1 蟲の村
「クレハさま。早速ですが近くの村落の偵察をしたいので、お戻りをお願いできますか」
シルバの口調は丁寧だけど、あれは半分は脅しだ。
あたしを呼び戻す時だってナックが寂しがるだの、チューブに乗る日程が決まってるだのウソっぽい理由を並べていたんだ。
でも世話をかけてる自覚もあるから、頼みを聞かないってのも気が引ける。
「それってどこにあるの?」
「こちらをご覧下さい。この森と川の間の草原でございますが、おそらくは畑作地でございます。この支流と思われる流れがありますが、灌漑というには一見非効率に見えますので注目しておりませんでした。ところが早朝と夕方に30数名の人の姿を確認しております」
「人が住んでるの?でも家はどこ?」
「この森から出入りしているので木の下に隠れているのではないかと」
「僕も一度ボードで見たけど、この辺から森へ入るんだ。門か何かあるんじゃないかな。ここばっかり通るってのもちょっとおかしいから」
なるほど。さてはナックが行ってみたいとゴネたな?
「あたしの用事は取り敢えず片付いてるから、偵察に行ってこようか?」
「僕も一緒に行く!」
「いけません、ナックさま。どんな危険があるか分からないのですよ?
それでしたら私とクロもお連れ下さい」
「ナックとシルバにクロ?
まあ運べないこともないかな」
えーっと、40に110に160キルだと……ああ、楽勝か。1000キル以上でも跳べるもんね。
そっか。みんなで行けばいいのか。
「じゃあ準備しなよ。トラクを運べってんでなけりゃなんとかするから」
へへん。シルバが眉を下げてるよ。
さてはあたしが止そうって言うと思ったんだな?
ナックはいつもの装備だね。シルバはなんだか重そうな背嚢を背負って長剣を差している。クロは見たところ手ぶらだけど腿の収納に色々仕込んでるんだろう。
そう言うあたしもいつもの背嚢に……
おっと。短剣がダメになってた。
「シルバ。あたしの短剣見てくれる?
試してるうちにダメにしちゃってさ」
「短剣ですか?拝見します。
……一体何をしたらこのような惨状になるのですか?」
「えへへ。まあ、いろいろ?」
石を突いたなんて言えないよね。
「幸い鉄は手持ちがございますので、すぐに修繕いたしますが」
あたしの短剣2本はシルバの手にかかれば、10メニほどでもと通りになるという。
見ていてもシルバがひと撫でして後は触るなと言われ放置だ。撫でた直後刃の表面が曇るくらいで、見ていても何が起きているのか分からない。
聞くと
「鉄分子を整列させ不要成分を排出しております」
と言うんだけど、なんのことやら。
ナノマシンってのにやらせてるのは確かだけどね。
シルバがあたしの短剣を修理する間にひとりで軽く偵察だ。いくら空中ったって4人も連れて行くのは目立つでしょ。
地形図で見た方角へ2回跳ぶと川っぺりの湿地が見えて来た。見え隠れする水面が空を映して光っている。
なるほど、人の姿が10数人、屈んで作物の世話をしているようだ。
でもなんかおかしくないかな?
手足の付き方が遠目にもおかしく見える。なんだろ?
ちょっと用心して10メル上空へ跳んだ。頭が大きいのは帽子かも知れない。ツルッと陽を反射する材質なんだろう。
でも手足が細いし身体から左右に突き出している。それに思ったより小柄だ。
あれって虫?
えーっと、4人でのんびり眺められそうな場所か。いきなり向かってこられても困るからね。
木の上かな。本川はちょっと離れてるし割と平らな地形で隠れるような場所が無い。低いところはあるんだろうけど水が溜まってるし。
張り出した大枝スレスレに何度か跳ぶ。すぐに気配が感じられなくなった。
この辺でいいか。
あたしは作業トラクに戻ると
「シルバ。見て来たよ。なんか虫っぽいよ?」
「虫ですか?」
「森の中にはいなかったから、みんなで行こう。ほら」
あたしは修繕の終わった短剣を腰に差すとシルバたちを渦で纏めて跳んだ。
急に木陰に跳んだのでナックがビックリしてる。シルバとクロは通常運転だ。
「畑はこっちだよ」
あたしが先に立って、低木や草に藪を縫って木立の間を明るい方へ進む。
歩いて移動は結構厄介だったね。
それでも程なく畑っぽい湿地が見えて来た。彼らの気配もやはり10以上。
低い視線に映る彼らの影はハッキリと虫だ。
短い腿が横向きに張り出し、細く長い脛が地面へ伸びて腕が左右それぞれ2本ずつ。腿の付け根にくびれがあって、太い腹が地面の少し上まで下がっている。頭は帽子などなくてやはり大きいし、短いツノが2本突き立っていた。
背丈はナックと同じくらい?
130セロと言ったところか。
「明らかに人ではございませんね。まず私が行ってみましょう」
何をするにしても近くまで寄る必要がある。シルバなら頑丈だし力も強い。数体ならのし掛かられても跳ね除けるだろう。
シルバは身を低くしたまま10歩ほど横に移動してから立ち上がった。そこから真っ直ぐ近間の1体に向かって歩いて行く。
が、全く反応が返らないまま数歩の距離まで近づいた。
声は聞こえる距離ではないけど、しばらく双方に動きがない。シルバが屈んで相手の顔前方に手を差し出しヒラヒラさせると、そこでやっと彼の作業の手が止まった。
見ているとシルバの身振り手振りには反応を返しているようで、身体を揺すって4本の腕を複雑に動かしている。
5メニ以上もそうしていただろうか。
シルバがこちらを向き手招きした。
あたしはナックと顔を見合わせた。
「大丈夫なのかな?」
ナックが聞くが
「シルバがいいってんなら大丈夫なんでしょ?行ってみよう」
あたしたちは真っ直ぐ畑へ足を踏み入れた。
畑と言ってもどれが育てている作物なのか、ところどころ背の高い株がそうかなと言う感じでほとんど土が見えない。
「雑草取りなんかしないんだね。サイナスで見た畑と随分違うよ」
「この丸くて葉の大きいのが育ててるやつかな?」
「そのようです。収穫はもう少し先らしいですが。丈の低い草は毎日伸びた柔らかいところを作業しながら刈り取っているようです」
「へえ、雑草も何かに使うんだ」
「作業中のおやつのようなものだそうです」
「うえっ。雑草、食うんだ!」
頭を見ると暗褐色の鈍い光沢を持つ兜のような顔に、握り拳くらいのツノが額の上辺りに一対あって、間隔の広い緑色の小さな目が付いている。
口はギザギザの裂け目のようだった。
手足も同じようなツヤをしているが、胸から腹には短い毛がびっしりと生え、全体にずんぐりした印象だった。
「てか、シルバ。話ができるの?」
「とても声が小さいのと、言葉が違いますが、お話はできました」
できましたって……
空いた口が塞がらないあたしをよそにナックが口を挟む。
「他にはどんなのを作ってるのか聞いてよ」
「ええと、この方はホウさんとおっしゃるそうです。カブのような根菜があるそうです」
ホウさんは川に向かって歩き出す。
横に張り出していた膝が前を向いて、大きなお尻が左右に揺れる。
その姿がどことなくユーモラスで、ナックと2人でクスクス笑った。
後ろに付いて行くと地面に空が光る。
水があるのだ。上空から見た湿地だろう。
水面に幅の広い葉が一面に突き出し、風にそよぐ。
水底はごく浅い。あたしの脛までもないくらいの水中にも、びっしりと丈の短い草が底を覆い、立派な広い葉がにょきにょき立ち上がる。
その葉の一株をホウさんが水に踏み入って引き抜いた。
軽く抜けたようだけど、あたしの手のひらくらいもある赤く丸い実。
いや、この場合は根っこ?
5本の茎の下に土色がかった緑の輪があって、そこから下へ丸くなって行くピンク寄りの赤い肌は、水中から引き抜いたせいか土汚れもなく、赤子を思わせるすべすべ。やや尖った先端付近に数本のごく細い髭根が垂れ下がっていた。
カブはサイナスでも作ってたけど、こっちのは大きいね!でも味はどうなんだろ?
「綺麗な赤だね。葉っぱも食べられるのかな?」
「食べられたらいいな。僕、カブの葉っぱを茹でたやつは好物なんだよ」
「ナックさま、ホウさんたちとは食性も違うと思われます。毒性がないと確認されてからですよ。決して口にしないように」
なに、ナックって葉っぱ生でも食べちゃう子なの?
「あれってちょっとエグ味があるから、木灰を入れて茹でるんじゃないの?」
「ああ。クレハさま、トリスタンで売られている中には、生でも美味しいカブの葉もあるのです。ナックさまはそれがお好きで、たまにつまみ食いなさいます」
他にも紫のひょろっとした根菜が水辺に植わっていて、そっちはまだと見え抜いてはくれなかった。
水溜りにはごく緩い流れがあって水中で短く刈られた葉が揺れる。
目印のようなものは見えないが浅い場所があるようで、ホウさんに案内され流れをいくつか渡った中洲には丈の高い茎の林があった。
クロより背の高い太い茎は、あたしやナックなら間をすり抜けられそうな間隔でびっしりと立ち並んでならんで、細長い葉を垂れ下がらせていた。
茎の色は黄色っぽい茶で、あたしの目の高さに緑の大きな実が付いている。上に向かってやや細長く付いた実はもっと大きくなるらしく、この太い茎も食べるんだそうな。
なんか、ホウさんが友好的な生き物でよかったよ。
それからシルバがしばらくかかって橋やトラク道路のことを説明していると言うんだけど、あたしらにはさっぱり内容が分からない。
長いやり取りの後
「クレハさま、ホウさまに駅からの街道と橋、それにネロデールスの街を見せていただけますか?」
ナックが口を挟んだ。
「街道はいいけど、街って騒ぎにならないかな?」
「あたしもそう思うよ?
それってここに橋を架けようってんだよね?」
「騒ぎでございますか?農作物など流通しますと、みなさまの暮らしが豊かになるのでは?」
「いや、それはそうなんだけど、みんながみんな上辺を気にしない人ばっかりじゃないでしょ?」
なんでも知ってるシルバだけどこんなことが分からないなんて。
「リンボーの街じゃあ、髪や肌の色が違うってだけで酷い目にあってる奴がいくらもいたよ。
ニックスとレイラがそうだった。ニックスは髪が、レイラは肌のせいで忌み者とか言われて酷いイジメにあって、施設には居られなかったんだ。
他の村から流れて来たあたしが拾わなかったら、今生きてはいないと思う」
湿っぽい話になったけど、これ、どうしようか?




