5 ネロデールス エイセル 木工工房
「エイセル。あんたはあたしの工房にはもう置けないわ!
デリクラッドさんの工房に話してあるから明日からそちらへ通いなさい!」
姉さん達にしこたま怒られたあげく、見習いに入った木工工房。そこの親方は厳しい人だった。
僕はひたすら道具磨き。刃の研ぎ方をここ1月半、みっちり仕込まれた。
最初は幾つもダメにしてしまったけど、この頃は及第点をもらえるようになった。
自分で研いだ刻刀で無垢の丸太材から削り出すのは、デリクラッド親方から与えられた基本の木彫り。練習用であって、売りに出せるようなものではないが、表情のない人の姿で、上段蹴りを放つ身の丈30セロの騎士の人形だ。
人の姿というのは見る者にとり見慣れているせいもあって、僅かな違いもひどく目に付くのだ。
どこから見ても、躍動感のある人体の動きと見えるように仕上げなくてはならない。
木目も露わな親方の見本は特別に1体だけ作ってくれたもので、店に出せばいい値段が付くだろう。彩色もしていないものは売れないし、売るつもりもないと言われたが、僕にはどこが不足なのか判らない。
蹴り足とは逆側に振られた長剣は薄く、柾目が剣に沿って見えているから、ここはうまく合わせないと折れてしまうんだろう。
そのため軸足や畳まれた左腕に持つ盾は木目に沿っておらず、湾曲した面で持たせているようだ。しかし腕自体にも木目が横断していてこの複雑な形を折ったりしないよう慎重に彫らないといけない。
親方の彫った騎士は表情こそ彫られていないが、その覚悟のような気迫が迫ってくるようだ。
こんな彫り物が僕にできるんだろうか。
大まかな形は鋸で切り出した。
朝から細かいポーズを付けるため削りに入る。
「削りで大事なのは木目の見極めだ。ここで木取りを見てポーズを修正する。
この軸足を見てみろ。膝辺りに節があるだろう?
節は硬い上に思わぬ方向に割れるから、鋸を入れる前に確認しておかなければならん。こうなってしまっては、軸足の膝を曲げて節を避けるより無いようだな。全体の姿勢に影響が出るがうまく纏めてみろ」
鋸入れの時点でもう木取りを考えなきゃいけないのか。膝を曲げて節を躱すと言われたけど、ただ曲げても躱すところまで行かないなあ。どうすればいいんだ。
「軸足に節が出たんだってな」
削り途中の台木を睨んでいると、同じデリクラッド親方の兄弟子、グラドが声を掛けて来た。
「ああ、これはまたいいところに出たなあ。木取りで気が付かなかったのか?」
「親方に言われるまで気が付かなかったです」
「そうか。上段蹴りのポーズだが、これを躱すとなると軽い跳躍からのってところか」
それだけ言うとグラドは背を向けて作業場へ入っていった。
軽い跳躍ってどんな姿勢になるんだ?
その夜は飛んでからの蹴り技を自分で何度もやってみた。武術など、やったことは愚か見たこともないエイセルだ。身体こそ人並み以上に柔らかいが、動きの中でバランスを取るほどの身体能力は無かった。
何度も着地に失敗し、遂に足首を裏返しにして頭から地面に叩きつけられてしまった。
翌朝、兄弟子のグラドが見つけるまで、エイセルはそのまま裏庭に伸びていた。
「おい。エイセル。起きろ。
お前、なんでこんなところで寝てるんだ?」
「あ。グラドさん。
え?ここって外ですよね」
「ああ、工房の裏庭だ」
「あれ?何だっけ。足首と頭が痛い……
あ。そうだ!軽く跳んでからの前蹴りっていうのが判らなくて何度も自分でやってみて……
それからどうしたっけ……」
「なんだ、そんなことしてたのか。
おい、頭、こぶになってるぞ。足はどっちだ?
うわ、腫れてるじゃないか。
親方には言っとくから両方とも冷やしてベッドで寝てろ!」
グラドに引き摺られるようにベッドへ運ばれ、井戸水を汲んだ桶と手拭い、朝食まで運んでくれた。
「親方には言っといたから、たまに手拭いを取り替えてよく冷やすんだぞ」
2ハワーもそうしていると頭のこぶはまだ少し痛いがなんとか引っ込んだ。
おかみさんが食器を下げにきて傷めた左足首を見てくれた。
「あらあら。これはちょっと酷いわねえ。骨継ぎのニールセンさんを呼んであげるわ。じっとしてるのよ?」
「こんなことになって済みません。面倒をおかけします」
「良いわよ。まだ先は長いみたいだけど、頑張るのよ」
そのあと往診してくれたニールセンさんは、骨の合わせが少しずれていると言って僕の膝に跨り、痛い足首を両手で左右に捻った挙句、土踏まずに膝を当てて足裏を思い切り曲げた。
僕はその間中両手で頭を抱え、歯を食いしばってうめき声を漏らした。
痛いと予告はされていたけど、あんなのってないだろ!
でも午後にはすっかり腫れも引いて嘘のように痛みも軽くなった。明日一日は左足を付いてはいけないと言われたので、その日は退屈を我慢してベッドにいた。
「どうだ、エイセル。今日一日じっとしていられそうか?」
「グラドさん。昨日の荒療治の後痛みはすっかり良くなりましたですが、そうなると退屈で……」
「ははははは!そうだろう。俺も足は一回やってあの先生の世話になったからなあ。そうか」
そう言ってグラドさんが出て行った。
朝食を持って戻ってきたグラドさんが続いて椅子を一つ運んで来る。次は大きな板。続いて僕の木彫りの材料と道具を持って来た。
「ほらこっちに座れ」
僕が肩をかりて椅子に移動した。
グラドさんはベッドの上にもう一枚シーツを広げると、大きな板を置く。
さらに作りかけの木彫りと彫刻道具。
僕の左足をもう一つの椅子に載せるように言うと
「お前は身体が柔らかいからな。この体勢でも作業出来るだろ」
やってみると板の上はそのまま身を屈めるとほとんど手が届く。逆側もやってみろと言うので、やってみるがこちらも問題なさそうだ。
「グラドさん!ありがとう!」
「親方に見つかると庇いきれんから静かにやるんだぞ」
グラドさんはすぐに目を逸らし部屋を出て行った。ドアはしっかり閉めて。
さて、改めて作りかけの木彫りを見る。やっぱり少し歪んでるなあ。
でもこんなだったか?
頬をつっと流れるものがあった。
なんだ?
腿の上に落ちた感触に下を見ると更にポタポタと続く水滴。
僕、泣いてたのか?
姉さんたちは優しいけど、他人にこんな優しくしてもらった事なんてなかった。
思えば僕はいつも訳知りに振る舞ってたけど、こんな風に自分の手を掛けてやってみたわけじゃない。他人が作る手先を見てわかったつもり。
いざ知ってるつもりの木彫りでさえ、やってみたらこんなザマだもの。
拭っても拭っても落ちる涙は苦い味がした。
それでも涙って涸れるんだな。
僕は作りかけをじっと見ている。削ってしまった部分は戻らない。
この足では新たな材料は取りに行けないし、これでやれと言われているのだ。手間をかけ乾燥された材料だ、無駄にはできない。
一昨日の飛び蹴りの動きを反芻する。
地を蹴って足を振り上げ、蹴った軸足はその時少し畳まれるように曲げられて……
何度も繰り返し再生する内にそれらしい形が見えて来る。曲げた膝の向きは?
右手には重い剣を持ったままだから、こう引っ張られるんじゃ…?
でもそれをそのまんま表現したら、あまり綺麗に見えないんじゃ……
ともかくも僕の木彫りは少しずつ前に進み始めた。
昼にグラドさんが昼食を持ってやって来た。
「どうだ?」
「ええ、まあ」
グラドさんは僕の手元をしばらくじっと見ていた。何を言われるのかとビクビクしていたら、板の上をざっと寄せてトレイを置き、代わりに朝食の器を持って出て行った。
あれはなんだったんだろう?
昼飯はなんだか味気なかった。
ともかくも食べ終わったトレイを床に置き、作業再開だ。大まかな姿勢は削り終わってるからもう修正の余地なんかないんだ。良いも悪いも細かい彫りを加えて仕上げて行くしかない。
それでも服の皺、防具な重なりひとつとっても影のつき方が変わる。
それらしく見えると言うだけではないんじゃないか?
親方の見本が見たくなった。どうしよう?
足は突くなと言われている。
でもあの見本にはもっと何かあったはずだ。でなけりゃ、あんな躍動感は出ていないはずだ。
うーん。どうしよう?
しばらくどうにも決められず悶々としていると、ドアが開いた。
「よう。どうだ?」
「わあ!良いところに来てくれた!
グラドさん!親方の見本が見たい!」
思わず僕は捲し立ててしまった。
これは失敗した!兄弟子になんて口の利き方をしてしまったんだ….
ところが返って来たのは…
「おう。そうか!すぐ持って来てやる!」
何故かグラドさんが一瞬で走り去った。
直後、親方の怒鳴り声は家中に響き渡った。しばらくガミガミと親方の声が聞こえた。
走ったので家中に振動が伝わったからね。
肩を落とした兄弟子が僕の見本を持ってやって来た。
苦笑いを浮かべ
「へへ、やっちまった」
そう言ってニカッと笑うグラドさんに苦笑いで返しながら、僕の目は兄弟子の手にある見本に釘付けだ。
「おお。すまんすまん。ほら」
僕にそっと手渡すとお昼のトレイを持った。いつのまにか静かに出て行ったようだった。