3 大蜘蛛の来襲
あたしたちはホウさんちから帰る暗い通路の中を、案内してくれた労と呼ばれるひとの後を付いていく。
急に緊張した気配一帯を覆った。
急いで登って行く斜路の先に外の陽の光が眩しい。周囲は兵が出払った後で後ろからは労達が土の塊を抱えて押し寄せて来る。
「どうやら敵の侵入に備えて出口を塞ぐつもりのようです」
「敵?何か来てるの?」
「わかりません」
「ナック。行くよ!」
「クレ……」
シルバが反応を起こす前にあたしとナックは上空にいた。
「うわっ!眩しい!」
「こりゃ強烈だね」
目が慣れるまですごく長い時間がかかっちゃった。もちろん目を閉じた分、周囲の気配は集中して探っている。上空に敵の気配なしっと。
まだよく見えないけど森かな?
地上に注意を向けると、上流側の畑の端に向かって走る4体の気配がある。その先にボウっと動きの少な大きな気配?
あたしはその上空へ跳んだ。
だんだん地上の様子が目にも見えてくる。
「ナック。見える?あれって蜘蛛じゃない?」
「ううー。キツかった、蜘蛛だって?
まだよく見えないよ……途中の森で遭った奴かい?」
大きな黒白縞模様の丸い塊が、ホウさんくらいの大きさの白い繭を器用に足先で、転がすかの様にグルグル回している。
「労のひとが捕まったみたい。助けないと」
7、8歩離れた位置にあたしは跳んだ。
ナックは地面に足が着くと背嚢からプレスボウを取り出し、蜘蛛の方を見ながらカシカシと圧縮操作を始める。
あたしは注意を分散させようと5歩右へ跳んだ。そして蜘蛛の頭部と思われる辺りへ石板を跳ばす。
ギイィッ!
大蜘蛛が叫びと共に一瞬動きを止めた。生きてる奴に石板を跳ばすのは初めてだ。でも頭って急所じゃないの?
頭部に幾つも並んだ小さな目に石板を跳ばす。悲鳴なのか威嚇なのか鋭い叫びを上げ、それでもあたしがやったと気づいたのか、繭を放しこちらへ向き直った。
脚の間、胸の下に折り曲げた腹の先が見える。歪んだ同心円状の縞模様、その真ん中の膨らみが脈打つのが判る。
あたしは用心して右へ1歩分だけ跳ぶ。
遅れて左肩の向こうを糸玉が通って行った。
やっば。
眼の端でナックがプレスボウを向け引き金をひく。
太矢は大蜘蛛の脚の一本に弾かれ虚しくどこかへ飛んで行った。
あたしは次の石板も目を狙う。渦が小さく中央寄りの大きな目を捉え薄片が過たず突き立った。
悲鳴を上げ大蜘蛛は仰け反るように上体を起こす。
背後の足音が4体の兵の接近を知らせる。石板が命中したことと足音であたしの注意が逸れたところへ、腹先から霧吹きのように糸の網が正面から襲う。
しまった!
瞬間に5メル程上空へ転移したけど、纏わりついた粘いベールが上半身に付いたまま。
こりゃ、下手に動くと絡まっちゃうよ。
あたしはなるべく腕を動かさないように次の石板を準備する。幸い網の糸が細いので視界に不自由はない。
そこへ兵が3体、腕の槍を先端に大蜘蛛の側面に突っ込んだ。
4本並んで蜘蛛が体を押し上げた、その脚の関節を狙った体当たりのような一撃は2本の足の、膝と言っていいのか2番の関節に突き刺さった。
ギ、ギギイィィー!
兵が1体跳ね飛ばされ草地を転がり、残りが抱きつくように脚にしがみ付く。そこへ背後に回った一体が腕槍を叩き付けるのが見えた。
石板を大蜘蛛の首関節辺りを狙って跳ばす。動物なら背骨のある辺りだ。
ギッ!
動きの鈍った左側、脚の間を縫うようにナックの太矢が腹に突き立ったのが音で分かる。
痙攣するような大きな脚の動きにまた一体の兵が転がった。
あたしは次の石板を用意して、どこを狙おうかと渦を彷徨わせたところで大蜘蛛が腹から地面に潰れ伏した。
脚が一本しがみ付いた兵ごと持ち上がり、力無く揺れた後地面まで降りて蜘蛛の気配は静かに消えた。
浮遊で空中に止まっていたあたしは、纏わりついた網を思い出しナックの前に跳ぶ。
「ナック!これ取ってよ!」
「おわっ!クレハ、びっくりさせなんよ。
あはは。似合うじゃないか。おっと、ベトベトしてる?」
ナックが網に触れて顔を顰めた。
「ちょっと待って。屈んでくれる?」
そう言って辺りを見回し小枝を何本か拾ってきた。
小枝で巻き付けるようにあたしから網を引き剥がしていく。持ち上げながら巻いていくんだけど髪の毛が強く引っ張られる。
「ナック。痛い。そんなに引っ張らないで」
屈んだまま文句を言うが
「そう言われてもなあ……」
途方に暮れたような返事で相変わらず痛いのが続く。
タタタっと軽い足音でシルバが駆け寄ってきた。
あたしとナックを見るなり事情を察したのか、背嚢を漁ってハサミを取り出した。
「クレハさま。くっついてしまった髪を切りますがよろしいですね?」
「いいよ!切ってもいいから早くこれ取って!」
追いついてきた兵たちとクロが蜘蛛を運ぶ準備を始める中、あたしはナックとシルバの作業が終わるまでその場に屈んでいるだけだった。
「でもクロってホウさんの兵たちと普通に協力して動けるんだ?」
「そうですね。クロには先程私が解読した言語データを送ってありますから、兵たちの言葉はおおよそ分かっています。クロは発声できないので、言葉に依らず伝えるのも得意ですから」
そっか。表情も声もないからあんまり通じてないのかと思ってたけど、全然優秀なんだ。
「クレハさま。出来るだけ段切りにならないように切りましたが、お気に召さないようでしたら申し付けください。沿える範囲で直しますので」
「まあ、いいよ。あたし、あんま気にしない方だし」
「僕はおかしいと思わないよ?シルバ、うまく切ったよね」
「ナックのお墨付きってのはビミョーかなー」
「なんだって?クレハ、それ、酷くない?」
「あはは。まあ、信用しとく!」
作業の方はどこから持ってきたのか材木で橇が組まれ、その上に大蜘蛛を転がして載せようと言うところ。
「シルバ。あたし、手伝ったほうがいい?」
「クレハさま。大丈夫ですよ。クロがいます」
うーん、空中に浮遊で浮いてるのは兵たちに見られてるんだっけ。騒ぎに紛れてナックと転移してきたけど、周りには兵のほかに労のひともいっぱい居たからなあ。
あの女王さまが、全部の個体の見たものを自由に見られるんなら、多分そこまではバレてるよ。
クロが兵と力を合わせて、って簡単に転がしたねえ。2体の兵が蜘蛛と一緒にグルンと橇の向こうに飛ばされた。
大蜘蛛は脚を小ぢんまりと縮めて仰向けに橇に載った。
引くのは流石にみんなで引いてる。後から駆けつけた兵を合わせて35体とクロ。
前腕を一本無くした兵が、繭から助け出した労の人を担いでいる。何をされたのかピクリとも動かない。
橇の通り道にあたる作物の株は軒並みダメになった。クロは踏まないようにしてるけど、兵たちは気にしていないようだ。
どのみち2本の橇材に載った太い桟木は地面スレスレだから、全部薙ぎ倒し、引き抜いた上橇の前っ側、蜘蛛の頭と地面の間に泥の塊になって溜まっていくんだ。
前には何本も引き綱が出ているので手も出せない。労のひとたちが集まって来て、溢れて横に出てきた分を回収してるのは、やっぱり勿体無いんだよね?
あたしは引き綱に渦が絡まないように気をつけながら、押されて揉みくちゃになる作物を左右にポイポイ転移させてやった。
見える範囲ならこんなのは容易い。
って、エイラに教わった石板跳ばしで、転移渦の細かな調整がすっごく楽にできるようになってるんだよね。
エイラ、感謝だよ。
ナックとシルバも草と泥まみれの中から、作物の株を選り分ける作業を手伝ってる。
労のひとがそれを受け取って川へ洗いに行くみたい。もう数えきれないくらいの労さんだらけだ。百はいないと思うけど80以上集まってない?
そんなこんなで入り口まで引いてくると門番に残っていた兵5体が後ろに引き綱を付けていく。その間にも労のひとがわらわらと溢れ出して来て、橇の前の草混じりの土を退ける。半分は兵が結んだ後ろの引き綱に群がった。
そう言えば、あの通路ってちょっとした坂だった。橇が走り出したら暴走しかねない。後ろから引っ張って速度を調整するのは大事だね。
クロはここで抜けるつもりのようで、引き綱を放して出て来た。
横を見るとシルバが労の1体と何か話している。
「ナックさま、クレハさま。では戻りましょう。こちらの方が同行して頂けるそうです」
あたしはその労さんも渦に入れて5人で作業トラクヘ跳んだ。