序 クレハ 〜 リンドー
あたしはクレハ。多分10歳だ。
このリンドーの街に住み着いて2年になる。
あんまり覚えてないけど生まれは多分ゲイロって小さな村だ。
村の入り口で泣いてた捨子、カタコトを喋るだけのあたしを拾って面倒を見てくれたお婆さん、ネビラって名だと思うんだけど、畑仕事や家事で追い回された。
身寄りのない婆さんだったらしく、朝起きてこないので見に行ったらベッドで冷たくなっていた。
村長に知らせに行ったらその翌日には名前は忘れたけど人使いが荒いだの、死んだ子がいるだの噂の高い家に行くことに決まった。
あたしはその晩にそっと村を抜け出した。リンドーのことは聞いていたのであたしは着の身着のまま歩いて来た。
後で細切れに聞いた話をまとめると、2つの村を通り辿り着いたらしい。
道中のことはあんまり思い出したくはないんだけどね。
ネグラは壁近くの空き地に古く小さいい物置を見つけた。
食い物は夜、畑に潜り込んでのかっぱらい。服も大きさは合わないけど洗濯中の男の子の服を調達した。履き物はゴミ捨て場で拾ったものに手を入れた。
そうやって少しずつリンドーの街に紛れるようになった頃。
路地で髪の色が赤いと子供たちに囲まれ殴られ蹴られていたニックス。
白い肌の腕を掴まれ転がるように路地に放り出されたチビ。
髪や肌の色が違うからって何が違うっていうのか。その場では助けられなかったけどなんとか引き込んだ。
ニックスの赤い髪は虫除けに使うナグルの葉の汁で茶色っぽくできたし、チビの白い肌は染料に使う赤土を練った上澄みを塗らせている。
季節は収穫が終わりこれからは冬がやって来る。
・ ・ ・
埃っぽい路地から顔を覗かせたあたしはニックスに合図した。肉屋のおやじが客との交渉を始めたのだ。
ニックスはチビを連れて通りの向こうから下手な歌を歌い歩いてくる。肉屋の店先にはカゴに盛った干し肉の束が積んである。あたしの狙いはあれだ。
店主が客の相手をし、支払いの金を受け取ろうとしたところへ、ニックスに突き飛ばされたチビが転がり込んで盛大に泣き始めた。大慌てでチビの怪我の確認やら、人だかりができるやら。あたしはそこへ紛れ込んでニックスの合図を待つ。
「あー!チビ、おまえ!」
大きな声に一斉に注意が集まる中、干し肉の束を一つ懐へ入れる。こういう時は決して欲張ってはいけない。
「肘、擦りむけちゃってるよ。痛いだろ、井戸に行って洗おう。
おじさん、どうもすみません、コイツ慌てんぼで。時々自分の足踏んづけて転ぶんです。それでいつも手を繋いでるんですけど」
このリンドーの街は大きいので大体こんな流れで、店先の物を掠めてくることでなんとか冬を生きて来た。
とにかく人が5、6人集まって、その中でちょっとした騒ぎが起きた隙にちょっとだけかっぱらう。使えそうなやり方を考えあたしは日長一日屋根から見ていることが多い。
けどそれもそろそろやばい。やり方を変えないといけないのは分かってるんだ。
「クレハ。うまく行ったかい?」
「ああ。2日分だな。壁まで行こう」
人目のありそうなとこでブツを出す気はないんだ。さっきから妙な気配がしてる。あたしのこういう勘は当たるんだ。
路地を何度も曲がり壁まで歩く。途中板塀の穴も潜ったから付いてこられる奴はそういない。だと言うのに、なんだこの感じは?
壁際の空き地の手前で止まり、あたしは空き地と通って来た路地の気配を探った。
「勘のいい子じゃの」
どこからか、あたしたちに向けた声が掛かった。この空き地は行き止まりだ。ここで見つかると逃げ場はない。
路地を振り返ると、目の前に婆さんがいた。濃い緑のローブで顔が翳っているけどそれだけはわかった。
どっから現れた?
「あんたら、身寄りはあるんかの?」
そんなものがあったら盗みなんてしてない。答えたわけでもないのに婆さんが先を続けた。
「ワシゃジーナって言うんだがの。うちにも子供達が、あー、19人居るんじゃ。来るかの?」
来るかって?
「意味が分からないねえ。売り飛ばそうってのかい?」
「ふほほほっ、こんな痩せっぽちを誰がいくらで買うんかの?」
なんなんだこの婆さん。
答に困っていると
「ちょっとここは狭いのでの。空き地に出てくれんかの」
なんで空き地があるってわかるんだ?あたしとニックス、チビは後ずさるようにして空き地へ追い込まれた。
婆さんがあたしらの後ろを指差した。振り向くあたしは自分の目を疑った。
そこには小ぶりのテーブルに大きな鍋、おたま、木の汁椀とスプーンが3つ載って椅子まである。鍋は熱いようで湯気が日差しの中でうっすら見えた。
なんだって草しか生えていない空き地にこんなものが?
鍋!?食い物か?
婆さんがいつの間にかテーブルの向こうに回ったことにも気付かず、鍋の匂いから中身を想像していた。
「鍋は逃げやせんぞえ。まず座ることじゃ。
さっきも言うたがワシはジーナ。サイナス村の者じゃ。ここへはおまえたちのような身寄りのない者を集めに来ておる。
何を言っても聴こえておらんかの」
婆さんは苦笑すると鍋の蓋を開けた。ブワッと巻き上がる湯気、強烈なヤギ肉煮込みの匂い。この美味そうな匂いは3ブロック向こうの屋台で嗅いだことがある。
「ほれ、たんと食うがええ」
そう言って婆さんは汁椀に煮込みを軽く装ってくれた。
ヤギ肉煮込みの汁はすごく熱かった。ちょっぴりしか装ってくれないのは、火傷しないように考えてくれたようだ。あたしたちは腹の中からどんどん暑くなるのにも構わず、まとっていたボロを脱ぎながら食べ続け、大きな鍋の半ばを掻き込んでとうとう草地に苦しい腹を投げ出した。
「ふほほほ。3人で大鍋半分、食ってしもうた。もう一軒屋台を廻るとしようかの」
婆さんは鍋に蓋を戻すとカップと水入れをローブから取り出してテーブルに並べている。寝転んだまま見ていたがこれもどっかの屋台で嗅いだ果物ジュースの匂い!
ガバッと起き上がって椅子に座ると貪るように飲んだ。ぐうっ、腹がキツい!こんな幸せな苦しさは初めてだ。半分程入ったカップを手放せないまま、ちびちびと舐めるようになんとか飲んだ。
「さて、名前を聞こうかの。あんたが仕切っておったの。名前はなんと言う?」
「クレハ。あたしはクレハだ」
「おまえの名はなんと言う?」
「オレはニックス。こっちはチビ」
「チビは名かえ?あだ名じゃろう?」
「こいつ、名前が分かんねえんだ。小ちゃいからチビだ」
「それでは大きくなったら困るじゃろうて。まあいい、お前たちは生きる当てはあるのか?」
「今までだって生きて来たよ。これからもなんとかやってく」
「ふむ、盗みは長くは続けられんよ。もう目をつけられておるのは分かっとるか?」
「知ってる。だからあたしが仕切ってるんだ」
「ワシのところにはお前たちと同じ行き場所のない子供がおるのじゃ。仕事と3度の飯、寝床があるぞえ。来るかの?」
「仕事って何をさせるんだ?」
「向き不向きもあるでの、まあ色々じゃ。畑仕事、海で貝堀り、年寄りの世話、他にもあるがの」
「海?海ってなんだ?」
「ああ、ここらは海が遠かったの。なに、でっかい塩水の水溜りじゃで。ワシのとこは内海じゃでの、大した事はない」
あたしはニックスとチビの顔を見た。こいつらはこの婆さんの話にもう夢中だ。
あたしは頷いた。




