、次は目を瞑って跳ぶのじゃ」
あたしはやってみた。ちゃんと思った場所に着いた。
「ふむ、次はワシの居室じゃ」
ジーナの居室はもう何度も入って掃除もさせられた。細かいところまでよく覚えている。
すると見慣れた部屋が目の前にあった。
「よしよし。次は空中散歩と行こうかの。あの子供、トリセーヌと言ったか、顔を見に行こう。ワシを見ておれ」
ゴウと風の音、眼下に海岸線があり、太い道が海沿いにあった。
「おお、だいぶ先へ進んでおるの」
ジーナの指差す先に小さくトラクが見えた。
「あの上に跳ぶんじゃ」
あたしは見当をつけてその上に跳んでみた。できるもんだね。ちゃんと見えるとこに出たよ。
「ふむ、嬢ちゃんの顔を見に行こうかの。ほれ降りんか」
へいへい。あたしも顔は見たいね。元気にしてるかなー?
トラクの左へパッと跳ぶ。出たとこは地面の20セロ上だった。あたしはコケそうになったがジーナはふわりと地面に立つ。
「ふふん。今日一日は近所を跳び回ってもらったほうが良さそうじゃ」
うわ。言われたよ、悔しいー。
一頻り休憩も兼ねてトリセーヌちゃんと遊んだ後は、また転移の訓練だった。ジーナに連れられていくつかの街の上空へ跳んで戻るを繰り返す。
不思議なことに一度跳んだ街へは、場所なんて分からないのに印象がはっきりしていればまた跳ぶことができた。5つの町を覚えて自分で行けるようになったところで、今日の締めくくりとジーナが言って、銀色の丸い空間に出た。景色は変わらないのにどこかへずーっと落ちていくような感覚がある。
「ここはセーシキドーと言う場所じゃ。この窓から見てみるがええ」
手を引かれ窓に貼り付くと、真っ黒を背景にしてほんの4、5メル先に1メルくらいの丸い円盤が浮いていた。白い筋や渦巻き、濃い青、茶色に疎らな緑色。真っ黒と思った背景に小さな点がいくつも光っている。なんだか体が軽いせいか疲れが抜けていく。
「ジーナ、すごくきれいだけど、あれは何?」
「あれは世界よ。ついさっきまで跳び回っていた距離など、ここから見れば小指の先ほどでしかない」
どう言うこと?跳び回っていたのは見えないくらい遠くだったのに?
「あそこに村があるってこと?」
「そうじゃ。真ん中の左寄り、小さい青い丸が見えるか?あれが村のある西の内海じゃ」
青い丸は本当に小さい。あの広い海があんなに小さくなるはずがない。
「ふふ、ここは村の遥か上空。先程までは高いと言ってもせいぜい500メル、ここは3万6千ケラルとシロルさんが言っておったの。それ程の高さよ。外では息ができんのでの、気をつけることじゃ」
「息ができない?死んじゃうの?」
「じゃからの、周りの風を囲って持って行くのよ。どれ、やって見せようぞ」
周りにグルっとあった丸い銀の壁が無くなった。一面の真っ黒に小さな無数の光。そこにポコッと浮ぶ青と白の円盤。反対側には大きな銀色の球が浮いている。
「ワシの力で3メルほどの風を囲っておる。息をするのは問題ないぞえ」
そう言われて自分が息を詰めていたことに気づいた。
「まだ一人であれの外には出られぬぞ。覚えておけ。どうじゃ?我らが世界は、きれいじゃろ。もそっと近く寄ってみようか」
さっき見た銀の球よりもはるかに世界が大きくなった。
西の内海が両の掌を合わせたよりも大きく見える。
「ふむ。ここからではまだ村は分からんの。海の縁に銀色の線が見えるかの?あれが今なおしてもらっておる道路じゃ」
あたしは首を振った。
「銀色の線はほかにも何本か見えとるんじゃが分かるかの?ハイエデンから繋がる道路網じゃぞ。ふむ、これはちと早かったかの」
世界はさらに大きくなった。指差す先にはさっきジーナが言っていた銀色の線に青い海が食い込んで、掠れた網のように広がっている場所がある。
「あそこがハイエデンじゃ。覚えておくがええ」
あたしは世界の大きさに、ただ呆然と見とれていた。
パッと銀色の球の中に景色が変わる。あたしは窓の一つに丸い円盤を見つけて風を手繰って近づこうと足掻いた。
「窓まで跳ぶんじゃ。ここには重さもないが手がかりもないでな。しばらくここで休憩して帰るぞえ」
あたしは広い球の中をあちこちと跳び回った。窓に蓋がしてあるのを見つけて捲って見ると、ものすごく眩しかった。ジーナが何も言わない時は油断できないね。