2 ホウさんの畑
クレハさまにお願いして、4人で地形図を頼りに跳んで頂き偵察にやって来た蟲の村。
湿地にいると言う虫のような人影を確認するため木陰から場所を移し、私、シルバは陽光の下へ踏み出しました。
刈り揃えられた草地に、丈が高く異なる特徴を持つ草の株が点々と出ていて、私には理由があってこのような状態に保たれているらしいことが見て取れます。
と言いますのも、一面の短い草には鋭利な刃物様の切口が見えていますし、残っている草株にも剪定の跡がありました。
詳しくは見ておりませんが手入れがされているのでしょう。
人が作る畑と異なり配置はランダムで、自然のまま育てているようです。
大きな緑の濃い葉が上へ向かって張り出す中に、手指ほどの薄緑の茎が10数上へ伸び、先端に赤みを帯びた丸い蕾でしょうか、大きいようにも見えるので実かも知れませんが、ひとつ膨らんでいます。
川へ向かっては小川はあっても遮るもののない平地のはずですが、少し先に丈の高い草の壁が見えています。
途中に切れ目がいくつか見えますので、草が林立しているのでしょう。
やや逆光の陽光を浴びて4つの影が見えています。
手近な作業をされている影を見ますと、シルエットが人間のものとは合致しません。
胸から腹にかけて34セッシド、頭や手足は30セッシドですか。
部位によって体温が異なるとは考えにくいので皮革が厚いのでしょう。
近づく間も虫らしい者の作業の手は止まりません。
立ち姿のまま長い4本の腕で幅広の大きな葉が上へ広がるように伸びる作物の世話をしています。上の2本の腕が葉の裏表を改める間に、足元や周囲の草を掠めるように下の2本が動いています。
どうやら手入れとは関係のない伸びた雑草丈を、1本が揃えるように先端を刈り取っているようで、もう一本の手に渡し束に握っていました。
摘まれた草の束が厚くなると暗褐色の頭部に振り上げています。
尖った顔の先端にある裂け目が口でしょうか、草束はその中に消えました。
見える横顔の中心に丸い緑のものが目らしく額には小ぶりの触角と思しきツノ。
さほど皮膚の厚みがないと思われる胸から腹には、短い茶系の体毛が密生していました。
3歩ほどの距離に至っても何らの反応も返って来ません。後ろでナックさまとクレハさまの、息を呑む様子がクロの回線を通じ伝わって来ます。
これだけ近づいて、声も掛けていると言うのにあまりに反応がないので、顔の前辺りで手を振ってみました。
このようなことで外敵があった場合は対応できるのでしょうか?
やっと気がついて私を見たまでは良いのですが言葉が通じません。明らかに人ではありませんので、もとより期待はしておりませんでしたが、こちらから発する言葉に音量は小さいのですが反応があります。
間を置いて一言二言のフレーズが発せられていました。
声帯の構造が違うのでいくつか聞き取れないものがありますが、古い何種類もの言語で挨拶の言葉を並べているようです。
いくつかは非常に古い地球由来の物のように聞こえました。
6種類ほどの言語をループしているようで、私どもが使っている言葉と似たものがありますので、こちらも同じ言葉を返してみます。
「おはようございます。こんにちは。こんばんは」
すると一旦そこで音声が途切れました。音量は小さいまま続きます。
「………われはホウと申す。用件は何であろうか」
「ホウさまでよろしいですか?私はシルバと申します。こちらへは交易の申込みに参りました」
「………この地は出入りが途絶えて久しい。交易とは何を以て行うか」
「それについてはこれから探したいですね。そちらも必要なものがございますでしょうから、それと交換という形になります」
「………場所は如何する」
妙に返答に間が開くのが気になりますが、そういうものとして進めましょう。
「この場所は、私ども、人の集落からそう離れていません。新たに橋を架け往来のための道を作りますが、それについては如何でしょう?」
「………まず、こちらの作物から見てもらおう」
「では、仲間を3人呼びますがよろしいでしょうか?」
「………森に潜むものか。いいだろう」
おや?ご存知でしたか。
私はナックさま、クレハさまに向かい手招きしました。クロには回線を通じて必要な警戒と共に、こちらへ来るように伝えます。
「ところで、苗を植えたりはしないのですか?こう、1列等間隔に作物を並べますと水捌けの畝などを利用して世話しやすいですし、収量も増えるのですが」
「………ここは昔からこのように使っておる。われらの使う分は十分にある」
「はい。ですが交易となりますともっと沢山作らなければなりません。他から食料を買うこともできますし
「………どこかで小さく試してみるのでは…」
「結構です」
それからいくつかの作物を見せていただきました。丁寧に手入れされた作物は見慣れないものもありましたが、良い値が付くことでしょう。
ホウさまを連れてご近所の案内をクレハさまにお願いすると、ナックさまが反対されます。クレハさまも見かけの違いで争いになると仰せで、これには少し困りました。
確かに人の歴史にはそういったことはままあるようですが、慣れてしまえばそれまでなのです。さて、どう致しましょう。
とにかく、判断材料が足りていません。
「ところで、こちらの集落は何人くらいいらっしゃのですか?」
「………今この場には13。そこから森の下に案内しよう。兵が9千、労が10万7千、王が100余り、そして女王。案内する」
「えっ?トリスタン並みだね。すごいや。シルバ、てことは畑は他にもあるんだ?」
私が伝えるとナックさまが興奮されています。しかし、兵、ですか。
ホウさんが先に立って衛星から見えていた森の出入り口へ向かいます。
木陰となっている部分には可視光では判別できない熱源がありました。
50体以上の大柄な個体が並んでいるようです。
なるほど。こちらのホウさまがのんびりされておられたのは、警備が他にいるからでしたか。
常時あのような数があの場所にいるのは不合理ですから、私どもの来訪を受けて集まったのでしょう。
検知温度は26セッシド程度ですので、装甲の厚い兵と呼ばれる方々でしょうか。
一応注意しておきます。
「ナックさま、クレハさま。木陰には兵士が50体ほどおりますが、驚かれませんように」
「兵士?どんなだろ!」「見たい!」
想定した反応とは違いますがまあいいでしょう。
大柄と予想していましたが、兵は皆上背が280セロはあり、横幅があるのでクロに見劣りする者たちではありません。見る限り胸から腹の甲殻も頑丈そうで、その強度はわかりませんが全身鎧と言った風情があります。
兜様の頭部は首関節をすっぽりと隠し、目や触角には透明な防護膜が覆っていて、大きな顎と相まっておどろおどろしい形相となっています。
武器のようなものは持っていませんが、腕自体が艶やかな槍のようで手指はその穂先より手前にあることから、自らの用を成すには不自由が察せられます。
いずれにしましても弓矢は通じそうもありません。このものたちを相手取るには、剣も余程重量の乗るものが必要でしょう。
「うわ。カッコいいね、ピカピカ鎧だ」
ナックさまもやはり男の子ですね。
「数は9000と聞きました。人サイズの白兵戦ではおそらく最強かと」
「へえー」
左右に立ち並ぶ兵が作る槍の壁を見ながら進んで行くと、2本の特に太い幹の間にその入り口はありました。
幅4メル。左右が少し低いアーチ状の通路は3メルから3メル半。
灯りは無いのでホウさまに断り、自前のヘッドライトを背嚢から取り出して点けます。
通路はきつめの斜面で、何で固めたのか滑り止めの効いた弾力のある床でした。
「……左右の房は兵の詰め所である。一つに7〜8体おる」
6室ありましたから、この辺りに駐留する兵が全て出迎えてくれたことになります。
房の入り口を過ぎると平らな広間です。見回すと大小はあれど、どこへ通じるともわからない通路が20に近い数が取り囲んでいました。
ホウさまはその中でも一番幅広い中央付近の通路を行きます。
間も無く通路は再び降りとなって突き当たり。ひしめくような兵の並ぶ中を頑丈そうな扉を開けてもらい踏み込んだ先は天井の高い大広間です。
ここには松明が灯っていて、こちらの灯りは必要ありません。
「……普段は熱が篭るので点けぬ松明である」
「お気遣いありがとうございます」
「……正面に向かわれよ。案内はここまで」
そう言うとホウさんは入り口の壁に寄って動かなくなりました。置物にでもなったかのようにピクリとも動きません。私らロボトの待機状態を彷彿とさせますね。
などと見ているうちにナックさまが進み出ています。クレハさまが焦れたように引く手に従い私も続きます。
「よくおいでなされた。シルバ、ナック、クレハ、そしてクロ。身はホウである」
1段高い敷物の上に7、8メルはあろうかという大きな腹を横たえ、前肢の4本で上体をもたげたものが声を発した。周りには兵の姿はなく、6体のホウさまと同じ姿のものが控えている。
その手前に緋色の敷物が敷いてあり、四隅に20セロほどの透き通った三角錐が載っていた。敷物を挟んで3メルほどの距離で対峙することになった。
「え?案内してくれたのもホウさんだよね?」
「ホウは全にして個。末は手足である」
「ねえ、シルバ。どう言うこと?」
「さて。おそらくですが、群体意識でしょうか。個々の知力が低くても全体として大きな知恵を持つと言いますか。
あるいはそちらの大きな方、女王と思われますが、全ての個体に意識を飛ばすのか」
「いかにもこの身は女王である。その測の通り、末はその役割に不足ない知をもつ。
されど大きな決はしかねるため、この身の知を使い政を成す。此度のように労を使うは無きことである」
「ああ。なるほど。労の個体を直接使うのは非常に珍しいことなのですね」
「して、交易とは何を以て致すか」
何を以てですか。私は背嚢を漁り始めました。交易が目的と言いながら偵察ですから、商品になるようなものは持ち歩いていません。
手持ちは予備の灯りに干し肉、小麦、甘味に治療用のナノジェルが少量。ただしこちらは生体構造が異なるので使えないかもしれません。
あとはクロの収納にロープがあるくらいでしょうか。
クレハさまにお願いするにも、まだ手の内はあまり見せたくはありません。
「今日はご挨拶だけでございますので、手持ちがありません。
ほんの見本ということになりますが、ご笑覧ください」
そう言って足元の敷物の上に取り出したものを並べていきます。
「見慣れぬ物。どう使うかなど、のちに聞く。ホウよりは見せた作物の他、石がある」
労と呼ばれる女王周囲の一体が、袋を持ち緋の敷物を回ってこちらへ進み出ました。
敷物の隅に袋の中身をザラザラと空けます。
出て来たのは淡い水色の丸っこい石。松明の揺らぎにキラキラと光って、その磨きの緻密さが見て取れます。大きさは不揃いで2セロから4セロと言うところです。
「此は王たる幼生の石。資するならば」
私は一つ手に取ってみます。屈折率から宝石の部類でモース硬度が7以上、おそらくはアクアマリン系統です。そんな硬い石をどうやってこんなに艶やかに磨いたのでしょう。
一個だけいただいてこの場は出直すことになりました。
案内してくれた労の個体が帰り道も先頭に立って地上へと向かう道すがら、兵たちがバタバタと出口へ向かって駆け出す様子が通路の遥か先に見えます。
「ナックさま、クレハさま。何かあったようです」




