6 エイセル〜クレハとの邂逅1
あの日、雑貨屋で声を掛けたクレハという少女。トモル姉さんの作る木彫り人形に見入る姿に、僕の胸が屋根まで届きそうなくらい跳ねた。
茶の髪、日焼けした肌、この辺りでは見ないオレンジ色の入った上着、飾り気のない藍のズボンに編み上げ靴。
でもなんでか僕の目を惹きつけてやまない。
ピッタリしたズボンのお尻から腿の丸みラインに目が吸い寄せられた。胸はこの手にスッポリと収まりそうだ。
こんな目で見てしまっては失礼だと思うけれど目が離せない。
僕は首を一つブルッと振って近づいた。
「その子、可愛いでしょ。ぼくの姉さんが作ったんだよ」
思わず声を掛けちゃった。振り向いた顔がすごく輝いて見えて、自然と笑みが溢れる。
握手してくれるかな?
ところが彼女はチラッと僕が差し出した手を見ただけで別の商品を手に取った。
「そっちは大したものじゃないよ。こっちをご覧よ。ほら、このリボンなんかとても可愛いと思うんだ」
「あんた、なんなの?あたしの邪魔をしたいわけ?」
「そうじゃないよ。いいものを見て欲しいと思ってさ」
そう答えたんだけど少女はそのまま店を出てしまった。
なにが不味かったんだろう?
話したかっただけなのに。
見かけない子だから、ここでこのままにしたらもう会えないかも?
追いかけると果物の露店にいた。
「あ、こんなとこにいた。君、女の子の独り歩きは危ないよ?」
怪訝な顔をされたが、危ないってことは伝えたよ。
「僕はエイセルって言うんだ」
「クレハよ。さっきからなんなの?あんたみたいのが寄ってくるから危ないんでしょ。もう構わないでちょうだい」
「そうはいかないよ。ここらは本当に危ないんだ」
そう教えたのにクレハは一人で先へ行った。行ってしまう。
「ちょ、ちょっと。そっちはダメだよ」
ズンズン足速に歩かれて、その言葉にも反応してはくれなかった。でも心配で付かず離れずで付いて行った。
急にクレハが振り返り
「どこまでついて来る気?迷惑なんだけど!」
静かに後ろを追ったつもりだったのに!
「わ、分かったよ。でも本当に危ないんだ」
警告はしたんだ。もうこれでしょうがない。
僕はトモル姉さんの工房へトボトボと戻ったんだ。
いくらもしないうちにネルカ姉さんが工房に寄った。店を早上がりさせてもらったそうで、行きたい店があると言う。この頃は治安が悪いので女2人だけでは行かせられない。
付いて行ったけど、案の定目的の店の手前で絡まれた。
僕らは路地寄りの奥まった場所へ追い込まれた。
白シャツに赤エリ、黒尽くめ。ちょっとない組み合わせの3人組だ。姉さんの店を出禁にされた様で逆恨みだろうか。
姉さんが必死で言い合いをしている。
前へ出ようとしたら横合いから首元を掴まれ、暗がりに投げ込まれてしまった。なんて力が強いんだ。
路地の硬い地面に顎を打ち付ける。
起きあがろうともがいていると、腹に強烈な蹴りが飛んできた。
くっ!猛烈に苦しい!
体を丸め耐えていると今度は顔前に重い靴が迫り突き刺さる。目に火花が飛び散った。
……誰かが僕の名前を呼ぶ……両肩を支えられて街路を歩いて……枕元でネルカ姉さんが泣いてる……
眩しい陽の光に起こされた。そこらじゅうが痛むなか、僕は片目をやっと開けた。
見慣れた景色にここは家で僕のベッドの上とすぐに分かった。
窓の鎧戸が半ば開いてるらしくカーテンが風に揺れる。生地が薄いので晴れた日はこんなふうに朝日が眩しいんだ。
部屋の方に顔を向けるとトモル姉さんがベッドに凭れて眠っていた。
「姉…さん?」
声を出すと昨日のことが思い出された。あれからどうなったんだろう。
最後に見たのが靴の先っぽってことは、僕はなんの役にも立たず伸されてしまったのか?
僕はトモル姉さんが起きるまで、不安と痛みを抱えて歪む天井を見上げていたんだ。
「クレハって娘がね、助けてくれたんだ。
すごかったよ?あっという間にあのドラどもを伸しちゃったんだから」
そう姉さんは詳しく教えてくれたけど、とても信じられない。
駆けつけたと言う兵士と取り違えたんじゃないだろうか?
でも割って入ってくれたおかげで姉さんたちは無事だったと言うんだ。今度会えたらよくお礼を言っておかないと。
これは運命だよ!
・ ・ ・
あれから10日が経った。だと言うのにあのクレハとは会えて居ない。もう街には居ないんだろうか。
あれからと言うもの、夜な夜なクレハの顔が、肢体が瞼に浮かび姉さんたちに聞こえないように自分を慰めた。
出会ったあの時間になるるとそわそわと街を歩く。
その挙句に酒場で寂しさを紛らわす日々が続いている。僕の手伝いの給金代わりだと姉さんたちがくれる小遣い銭は、ほとんどが飲み代に消える。
こんなんじゃいけないのは分かってるんだ。でもどうしようもないんだ。
今日も1日、なんとなく過ぎて行くんだろう。半ば諦めの気持ちで姉さんの工房へやって来た。
姉さんが商品を卸している店に用があるとかで出て、しばらくして戻って来た。
「エイセル!クレハちゃんにそこで会ったよ!」
僕は作業台から椅子をひっくり返し立ち上がった。
街に戻ったのか!場所を聞いて僕は工房を飛び出した。
行きそうな当たりを付けて路地を縫って走る。通りへ出て左右を見回す。
そこにあの時と同じ姿のクレハがいた!
「やっぱり!クレハ!助けてくれたんだって?姉さんたちに聞いたよ!」
クレハは僕を見るなり額に手を当てて上を向いた。
そして返って来たのは
「だからどうっだって言うのよ。気安くしないで頂戴!」
と言う予想もしない言葉だった。
「クレハさま。そのように邪険にするものではありません。礼には礼を持って返すものです」
そんな言葉に初めてクレハの他にも4人いたことに気がつく。今喋ったのは青い丈夫そうな生地の上下に身を固めた銀の頭。その初めてみる姿にギョッとした。
どう見ても人間では無いが、少し前から街長のところに出入りしていると言う噂は何度も聞いている。
他の人もなんだか……
「礼って何よ?コイツだって分かってたら、あたしは助けなかったよ?」
飛び込んできたクレハの言葉に息が詰まる。
「そんな!僕はお礼がしたくて……」
「うるさいわよ。どこまでしつっこいの?
あっちへ行きな!」
僕は必死で弁解を試みた。
「そんなこと言わないで。姉さんの勤めてる食堂が近くにあるんだ。是非お礼を…」
目の前でクレハが呆れ顔に変わる。僕は先を続けることができなかった。
「ね、シルバ。コイツ、人の話なんか聞かないであたしに纏わりつくんだよ?
あたしはこんな失礼なのご免だわ」
シルバと呼ばれた銀の男が眉を下げた。
「そこまでクレハさまがおっしゃる……」
耳がワンワンと鳴って、世界の色が全て消えた。
どのくらい経ったか周りがすっかり薄暗くなっている。
通りに面した壁に寄りかかって、膝を抱え座り込んでいた自分に気がついた。
僕はふらふらと立ち上がり、この頃入り浸っている酒場へ向かった。
酒場ではいつもの隅の席は空いて居なくて、カウンターの端に案内された。ケール酒の入ったグラスを俯いたまま舐めるように呑んでいるけど、気分は最悪だ。
あんなことを言われるなんて。
あれはきっと誤解だ。なんとか解かないと。
そうやって沈み込んでいると髪を刈り込んだ男が寄って来た。袖に赤い縞模様の入っていて、この辺りの者では無い。
こんな出会いも酒場の楽しみだけど、僕はそんな気分じゃ無い。
「どうしたよ、兄ちゃん。さてはフラれたか?
ケール飲んでるのか?俺はダンズってんだ。一杯奢るから吐き出しちまえよ」
なんとなく僕は回る視界の中、ポツリポツリと話し出した。
いつの間にか横に髭の伸び放題といった派手な身なりの男がいたような気がしたが、僕はそのまま酔い潰れてしまった。