なんとなく
ビルの上に浮いている半月はやけに明るかった。
私の恋人が死んだ日でも夜は容赦なく明るく青白く世界を染めていた。
彼はなんとなくという理由でいつも死にたがっていた。特に複雑な家庭で育ったわけでもなく、むしろ不自由なく育てられていたのにだ。もちろん小中高といじめられることはなく、もちろん大学にも進学し、そこのバイト先で私に出会った。
なんとなくシフトが被り、なんとなく帰り道が一緒だった。私たちはそうしてなんとなく付き合って、なんとなく体を重ね、なんとなく日常を謳歌していた。
私たちはそれでよかったのだ。遠くの方で誰かが飢え死のうとも、誰かが強盗を決意しようとも、誰かが母親を殺そうとも、私たちはコンビニでアイスを買う。そして何回も見た映画を見る。
夜風が頬にあたり涙の筋を乾かす。
私は彼と寝た夜はなぜか涙が止まらなかったことを思い出した。涙というものは流れてしまうと元には戻らない。そんな私の欠片を彼は「もったいない」と言いながら指で拭ってくれた。
なんと醜い思い出なのだろう。彼はもうこの世にはいないというのに私に鮮明に彼を思い出させる。
頬を撫でる指の繊細さ。耳にかかる幸せの吐息。細いが芯のある背中。彼がいつも口にするあのセリフ。何もかもが映画のワンシーンのように断片的に、意味なさげに流れていく。
彼は一度だけ私を見て泣いた。
部屋に僅かに差し込む月明かりを見つけて彼がカーテンを開けて寝ようと提案してきた夜だ。
初夏の夜らしく肌寒い夜だった。
窓際にある彼のベッドは一人用で私たちは身を寄せ合っていた。彼はいつも窓の方で寝ることを嫌っていた。その日ももちろん私が月を背負いこむ形となって私たちは向かい合っていた。
夜が作り出した彼は儚く、今にも消えてしまいそうだった。私は怖くなり彼に抱きついた。彼は確かにそこに存在し、私を安心させた。
彼は嬉しそうに私を見つめていた。私は彼を欲した。彼は頷きそっと口づけをしてくれた。私はその二秒も満たない時間が永遠に思え、彼にもう一度キスをした。
彼ははにかみ私を抱き寄せた。私は抱き寄せられ彼を慈しんだ。そんな私をみて彼は泣いた。
思いではそこで終わり。そこからも何回か彼と夜を過ごしたが、もうどうでもいい。
彼は死んだ。私は生きている。
今日も彼が死んだというのに世界のどこかで誰かが恋人を抱き、誰かが子守唄を歌い、誰かが祝杯を挙げている。
そんな世界など壊れてしまえばいいと思えてしまうほど彼は私の中心で、私の欲求そのものだった。
フェンス越しに眺める月はやはり輝いたままだった。