2 チューブ列車
シルバが怒っていた。
ロボトがあんなに怒るなんて知らなかったよ。
出発準備をすっかりシルバに任せて退屈だからと買い物に出かけ、興味を引くものがあったからとサイナスへ飛んだ。
レクサール駅の通路を作り終えたシルバが、いくら待っても帰ってこないとナックにボタンツーシンを入れたところ、ナックは宴会料理の味見中であたしはどこへ行ったのかナックは知らない。
うん。これはあたしでも怒るかな?
顛末を聞いたジーナは腹を抱えて笑っていたけど。
駆け込んできたネギラさんに聞いて、急いでレクサールへ戻ると、2人並んで作業トラクの床で正座だった。
宴会料理は逃したけど、シルバの料理が待っていた。長い小言でお腹いっぱいと思ったけど、やっぱりシルバの料理は美味しいよ。
・ ・ ・
翌朝はテトラインの乗り場へトラクが入っていく。通路からの曲がり角はトリラインと変わらない。
路線図では右隣のエストラを選んだ。どっちへ行ったところで変わらない。どうせ情報が何もないのだ。
チューブ列車は5メニで乗り場へ滑り込んで来た。数日前に作業トラクの回送を出迎えたのとは逆の手順だ。
トラクの全長より長めの、10メルに渡って乗り場の仕切り壁とチューブ列車の窓が並んだ壁が消える様は、見るのが2回目でも驚くべきものだった。
シルバはトラクの運転席ではなく、遠隔操作でトラクを動かし歩いてチューブ列車に乗り込んだ。
それから50メニの後、列車はエストラに滑り込んだ。
少し手前から車窓の光に映るチューブの内壁の流れる間隔が遅くなるのがわかった。減速するような音も、感覚も全くないまま列車が止まりいきなり壁が開く。
トラクはすぐには下ろさずシルバが暗い乗り場を進み、通路の曲がりの向こうを確認に行く。
その間、仕切り壁が閉じないようにあたしは境目を跨いで立っていた。
数メニかけてシルバが確認から戻り、トラクが横移動を開始した。ナックもあたしもトラクに続いて列車を降りる。トラクが通路に向かって動き出した後くらいに列車の壁が閉じ、ヴヴゥゥーーという走行音を残して走り去った。
これで光源はトラクの前照灯とあたしらが額に付けた灯りのみになった。
乗り場で大きな存在感を放っていた列車がいなくなって、なんとなく不安な感じがする。
ナックもいつになくキョロキョロと辺りを見回していた。後ろから大柄な黒い影が進み出た。護衛ロボトのクロだ。
「前方のレーザ2基を起動しています。ですが十分に注意をお願いします」
偵察で何があったとか言ってなかったから、急にどうこうはないだろう。けれど列車の乗り降りがないということは、この駅でも何かしらのアクシデントがあったということだ。
いずれにせよ注意は必要っと。
通路は真っ直ぐ200メル程、出口が四角く見えているが薄暗い。外はまだ朝方のはずだから、あんなに暗いのはおかしい。
半分ほど進むと枯れ葉の層が床にこびり付いていた。進むに連れ段々それが厚くなって行く。
シルバが手を上げ進行を止めた。
「トラクのタイヤが滑るかもしれません。いずれ必要になるのでマシンを散布して通路を掃除します。トラクの横まで下がってください」
あたしたちが下がると5メニほどで見える範囲の足元の枯れ葉が消えた。
マシンの回収はトラク後端にあるローラーが行ってくれるらしい。
枯れ葉の消えた通路をシルバとクロが先行した。あたしたちはトラクの左を付いて行く。通話の先に空間はあるけれど。大きな木が一本空を覆うように立ち、地面も大きく盛り上がって正面を塞いでいる。左手に沢があって水は抜けるようだが、山が迫っているせいで日が遮られひどく薄暗い。
正面の土と大きな木をどうにかしないとトラクは進めないということ。
「まず周囲の偵察を行います。地上は私と、ナックさまはクロとで別れましょう。クレハさまは上空をお願いします。何かあったらトラクに戻るように」
シルバはああ言ったけど、暗がりでなけりゃあたし一人で十分だね。
一瞬に200メル上空で風を感じていた。上と周囲は最初に確認する。鳥のでかいのにレクサスで会ってるからね。不意討ちはごめんだよ。
で、ここはどこなんだ?一見すると下は森の中。
うーん。近くに道もないね、ちょっとぐるっと回ってみよう。
なんか古い道っぽいのが見えた気がして降りてみる。草が茂っていて分からないけど踏み固めたような足の感触がある。上から見えた轍っぽいのは逆に分からない。
ふうん?
上空に戻って探索続行!
離れたところに赤茶け輪になった山が見える。ここからそうと分かるんだからそう高い山じゃない。上空へ行ってみると山の頂上にでっかい湖があった。
水の色とは思えないくらい濃い青を湛えて、真ん中に緑の岩の塔がある。
取り囲む赤茶けた山裾も、水に近いあたりは緑色だけど草が生えてる感じじゃないね。苔かな?
ま、いいや。
そのあと戻って辺りを3回転移してみたけど特に成果なしと。
そこで下界から争うような音、何か殴るような鈍い音が響いた。
どこだ?何があった?
争う気配はすぐに見つかった。
5本の木が重なるように生えた、出口からそう離れていない辺りだ。そこで一際大きな木が揺れた。
何かでかいやつが幹を揺らしたのだろう。
あたしは近間に跳ぶ。そこにはクロが背後にナックを庇って戦闘態勢を取っている姿があった。
相手は?太い木の幹に何か動きがある。気配も確かにその辺りを指していた。
どこに居る?クロの背後の木に跳ぶ。地面には降りず浮いたままで。木の枝が低くて4メルより上では葉の影になって見通しが利かない。
気配が右へ動いた。クロは動かない。
いや。草が踏まれているように潰れる場所が幾つかある。その間の草も動きがおかしい。
そうか。私の視点が高いから草むらの中で動くのが分かるんだ。てことはクロにも見えてるんだね。
足跡が音もなく走り出した。クロの少し右を通過するかのように向かって来る。
あれ、大きいよ!揺れる草の幅でさえ2メルを超えてる。気配では背はあまり高くなさそうだけど……
クロは右に向き直る。3メルの身体で足を広げ膝を曲げて重心を下げた。格闘に備えたのだ。
あれはやっぱり相手の動きが分かっている。
あたしはここで何ができる?
あの大きさでは攻撃は無理っぽい。
ナックを抱えて避難させる?
考えがまとまらないうちに気配がクロに飛びかかった。クロも気配に合わせて身体を前に踏み出す。
ドガァッ!ドスッ!
すごい音と共にクロの体が5メル程も押し戻された。
すごい!あれを受け止めたのか?
重心を見ればわかるけど、クロは大きなものと押し合いをしている。右掌が空中の大きな何かを掴むかのように突き出され、左手にもやや低い位置で何か押さえ付けているらしい。
クロの体勢を見て、相手がいるらしい空間にナックが剣を振った。
切るにはやや近いところでガキッと音がして、相手が相当に硬いことを示した。
間合いが近いと知ったナックが、半歩足を引きながらやや左へ、クロから離れるように動きもう一度上から剣を振った。
ガキィッ
いい位置で切っ尖が当たるが刃が通った感じがしない。
今度は右へ動いて、横に振り抜く両手持ちの剣はやはり音だけ残して弾かれた。何が相手なのか分からないがあれは硬い。
あたしはじっと気配を読んだ。前足が前へ出て草地に窪みを作る。動きに合わせて腹が草を押し倒す。後ろ足があそこにあるならあの辺りは。
あたしは短剣を振り上げた体勢で跳ぶ。現れる瞬間に合わせて剣を突き立てる。狙いは過たずあたしの短剣は見えない相手の皮を切り裂いた。
草地の窪みや倒れる草を観察するには高い視点が有効だ。
横腹の地面に近い皮はそう硬くないみたいで血が出ている。その赤い血ははっきり見えた。後ろ足の気配に上へ跳ぶ。
直後大きな旋風があたしのいた場所を吹き抜けた。尻尾!?重心の変わる相手にクロが身を捩るようにして足を踏み替え頭の抑えを維持した。
尾があっちへ行ったならとあたしは反対側の腹を狙う、踏み締めた足と分かる草の窪み、さっきの手応え、そして何より腹皮の気配。
あそこか!
跳んで出現と同時に突き上げる短剣が滑った。後ろ足のやや前方のつもりで刺した切っ先は下へ逸れ、ゴツゴツと凹凸のある皮に顔からぶつかった。顔に当たる皮に振動がぶるんと走りあたしは上に跳ぶ。ナックが下で慌て飛び退くが、飛んで来た尾が跳ね飛ばす。
「ナック!」
ナックはコロコロと3回転ほどで止まり、確かめるように立ち上がった。
そこでクロが動いた。右の足を一歩引き、左手を押し上げる。更に右手を突き出すようにすると左へ飛び退いた。その眼前をドドドと足跡が数歩通過した。
クロはもう一歩下がりながら両腿のポケットに手を入れ短剣を引き出す。
ちょっと待って。なんであんなところから短剣がって、あれ、クロが持ってるからそう見えるだけで、両手でも持てないような肉厚の両刃剣じゃない!?
そこへ見えない尾がクロを襲う。左腕でそれを受け止め、クロが踏み込んだ。
上体を沈め、地を這うように右の剣が伸びる。後ろ足らしい草の窪みの前辺り、何もないはずの空中に切っ先が飲み込まれるように消えた。
ケエェーーー!
始めて聞いた鳴き声は、甲高い耳に刺さるような音。
クロの剣先に血が舞い巨体が横飛びに退く。
7メルに渡ってドスゥンという音と共に草がなぎ倒された。
やっぱりでかい!
着地と同時にぐるっと足跡が円を描く。向きを変えたのだ。
が、クロはその回転の間に逆へ走る。
動きが速い。相手の反応は見えないがクロの2本の剣が胴体と思しき所へ突き込まれた。
ケエェェーーーッ
鮮血を撒き散らし後ろ足の窪みが動く。クロは跳ね飛ばされ、転がって木の幹を強かに背負った。枝が大きく揺れ、あたしの視界を遮るほどの葉が落ちる。
そこで一瞬、奴の目が見えた気がした。頭の輪郭すら分からないが2つの目がまっすぐにあたしを見た。
瞬間にあたしはその目に跳んだ。
あたしがさっきまで居た空中を何かが通り木立に当たるのを意識しながら、あたしは短剣をその目に叩き込んだ。
目に当たった剣は通らず弾かれた。何か硬い殻で覆われているらしい。鼻面が振り上がる気配に上に逃れる。
さっき何かが通ったと言う場所をチラリと見ると木立にべったりと何やら黄色い濁った液体が撒かれ、ダラダラと幾筋も下へ垂れ落ちている。ねばねばベトベト感が酷い。
うわっ!何あれ!気持ち悪!!
こんな危急の時だと言うのに、思わず2度見してしまう悍ましさだ。
動きを止めた相手に、ジリとクロが詰め寄ったところへシルバの姿が近くの木の幹影から現れた。




